2013年8月13日火曜日

J・・・大阪へ去る





��1日に名古屋について3泊、24日にJは大阪の中国の友達のお家に去りました。その間、毎日、わたしはJの泊っていたホテルまで迎えに行って、ふたりで夜のみに行くまで一緒に過ごしていました。



Jに「どこか行きたいところある?」と聞きました。Jは絶対名古屋の名所とか博物館とか美術館には興味はないだろうから、どこに行ったらいいのかと思って。その他と言ったら、やはりショッピングか。でも、それもあまり興味無さそう。「いいよ、どこでも。Poponに会いに来ただけだから。」とけなげな事を。



中国も変わったけど、Jも変わりました。Jは20歳の頃から5年間東京に住んでいました。それで、上海に帰る時、ティッシュペーパーを大量に買い込んでお土産にしたそうです。「上海に帰ったら、もう、どこでもティッシュペーパー売ってたよ。損しただけだ~~~。」と言っていたのを思い出します。その後、2002年にイギリスでわしたちは会う事に。その時も、彼女はハロッズのような大きなデパートやブランドショップに興味があったのみ。わたしがロンドンのフリーマーケットや小さな個性的なブティックに行っても、退屈そうに付いてきた。その時は、理解できませんでしたが、上海で暮らすようになって気が付きました。上海自体がフリーマーケットのようなのだと。つまり、デパートやブランドショップが立ち並んでいて、そこにフリーマーケットのようなアウトドアのお店があったら、「わぁ、素敵!」となりますが、露店ばかりあるところでは、やはりハロッズが「すてき~~~!」 でしょう。もちろん上海は大都会ですから、大きなデパートやブランドショップは当時もありました。でも、大通りを一本奥に入ったら、景色は一変します。



今回はそのショッピングにも興味なし。わたしが上海を去ってから、Jの生活は相当リッチになったようです。スペイン、スイス、モロッコ、ドイツ・・・等など、に旅行したと。日本で買うより本場で買った方が安いし、限定品が買えるという事ですね。それからもうひとつ、彼女の息子は中学2年生で、ボストンに留学しました。大学を出るまで9年はアメリカで暮らすようです。Jはアメリカにも自由に行けるようになった訳。22日は中国の春節でした。Jは日本、彼女の息子トニーは学校からの小旅行でワシントンにいると。そして、夫はというと、ニューヨーク。彼は車が好きで、一度アメリカのルート66を走ってみたいというのが夢だったそうです。もう、50歳代になったし、最後のチャンスかもしれないからと、春節休暇にアメリカに行ったそうです。「オオッ、Jもインターナショナルになったネ。」とふたりで笑いました。



彼女の夫は、今ロンドンに住んでいる甥のジェーソンとルート66を走破しています。その時のエピソードをひとつ。



ハイウェーを走っていると、後ろからパトカーが。道路の端に寄りなさ~~~い、と言うので車を止めて、外に出ようとすると、Stay in the car! と。ほんと、英語ができるジェーソンと一緒でよかったね、と。スピード違反だったようです。警官が、罰金を払えと言うので、

「今日は中国の春節で早くホテルに着きたかったんです。私たち貧乏で払えない。」と。

「どこに泊まるんだ。ホテルはどこだ。」と警官。

「ヒルトンです。」



貧乏な中国人がヒルトンかとわたしが言うと、Jは、「実際、その日はヒルトンは安くなっていたのね。一泊、100ドル。次の日から安いホテルに泊まることになっていたの。」と。

それで、結局彼等は罰金を払うことなく無事解放。どこでも中国人はgood negotiator だ。





そして、いよいよ24日、お別れの時。わたしは近鉄の駅までJを送っていきました。イギリスでは、わたしが先に帰国したので、Jが見送ってくれました。「Don’t cry!」と言いながらも、Jは目に涙をいっぱい溜めていました。今回は、彼女は「泣くなよ~~~!」と言ってハグしました。もう、泣く程には若くはないけど、ちょっと目を赤くして・・・。



Jとの久しぶりの楽しい日々でした。ハグして別れてからちょっと歩いてJの方に振り替えると、Jも振り返りました。お互いに、もう一度手を振って別れた次第です。わたしも上海に行くよ、J!







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