2013年8月13日火曜日

グローバル世界での英語とは・・・





朝日新聞、「特派員メモ/スピーチでも世界一を」を読んだ。「なでしこ」の沢穂希主将が世界最優秀選手に選ばれ、スイスの表彰式での受賞挨拶の話。式典は英語で進み、記者はそれをイタリアのテレビ中継で見ていたという。沢選手が英語でスピーチをしなかったので放映がカットされ、ロンドン五輪では言葉でも世界に通用してほしいという趣旨。



グローバルの世、国際語としての英語の有用性はわかるが、何もかも英語という風潮はどうなのか。世界の報道番組を見ていると英語で現地の人たちとのインタビューを図っている。つまり英語を話せる人しかインタビューに答えられないという事実がある。



最近見たTV番組。ドイツの記者が英語でシリアの情報を集めていたが、本国に放映する段になると当然ながらドイツ語で語り始める。彼女のその「語り」は英語から解放されて、水を得た魚のように淀みなく・・・美しかった。英語を話している人を画面で見ると流暢に感じてしまうが、実際のところ怪しげな英語で答えている現地の人々もいる。



キム・ヨナ選手に日本のメディアが英語でインタビューをしているのを見るにつけ、なんで英語圏でない人にも英語を期待するのかと思う。沢選手が受賞の喜びと感謝を伝えるのに、一番感情を表わしやすい日本語をなぜ使ってはいけないのか。つくづく理不尽な世の中だと感じる。



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