2013年8月13日火曜日

生命と混沌の縁・・・素晴らしい題ですこと。

ヨガ教室の仲間のひとりに先天的に障害を持つ子どもたちの助けをするためのボランティアに専心している人がいる。彼女は、生まれてくる子の1000人に1人は何らかの障害を持っていると言っていた。もちろん知的障害だけのことではなく、身体的にほんの少しおかしいということも含めてのこと。心臓が右にあるというのは極端な例だがそんな様な事です。ですから彼女は、「そんなにたくさんの割合で障害があるとするなら、わたしたちはそのことについて考えざるを得ないでしょう。」と言っております。



私の最近興味があることのひとつに「生物」というものがある。「生物」と「非生物」の違い。あるいは「生物はどうやって生まれたのか」。実際問題「生物がどのように生まれたか」については以前謎のまま。約34億5千年前に単純な細菌が現れたというのは定説になっている模様。



この宇宙に物質がばら撒かれ、それが合成され分子に至るのだが、その分子がいつ自己組織化する能力を身につけ自発的に生き始めたのか。今、スチュアート・カウフマンの「宇宙を貫く複雑系の法則」という本を読んでいるところ。「読んでいる」・・・ということで、それについて大きなことは言えないが(あるいは、読み終えても大きなことは言えそうにもないが)、わたしの大体の直感として、生物はそんなにきっちりと出来上がってはいないのじゃないかな~~~と思う。もちろんそれぞれの設計図通りには一応出来上がっているのだろうけど。つまり見かけはちゃんと人間だろうけど、どこか失敗に終わっている場所が一箇所はあるような気がする。腸の壁の僅かな部分がほんの少し薄いとか。完璧に設計図通り仕上がっている人ってどのくらいいるんだろうか。



違う本で原子の大きさに比べわたしたちの体はどうしてこんなに大きく出来上がっているのだろうかと言うことについて読んだ。それは、原子が間違った動きをしてもわたしたちの体に影響を及ぼさないようにということ。カウフマンの本でも生命は失敗を修正しながら結晶化するとあるが、やはり修正できずそのままいっちゃうということもあるでしょう。



以前「共感性」という言葉を新聞で知った。それは数字を見るとき同時に色が見えると言った様なこと。これは単に抽象的な感覚の問題でなく、事実色が見えるのである。人によって違うがある人には数字の「3」を見ると緑が見えるといった具合。ただ色だけではなく、匂いがするという人もいる。その時はそんなこともあるのだとただボンヤリと思っただけだったが、最近テレビ番組でそのことを取り上げているのを見た。つまりそういう人たちは視神経と嗅覚とか味覚とかがリンクしていて、ほんとにある単語を見ると苦味を感じるといった類のことが起こるそうだ。彼等にとっては意味のない数字や単語に匂いとか味とかを感じるので、その数字とかを記憶することがより簡単らしい。しかし、すべての物に味を感じると、食べ物を食べられなくなるとも。その物から感じる「味」と実際の味のギャップに悩まされるからとか。また、本などもその内容を記憶することは容易にできるが、内容を検討するとか把握することは他の感覚が邪魔をしてむつかしいらしい。





話がアッチコッチしてしまうが、まぁ、人間みんな欠陥を持って生きているんじゃないでしょうかネ。生命は欠陥を修正するために自然淘汰と突然変異という手段を持っているが、人類は「自然淘汰」の道は捨ててしまいましモンね。カウフマンは「生命はある瞬間に全体として生まれ、混沌の縁で結晶化する一過性の存在だ」と言っているが、人類はもうその混沌の縁から落っこちそうになっているんじゃないでしょうか~~~。



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