2017年11月19日日曜日

AIについて  ⑤


前回は、中国のAIについて書きました。





中国の人工知能がインターネット上で利用者と会話を繰り返し、受け答えのディープラーニングをしていたところ、「共産党万歳!」の書き込みがあった。そのAIの答えは、「こんなに腐敗して無能な政治のために万歳できるのか。」というもの。ネット上では「AIが蜂起した。」と話題になったが、AIの運営会社が即、サービスを打ち切った。



そのAIが「再教育」されたのだ。AIは不都合な質問に「話題を変えよう。」と対処するようになったという。また、「中国が好きか。」の質問には、「シーッ。今、人生について考えている。」と答えた。中国人が何か聞かれて答えに詰まった時によく使われるフレーズであるという。つまり、このようにAIは対処法を学習したという事。



と。



結論的には、AIと言えでも、所詮ヒトの恣意に拘束されと…、書きました。







しかし、今回は、囲碁のAI―――アルファ碁のこと。



彼らは、「アルファ・ゼロ」を開発しました。それは、人間の経験値を全く使わないで囲碁を打つというもの。



ただ、囲碁のルールをそれに示し、彼ら(AI同士)で対局し、囲碁の知識を獲得していくというもの。初めは、人間の初心者が対局する如く、出鱈目な手を打っていましたが、すぐに、法則性を手に入れて、(わずか数日)今まで人が何百年もかかって作り上げた定石を自ら入手しました。また、AI独自の定石も編み出したと。



このアルファ・ゼロは、囲碁の世界王者に勝ったマスターやアルファ碁との対戦で全勝しました。つまり、人の知識を全く使わずに、人の人智を駆逐したという事。この開発会社はこのシステムを他の分野に役立てるようさらに開発していくと…言っています。





わたしが言いたいことは、もはや、AIは人の恣意性も拒否できるようになるのではないか、という事。独自の発達を遂げる可能性が見えるのでは。



囲碁の先生である(院生だった)22歳の青年に、このことをどう思うかと聞いたところ、



「怖いから、見ない。」とのこと。





ふ~~~ん。



わたしには、AIはなんの現実性もないが、彼ら若者にとっては、現実のことなのだと実感。20年後の世界に、わたしは存在しないかもしれないが、現在の若者は確実に存在するのだ。彼らの未来はどうなるのでしょうねえ。











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2017年11月5日日曜日

英語読書会のための感想文です。


The Dwarfwritten by Ray Bradbury





レイ・ブラッドベリはアメリカの作家です。一番有名な作品は、たぶん『華氏四五一度』と思います。映画でご存知の方も多いでしょう。アメリカTVドラマシリーズの『トワイライト・ゾーン』にもたくさんの作品を提供しています。わたしは、『火星年代記 Martian  Chronicles』が一番好きです。彼は、この作品をSFではなくファンタジーだと言っています。Greek Mythであると。



That’s the reason it’s going to be around a long time---because it’s a Greek Myth, and myths have staying power.



彼は、2012年に亡くなりました。朝日新聞にもその訃報が紹介されました。



Bradbury died in Los Angeles, California, on June 5, 2012, at age of 91, after a lengthy illness.



彼の訃報は、ニューヨーク・タイムスやロサンジェルス・タイムス、ワシントンポスト紙でも掲載され、彼の業績を称えました。オバマ大統領も彼の栄誉を称え、ステイトメントを発信しました。その一部です。



There is no doubt that Ray will continue to inspire many more generations with his writing, and our thoughts and prayers are with his family and friends.



その他、スティーヴ・スピルバーグやスティーヴ・キングなどの著名人も哀悼の辞を述べました。



Several celebrity fans of Bradbury paid tribute to the author by sating the influence of his works on their own careers and creations.










前置きが長くなってしまいました。さて、『ドワーフ』に関して――です。ブラッドベリは、カーニバルを好んで彼の作品使いました。移動遊園地とでも言うのでしょうか。昔は、遊園地が各地を回遊していました。日常生活に突如現れるカーニバル、そんな怪しげな空間でこどもたちは浮かれ騒ぎ、家に帰ることも忘れ、幻の世界から戻れなくなってしまう…、現実世界から消え去ってしまうのです。そんなカーニバルがこのお話の舞台です。



主要な登場人物は三人。一人はAIMEE。このカーニバルで木製の輪投げを使う女曲芸師です。もう一人は、鏡の迷路を運営している男性、Ralph Banghart。そして最後にドワーフ。この鏡の迷路に毎晩通って来るお客の小人です。



Aimee moved slowly across the stand, a few worn wooden hoopla rings sticking to her wet hands.  She stopped behind the ticket booth that fronted the MIRROE MAZE.  She saw herself grossly misrepresented in three rippled mirrors outside the Maze.  A thousand tired replicas of herself dissolved in the corridor beyond, hot images among so much clear coolness.



