2013年8月13日火曜日

英語と国際語について

インターナショナル言語は、文化的背景のない言語にしてもらいたい。英語を公用語にしているそれぞれの国もそれぞれの文化的背景を持っており、その文化を主張している。普遍的英語などというものはあり得ない。



というようなことを、カナダ人の先生に言ったら、鼻で笑われた。

「何それ!トラックとローリーとかエレベーターとリフトの違いなんて言うこと?ネイティブ・スピーカーならそんなことわかるわよ。」と。



こっちは、ネーティヴじゃないからね。だから、共通言語として英語を学んでいるんじゃないですか。それに、そんな単純な話ではない。



違うカナダ人の先生は、

「英会話の先生はいろいろな国から来ているから、始めに自分たちの英語をすり合わせる必要があるのよ。」と言っていた。



わたしたちは、あっちでは「それは違う。英語ではない。日本語か?」等とからかわれ、また、こっちでは、「英語ではそうは言わない。」等と言われ、頭を小突かれて右往左往している。トマトは「トメイトウ」だと言われ、嗚呼、トマトは日本語かと思っていたら、イギリス人の先生は「トマト」と言っていた。「ヴァイラス」と「ヴィールス」も同じこと。わたしは数年も自分の英語の知識が間違っていると思って、だまされ続けられていたのだ。



アメリカ人の若い先生が、同じ寮のイギリス人に「なすび」をeggplant と言ったら、それは何かと言われて1時間近く議論したと言っていた。イギリスではaubergine(わたしのPC辞書もこの言葉を拒否したよ)。つまり、お互い絶対違う英単語は認めないという事。マルタで、イギリス人の先生も「絶対garbage とは言わない。rubbish だ。」と。



それが文化だ。わたしも「認めない気持ち」を認める。しかし、米語を学んだ日本人とイギリス語を学んだヨーロッパ人が会話するとどうなる。お互い英語の知識が豊富でないから、お互いの言っていることを「間違っている」と認識するよ。わたしが履歴書をresume と言ったら、イタリア人の彼女には通じなかった。不審な顔をされた。彼女はCVと習ったのだ。



つまり、国際語と銘打つなら、英語を統一するか、新しい文化的意味のない言語を作ってもらいたい…と思います。





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