2013年8月13日火曜日

今年最後に思う事





今年もいよいよ押し詰まってきましたね。年の瀬もそうですが、自分の人生の行方が気になる年頃になってまいりました。



この頃よく考えますことは、人の世は過去の人々の屍の上に綿々と連なっているのだなあという事です。若い頃、20代、30代の時には、ちらっとも頭に浮かばなかった、考えもしなかった事柄です。最近のマイブームで、哲学の歴史を追いかけているのですが(西洋哲学です。多分、日本やその他の国では「哲学」という概念で括られるものは存在しないのではないかと思います。「思想」とでも括られるでしょうか)、そういう歴史的なものを考えると、人は過去の人の考えや行動を自分の糧にして、自分自身を作り上げ、また、それを次世代の人が食い散らし、そこから得たもので新たなものを創造すると言ったような事でしょうか。わたしは、そんな大袈裟な事はできない極一般の者ですが、それでも多くの一般の人々が「その時代の意志・知覚」を作り上げているのだとしたら、小石の、極々小さな小石の一粒でもそこに上乗せさせることができたのかなと、望みます。



「人の綿々と連なる屍」という事に関連してもうひとつ。先日、興味深いTV番組を見ました。古文書による地震・津波の研究です。いつの時代に大きな地震が起こり、その時津波はどこまで来たのか、そしてどのように対処、克服されたのかを古文書を読むことにより、調べます。



��.11に関連して伊達政宗の政策を検証していました。伊達政宗の治世の時に同じくらの規模の地震が東北地方を襲い、津波が海岸線を飲みつくしたのです。彼の政策は、津波の届く範囲には人家を建てないというものです。その代わりに、塩田を作り、産業の育成をしました。そして、ここまで、津波が押し寄せたと言う印として、その境界に神社や寺を建てました。



今回のツナミで、人々は口々に「このお寺(神社)まで逃げてきたら、津波が嘘のように止まった。」とかいう感想を述べています。つまり、そういう事です。人はもうなぜそこにお寺があるのかは覚えていませんが、祖先の智恵が活かされているのです。そして、そのもう意味がわからないことが、奇跡となりMYTHとなるのです。わたしの言いたいことは、今、神話とか伝説として残されている不思議な事、ロジカルでないことにも何かしらの真実が含まれているのかもしれないと言う事です。





こんなことを考えながら、また来年も生きていきたいと思います。







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