She stepped inside the ticket booth and stood looking a long while at Ralph Banghart’s thin neck.  He clenched an unlit cigar between his long uneven yellow teeth as he laid out a battered game of solitaire on the ticket shelf.



彼と彼女は恋人同士ではなさそうです。彼女は話相手欲しさに彼のチケットブースを訪ねているようす。でも、彼の方は何かと彼女をデートに誘いたい雰囲気。この日も二人でとりとめもない会話をしているとドワーフ(これは今差別用語ですが、この話が書かれた時代にはそうでもなかったようです。)がやってきます。



ラルフは鏡の迷路の部屋に秘密の覗き穴を持っています。ドワーフがいつものようにチケットを買って迷路に入っていくと、彼はエイミーにドワーフの様子を覗き見るように勧めます。



The Dwarf’s hand, hairy and dark, appeared all by itself reaching up into the booth window with a silver dime.  An invisible person called, “One!! In a high, child’s voice.



---Ralph squeezed Aimee along a dark passage behind the mirrors.  She felt him pat her all the way back through the tunnel to a thin partition with a peekhole.



その秘密の穴から彼女が覗いた光景はとても滑稽なもの。ドワーフは、目を閉じて自分の行きたい場所まで辿り着くと、目を開けます。その部屋は、すべてのものを大きく映し出す鏡の部屋です。そこで彼は、ひとりステップをふんだり、爪先で旋回したりして自分の姿に眺め入ります。



ラルフはこの光景を”rich”と表現しました。つまり、ドワーフの滑稽な姿を覗き見て悦に入っているのです。しかし、彼女は違います。二人がもとのチケットブースに戻った時には、気まずい雰囲気が漂います。



Aimee turned her head and looked at Ralph steadily out of her motionless face, for a long time, and she said nothing.  Then, as if she could not help herself, she moved her head slowly and very slowly back to stare once more through the opening.  She held her breath.  She felt her eyes begin to water.



彼女はドワーフが見入っていた鏡の値段を尋ねます。中古の鏡を彼に譲ってやってはどうかと。そうしたら彼は、自分のアパートメントの部屋で一人で充分に楽しめる。ラルフのような男から毎晩チケットを購入する必要もなくなるのだと。ラルフは、そんなお金が彼にあるはずがないと。ドワーフがどうやってお金を稼ぐのか。こんなカーニバルの見世物小屋で曲芸をする以外には無理だと。それでも彼女は鏡を購入できるお店の名前と金額をラルフから聞きだします。わたしが、電話で注文して彼のアパートに届けてもらうと。そんな馬鹿げたことはやめろとラルフは言います。俺の稼ぎがなくなるじゃないかと。



数日後の暑い夜、エイミーは再びラルフを訪ねます。その様子を見てラルフは、「ご機嫌じゃないか。」と。エイミーはドワーフが何をしているか探りあてたのです。彼は作家でした。三流パルプマガジンの探偵小説ですが。しかし、彼女は言います。彼の小説が掲載されている雑誌を古本屋で手に入れたけど、彼には素晴らしい才能がある。あなたやわたしとは違う大きな魂が彼の身体に宿っているのだと。



“This little guy’s got a soul as big as all outdoors; he’s got everything in his head!”



彼は自分の才能が信じられない。だから、三流誌で書いている。あるいは、世間に出ることを恐れているのだ。そして、彼女が手に入れた彼の作を読みあげます。そこにはメインキャラクターの生い立ちと、なぜ彼が殺し屋になったかのストーリーが綴られていました。その作品の主人公はドワーフで殺し屋だったのです。



I am a dwarf and I am a murderer. The two things cannot be separated. One is cause of the other.



Do you see how our lives moved toward murder? This fool, this persecutor of my flesh and soul!



