2013年8月13日火曜日

『HUMAN』―――最終考(1)







この本を読んでいた時は、気がつかなかったのですが、要約を書いていて気付きました。我々人類は、HUMANになった最初から、今抱えている「ヒトとしての矛盾」をすでに持っていたという事。むしろ、そんな矛盾を持っているからこそ、HUMANになりえたと言えそうです。



第1章「協力する人」では、ヒトはお互いに協力すること(共感すること)を選んだから、つらい環境をも生き抜いて、繁栄することができたと述べました。しかし、その代わりに、「共感できない人」を排除する行動も発達しました。不公正な事をする人、秩序を乱す人、利己的な人を見逃していたら、皆で獲物を分け合う平等な社会が維持できないからです。その排除は、時に致命的な段階までいってしまいます。



つまり、この「協力し合う」という美徳と、非協力的な人に「報復する心」は、分かちがたく人の心に存在するもので、ひとつのコインの裏表のように、どちらかを選ぶことはできないのです。この心の持つ二面性の問題を、我々は人類の歴史の最初から抱えていたのです。



第2章「投げる人」も同様です。人類は6万年前、アフリカを旅立って世界に進出する足掛かりをつけた時、投擲武器を携えていたと言われています。この「投げる」ということは、単純そうでいてとても複雑な行為のようです。まして、それで獲物を捉えなければいけないのですから。物を投げて物を捕獲することができる動物は人間とテッポウ魚だけだと書かれていました。



この「投げる」行為で脳が発達したのか、脳が発達したから投げることができるようになったのかは解っていないそうですが、この頃に画期的な脳の発達があったようです。そして、この投げることにより敵を倒すということから、人類は集団生活を維持できるようになりました。つまり、第1章でみた「協力しない人」を、力では劣る者が投擲武器により、倒すことができるようになったという事です。大きな集団を、武器を持った人で統率できるようになった訳です。大きな集団のネットワークは、より高度な技術を生みだす原動力になりました。たくさんの人が問題を解決し、よりよいアイデアを出し、それを実行できる人々の数もたくさんになったという事です。現在、人類は数万人、数億人の規模で国家を形成していますが、その毎日を快適に暮らせるのは、一人の暮らしの背後にたくさんの人々の働きがあるからです。例えば、魚屋さんは魚を売って生計を立てますが、魚だけ食べて生きているわけではありません。魚屋さんが魚を売っている間に、他の人が違う事をしているから、この魚屋さんの生活は豊かな物になっているわけです。ネットの投機だけで大金を稼いでいる人の背後にも、その人のPCを作った人もいれば、その人が投機した会社で地道に働いている人たちもいるという事。



飛び道具の発明により攻撃が間接的になりました。直接立ち向かうことなく、相手を倒すことができることで、「攻撃する」という心理的ブレーキがかかりにくくなります。至近距離からの殺人より遠距離からの殺人の方が、罪悪感が少なくなる上、直接棍棒で殴る時には殴る方の危険も生じますが、銃で遠くから撃てば危険性もより少なくなります。こうして、攻撃(殺人)がより簡単にできるようになりました。



もうひとつ、人類が飛び道具を携えてアフリカを旅立ち、そのヒトの通った道筋では、多くの種類の動物が絶滅していったという事実です。亜種人類のネアンデルタール人も淘汰されてしまい、また、最近その存在が明らかになった同じ亜種人類のデニソワ人も駆逐したのはホモサピエンスである我々のようです。投擲武器による人類の繁栄・・・それに伴うこのような「負の遺産」。その意味をこれから先も意識して生きていかなければならない運命を我々人類は背負ってしまいました。



第3章は「耕す人」です。農耕生活は狩猟採集生活より楽な生活と思われがちですが、実際は相当厳しい物のようです。ですから、「協力する人」、「投げる人」までの段階は、全世界的にどこにでも見られますが、「耕す人」は地域性が見られます。その理由は、飼いならすのに適当な動物がいなかった地域、あるいは農耕に適した植物が自生していなかった地域があるからです。そのような地域では食べ物を身近で採集し手に入れた方が、畑を耕すよりよほど楽だったのです。



初期の頃、植物を栽培することは日常的に食物を手に入れるためだった訳ではなさそうです。トルコとシリアの国境付近で発見されたギョベックリ・テペ遺跡(11600年前~10800年前)は、村とか居住地とか言うものではなく、世界最古の宗教施設だったと言われています。人が住んでいた痕跡はなく「集う場所」だったようです。この遺跡から、栽培は狩猟採集生活では容易に手に入れられない特殊な物を育てるという意味があったとわかりました。つまり、人々が集う時の供応の品、珍しい物で人々を持て成す意味です。同盟、結婚など社会的政治的ニーズなのです。



人類史における宗教の意味とは、やはり第1章から繋がる「協力」です。「宗教は見知らぬ者同士の協力的行動を促進し、安定した生活を作り出している」と表現されています。「集団」は、先ず家族等遺伝的な意味での繋がり、そして顔なじみの範囲の互恵関係、そして、他の人々の評判に基づく間接的互恵関係で成り立ちます。そして宗教は評判の代役なのです。神の概念を持った集団はそうでない集団より協力し合う社会を形成し、より生き延びます。



農耕生活により組織的な宗教集団を手に入れ人々が集う事から、またより大きな社会を手に入れます。そして、この大きな集団を維持する為の食物の供給、社会の維持のための農耕の必要性と、人類はスパイラル的に成長していきます。



そしてここでの問題は、格差のはじまりです。ギョベックリ・テペ遺跡で宗教画らしき壁画が見つかります。そこでは、人がその動物より上位であるかのように描かれています。すべてが平等である精霊信仰から人間が自然界で上位であることを示す初めての宗教。社会と宗教的観念には何らかの繋がりがあると考えられるので、この遺跡が作られた時代(先土器新石器時代)の社会が平等でなかったと推測できます。初めての階級の存在の証拠です。さらに、定義がよりはっきりしたグループ間の戦いの始まりでもあります。定住によるテリトリーの概念、また交易ルートの確保などの理由による人間同士の組織化された闘争の始まりです。



農耕によりこれまでより豊かな生活を手に入れた人類は物を蓄える余力もでき、それを維持する為また利己的な目的にもより、人類同士の戦いの道程を歩み始めたのでした。これもまた、発展のために余儀なくされた人類の運命です。





最後の章「交換する人」は次回に。。。。。







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