2013年8月13日火曜日

趣味の哲学

「心」について・・・次回の哲学教室のお題です。





スピノザの入門書『スピノザの世界』を読んだ。その中で、著者である上野修氏は「人間には知性や意志感覚といったメンタルな能力がそなわっていて思考しているのだと言っているわけだが、スピノザにとって、そんな独立した能力は存在しない。」と書いている。つまり、スピノザはヒトの「自由意志」は存在しないと言っているのである。自分の感情を(あるいは他の者の感情を)自然現象として説明し理解することであると。



これを読んで、ダライラマの『般若心経入門』を思い出した。「心を虚しゅうし、悟りを開く」という事である。自己という存在が内面的にも外面的にも実在するのではない。だから、そのような実在概念を想定することから逃れ、自己への執着心から解放されることを仏教は目指しているのだ。



西洋哲学は、人間の知性や理性を推し進め真理を追究する。あくまでも人間が世界の中心の世界観を持つ。そして勢い、人間だけが持つものとして、知性、理性や心などを想定する。わたしがダライラマの『般若心経入門』を読んだ時の感想は「我々は何者かの意志によってこうあるべきものとして生みだされたものではなく、進化の過程において生き延びるための要素を積み上げてきた結果、必然として『こうある』のだ。」であった。つまり、生き延びてきた過程でひとつでも条件が異なっていたなら、現在のような我々の存在はないということである。「心」は人間にだけ特別に与えられた何かではなく、地球上のすべての生物に備わっていた「物質」から人間が進化を通して長い間に築き上げ作り上げたものだと思う。



それで、今読んでいる本は『HUMAN』。NHKが番組として取材したものを本にしている。そのポイントは、約20万年前にホモサピエンスはアフリカでサルから枝分かれし、その時にはすでに身体的にはほぼ現代人と変わらぬ姿であったのだが、何故それから今まで、人類は身体的に進化しなかったのか。その答えを「それは人類が『心』を発達していたため」と考えて、NHK取材班は調査を始めた。



本は「協力する人」、「投げる人」、「耕す人」そして「交換する人」とういう章建てになっていて、取材班はそれぞれの項目で、世界中のその種の研究をしている学者にインタビューを試みる。人は徐々に「心」を手に入れ、そして他の生き物を押しのけてこの地球上に最強の者として繁栄していった、その道程を検証していく。人は、神から「人として」作られたものではなく、他の総ての生き物と同様、進化し続けてヒトとなった。同様に、心も始めから「心」として人類に備わっていたのではなく、進化による結果という事。





驕ることなかれ。世界は人が作り出したものではないことを自覚せよ。スピノザも「世界が存在するのは誰のためでもない」と言っている。人は「人」として生まれたのではなく、宇宙のいろいろな法則の内にある単なる存在。結果として「こうある」だけなのであるから。







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