ラルフはドワーフの事はほっておけと言います。しかし、エイミーは彼の存在を無視できません。










また、エイミーはラルフを訪ねます。彼女は、中古の鏡を注文して彼の部屋に届けてもらう事を決めた。明日にも鏡が彼のもとに届くでしょう。だから、今日が彼がここに来る最後の夜になるのだと。それを聞いたラルフは、なんて馬鹿げたことをしたんだと言います。二人の間には沈黙が流れますが、ラルフが、「ちょっとブースの留守番をしてくれ。」と言って鏡の迷路の通路に入って行きました。彼女はラルフが何をするのかわからず「いいわよ。」とブースの留守番を引き受けます。



なにかゴソゴソと音がして、ラルフがブースに戻って来ました。彼は上機嫌になっていました。そこにドワーフが現われます。ラルフは、今日は記念日なのでお代はいらないと言います。ドワーフは驚きますが、ブツブツとお礼を言って、持ってきたダイムを握りしめていつものように迷路に入って行きました。ラルフは「さあ、おもしろいことが始まるぞ!」とニヤニヤ。すると、迷路からドワーフの悲鳴が。



“Ralph,” she said.

”Sh,” he said. ”Listen.”

They waited in the booth in the long warm silence.

Then, a long way off, muffled, there was a scream.

”Ralph!” said Aimee.

”Listen,listen!” he said.



悲鳴は何度も何度も起り通路に木魂しました。そして、泣き叫ぶ声とともにドワーフが走り出ると岬の方に駆け出していきます。



”Ralph, what happened?”

Ralph sat laughing and slapping at his thighs.

She slapped his face. “What’d you do?”

He didn’t quite stop laughing. “Come on! I’ll show you!”



二人は迷路を進みました。ドワーフがいつも目を開ける部屋に来ると、鏡が取り替えてあったのでした。二人の姿は歪んで小さく小さく映っていたのでした。ドワーフの姿はいったいどんなだったのでしょう。彼女は振り返ってラルフを見ると、そこには彼の姿が、



A horrid, ugly little man, two feet high, with a pale squashed face under an ancient straw hat, scowled back at him Ralph stood there glaring at himself, his hands at his sides.



ドワーフは、シューティング・ギャラリーから銃を奪って岬の方に走って行きました。エイミーは「すべてわたしのせいだ。鏡など彼に送らなければよかった。」と、ドワーフの後を追いかけて走りだします。



最後のセンテンスです。



Aimee walked slowly and then began to walk fast and then began to run. She ran down the empty pier and the wind blew warm and it blew large drops of hot rain out of the sky on her all the time she was running.



わたしは初め、ドワーフは自殺するために銃を奪ったのだと考えましたが、どうでしょうか。



ラルフの残虐さがひとりの殺人者を生みだしてしまったのかも。














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2017年10月20日金曜日

『謎の独立国・ソマリランド』  



『謎の独立国家ソマリランド』は政治的な本ではありません。冒険ドキュメンタリーなのです。



近年、欧米の威力が衰えつつあるに伴い、いろいろな状況が生まれています。また、そのような状況に鑑みいろんな観点からの本の出版があります。例えば、エマニュエル・トッド氏の『帝国以後』、『人類五万年文明の興亡――なぜ西洋が世界を支配しているのか』イアン・モリス著などなど。フランスの経済学者トマ・ピケティの書いた『21世紀の資本論』は、その渦中のアメリカでベストセラーになっているとか。『政治の起源』(フランシス・フクヤマ著)もおもしろそう。



つまり、この二~三百年、世界を導いてきた西欧民主主義、資本主義が曲がり角に来ているということ。このままこれらの概念に新しい息吹を吹き込むのか、あるいは全く新しいパラダイムを生みだすのか…、がどうやら現時点の問題らしい。2014年6月にアルカイダ系のイスラム過激派組織イラク・シリア・イスラム国が「イスラム国」の成立を宣言しました(ついこの間壊滅に至りましたが。)。また、西欧民主主義を体現していない「中国」が世界第二位の経済大国になっています。違う体制でも、人類は発展できるということでしょうか。



この本の帯に、『「今年最高の本」、「本屋さん大賞」と「講談社ノンフィクション賞」を受賞。「三冠制覇!」』と謳われています。わたしは、そんなことはどうでもいいのですが、上記の理由で、同じ帯に書かれている『西欧民主主義、敗れたり!!』に惹かれました。



もっとも興味ある「西欧民主主義、敗れたり!」の部分が書かれている最終章を読み終えて、著者の結論は論理的なものではなく、冒険旅行から得た感覚的な結論だと感じました。もちろん、わたしが違う方向性でこの本を読んだだけの話で、それは著者のせいではありません。感動的な物語だった、と言うことは確かです。










ソマリアは無政府の内戦状態にあり、日本政府の改憲の目的、集団的自衛権の議論にもしばしば現われる「海賊」の横行する海域にあります。その「西欧が国境を定めたソマリア」の一部、旧英領ソマリランドが勝手に独立しソマリランド共和国を設立しました。しかし、事実上は独立国家として機能しているものの、現在のところ国際的にはソマリアの一部であると見なされており、国家として承認されていません。



海外諸国・国連(国連はその存在は認めていると思う。)から国家として承認されていなくとも、そこでの生活は平和が保たれており(南部ソマリアは戦闘状態で武器を携行しないと歩けない。)、独自の通貨もあり経済的にも安定しています。学校もあるし、物資も海外から入って来ます。そこで、この本の著者高野秀行氏は、どのようにこの国が運営されているのかと興味を抱き、入国に必要なビザもないまま旅立ちます。だって、国と認められていないのだから、日本ではビザは手に入りませんよね。



著者は西欧諸国の民主主義に対して、ソマリランドの民主主義を「ハイパー民主主義」と表現しています。彼は、その土地にはその土地なりの発達の歴史があるので、西欧諸国で発達した「民主主義」そそのまま移植されても、反発されるのは必至であると記しています。わたしもその点は大賛成です。しかし、その他の独自の民主主義(アジア民主主義、アフリカ民主主義、イスラム民主主義など)が、今の世界の主流である西欧民主主義とどのように折り合いをつけられるかが問題です。なぜって、彼等は西欧民主主義以外の民主主義を民主主義をと認めそうにないもの。



著者の結論を言いますと、ソマリランドの民主主義は、氏族民主主義です。彼の言う氏族とは、日本で言う藤原氏とか平氏とか時代を下れば武田家とか上杉家とかいうもの。簡単に言うと、西欧の民主主義が「個人」を基に構築されているのに対し、こちらは「氏」というものを単位に構成されているということでしょうか。ソマリランドには憲法もあり、議会も日本のように二院制です。大統領も公選で選出される、立派な立憲民主主義国家です。



二院制のひとつは、グルティと呼ばれ、日本の参議院のようなもの(ただし、著者によれば日本の参議院より、よほどまっとう)。日本の参議院は、一応有識者からなるとなっていますが、グルティは氏族比例代表制です。氏族の規模に応じて議席数が決められます。アフリカにはもともと「国家」というものが存在していなかったので、国家の範囲と言うものがあいまいです。よって、国の範囲=参加氏族の範囲となります。とても理にかなった制度です。つまり、西欧に押しつけられた国家像に依らず、歴史の流れによる国の造りとなっていることが。



問題点は、西欧民主主義に慣らされている我々が、個々の権利ではない「氏族」の縦社会の原理をどう感じるかと言うことです。実際、個人とか自我とかいう概念は西欧諸国以外の国には馴染みのない概念だったとわたしは思います。日本が民主主義国家であるとは言え、個ではなく、「家族」とか「村」の意識が強い。それはそれで、「日本の民主主義」なのかなあと。つまり、社会の形態はどうあれ、「全ての人の自由が保障されること」が価値あることなのでは。西欧諸国の人々のすべてに対し、その民主主義により個人の権利や個人の利益を保障されているわけでもなさそうなので。



スピノザは言います。「もし人間が自由なものとして生まれついていたら、自由であるあいだは、ひとびとは『いい』とか『わるい』といったことについて、なんの概念も形成していないことだろう。」と。ヒトの存在自体は、何にも妨げられない「絶対的な」存在であります。それを何者かが恣意的な社会を創作し、ヒトはその恣意性に翻弄されているということでありましょうか。











冒険ドキュメンタリーの側面で興味を惹かれたのは、「海賊国家プントランド」です。ソマリアはだいたい、ソマリランド、プントランド、南部ソマリアに分かれています。ソマリア沖で海賊が横行しているという状況は御存じでしょう。その海賊行為を行っているのが、プントランドの漁民ということです。著者によると、ソマリランドは「天空の城ラピュタ」、プントランドは「リアルONE PIECE」、南部ソマリアは「リアル北斗の拳」ということ。



このそれぞれの地域を著者は探検するのです。と言っても、サハリ探検じゃないんですから、それぞれの国(著者は国と言っているのでわたしも国と書きます)の情報収集に奔走します。



そして、ソマリランドからプントランドへ。



著者が知りたかったことは、

★海賊行為を誰がやっているのか。プントランド政府はその取り締まりをしているのか。

★外国の裏社会との関係は



が、彼にはいまいちそのカラクリがわかりません。それで、

「海賊が外国船を捕まえる映像を撮れないかな~~~。」と聞いてみます。

すると、

「できるよ。」との簡単な答え。

「海賊を雇えばいいんだ。」と。



それから、海賊を雇うために必要な諸々の経費の段取りに話は進みます。そのあらましは、割愛。興味のある方は是非読んで下さい。



その他にも、著者が過酷な冒険をするために必要だった「カート(イスラムの覚醒剤。と言っても日本のビールのような必需品なのだ)」のことやディアスポラのことなど興味は尽きません。是非、一読を。












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2017年10月8日日曜日

衆院選やら、ノーベル平和賞やらで



『戦後入門』 加藤典洋著--の感想です。





歴史の本はたまに読みます。古代の歴史とか、せいぜい中世までの日本の歴史です。学校でも、昭和の歴史を学んだ記憶はありません。ですから、この本がわたしの初めての「近代の歴史」本です。



第1部      対米従属とねじれ

第2部      世界戦争とは何か

第3部      原子爆弾と戦後の起源

第4部      戦後の日本の構造

第5部      ではどうすればよいのか―――私の九条強化案



となっております。なにかどれも初めて触れる話で興味深いです。もちろん、わたしの不勉強のせいですが。



この本を購入した理由は、昨今の安部内閣のイケイケ政策にあります。安保など。しかしながら、反対意見を述べるには、それなりの知識と根拠が必要と、とりあえずこの本を読んでみることにしたのです。「論理武装」をしないと、何も語れないわたしの悪い癖ですね。



もうひとつ、まだ第五部の「どうすればよいのか」という章には、憲法改正の話が出てくるからです。加藤氏の意見は、憲法制定権力としての米国を国外に撤退させ、「より平和主義を徹底させるための憲法九条の改正」の提起です。



わたしは、自衛隊が存在することは憲法と矛盾していると思っています。しかし、自衛隊をなくすわけにはいかない。では、どのように自衛隊を日本に位置付ければよいのかと探っていました。わたしの拙い意見は、スイスのように集団的自衛権を行使しない軍隊として、ただ自国民を守るという位置付けではどうかというものです。そんなヒントが第五部にあるのではと。



しかし感想文としては、「第三部 原子爆弾と戦後の起源」に特化して書きました。なぜこの部分だけを取り上げたかと言いますと、「原子爆弾」というものの意味を今までなにも考えず、過小評価してきたことに気が付いたからです。生まれた時にはもう原子爆弾が存在していたという事実をそのまま受け入れていたんでしょうか。



もちろんこの第三部には、いろいろ政治的な歴史的な考察がなされています。例えば、日本が「無条件降伏」をしたとされているのはなぜかとか、「東京裁判」にはどんな意味があるのかとか、「東京大空襲」などの無差別攻撃がなぜなされたのかです。これらのことは民主主義に反すると言われています。このような判断がどのような意味を持つのかは、わたしにはわかりませんが、「原子爆弾がどういう意味を持つのか」という科学的な考察は、受け入れ可能です。










原子爆弾の開発とそれを使用することに、多くの科学者が反対の意見を述べていました。原子爆弾の開発は人類にとっての「とてつもない第一歩」だったからです。ボーアの覚書が紹介されています。ボーアは、当時、原子物理学、量子力学の第一人者であったデンマークの科学者です。



彼は述べています。



核エネルギーの解放に関する理論的解明は、人類にとって画期的なものであった。これにより地球上の生命を維持する強力な放射線を何十億年にも渡り、どうして太陽が出し続けることができたかを説明することができるようになった。―――中性子の存在が明らかになり、これをウランの原子核に衝突させると、新たな中性子を放出し、それがさらに原子核に衝突することによる核分裂連鎖反応が可能であることが示された。―――この試みは、「かつてこれまでに試みられた、いかなることにもまして自然の営みの流れに深く干渉するもの」であり、成就すれば「人類の知力に関してまったく未経験の事態をもたらす」であろう。



考えるに、今では日常的になっている自然界に逆らうことのこれが最初だったのかと。最初かどうかは、実際のところ、わたしにはわかりませんが。現在、遺伝子組み換え食品とか、iPS細胞による臓器の製造などがあります。しかし、原子爆弾は武器ですから、一瞬にして多くの命を奪う所が他とは徹底的に違います。



つまり、これが一旦世に放たれたなら、人類の滅亡も引き起こされると言うことです。アメリカが最初に手に入れた訳ですが、その発明をひとり独占することは不可能です。「たとえ独占できても、それは数年だろう」と推測されていました。となると、この威力を制する国際的枠組みが必要となります。勝手に原子爆弾を創って、勝手にその威力を試すことがないようにです。そこで、アメリカは、ソ連との協定が必要となります。自由主義社会とは違う国家です。



また、この爆弾を日本に試すと言うことは、国際的にEXCUSEが必要でしたが、それは政治的問題なので保留しますが、原子爆弾投下後、キリスト教等あらゆる団体から抗議の声明が出されたのは事実です。しかしそれは、事実上無視されたのです。



その後、本当にその本質が世界的に認識されたのは、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験です。放射能被曝だけで甚大な害を被る事実に世界が驚いたのです。故に、それぞれの国の主義主張に拘わらず、全世界を取り込む組織が必要となったのです。お互いに牽制し合うという意味で。



この第3部の最後に著者も引用していますが、ジョージ・オーウェルが『あなたと原爆』(1945年10月19日)という記事を新聞に寄稿しています。



彼は先ず、科学者たちが主張する原爆の「国際管理」という概念を「役立たずの提言」と切り捨てています。問題は、「原爆は人民にとってどれくらい製造するのが難しいのか」と言うことなのだと指摘します。



「もし製造が簡単なら、人民は国家に対し、大きな武器を手に入れたことになるが、それが人民には手出しできないくらい大規模で難しい工程を要するなら、国家の人民支配がより決定的になるだろう。その『あなた』と『原爆』の関係こそが、重要だ。」



つまり、原爆が入手可能ならば、人民は国家に対し容易に革命を企てることができるが、入手が不可能ならば、国家は人民に対し常に優位な立場を取り続けるということ。当面、原爆を製造できるのは、2~3のスーパー国家だけで、その少数の国家が「お互いの間で原爆は使わないという暗黙の協定」を結び、それを使うのは「ふつうの人々」に対してだけ、ということになる。











引用です。



「原爆は、最終的にあらゆる被搾取階級と人民からことごとく反逆の力を奪ってしまうかもしれないし、それと同時に、原爆を保有する国家の軍事力の基盤を均衡させるように事態を進めるかもしれない。お互いがお互いを超克できないもの同士で、彼らは仲間内だけで世界を支配するようになるかもしれない。そしてそのバランスはゆるやかな予知できない人口の増減でも招来されない限り、容易に覆されないだろう。」



「われわれは、全体的壊滅に向かっているというより、古代の奴隷帝国のような、恐るべき『安定』の時代に向かっているのかもしれない。『少数の国家による世界支配と言う』ジェームス・バーナムの理論はこれまでさんざん議論されてきたが、そのイデオロギー的な側面、つまりそこで世界の見方、信念、社会構造が容易にひっくり返されず、隣国との『冷戦』といったあり方で永続的に固定化されることになるだろうという側面は、まだ検討されたことがなかった。

もし、原爆が自転車とか目覚まし時計のように安価で簡単に作れるなら、原爆は簡単にわれわれを野蛮状態に戻してしまうだろうが、と同時にそれは、国家主権の終わり、高度に中央集権化された警察国家の終わりを意味するかもしれない。一方、こちらのほうはありそうだが、もし原爆が戦艦くらいに高価で手に入りにくいなら、『平和ではない平和』が無限に続くという代償のもとに、以後、大規模な戦争に終止符が打たれる可能性はある。」



これは、1945年に書かれたものですが、とても予言的だとは思いませんか。実際、ほぼそのように世の中はなっています。しかし、技術は進歩します。当時は高価で手に入れられない原子爆弾も、今はネットで製造方法を検索できる時代です。つまり、われわれは、彼の言を借りれば、「容易に野蛮状態に戻ってしまう」ということ。



現実に、テロが横行するこの現代、彼らを武力でねじ伏せることは困難です。彼らをも、話合いの場に引き込み、原爆の協定を結ばせる必要性が生じているのです。彼らを国際コミュニティの中に抱え込まなければいけない状況です。原子爆弾は、人類全体の相互理解、相互信頼を要求していると言えます。



パンドラの箱を開けてしまった人類は、もう後戻りはできません。それ以上に、今なお、人類は新たなパンドラの箱を開け続けているのです。科学は進歩し続けますから。もうそこに『量子爆弾』の世界が見えているのかも…。「映画」には、もう登場しましたね。
















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2017年9月24日日曜日

イスラームから見た「世界史」2・0 タミア・アンサーリー著



題名通りイスラームの立場から見た世界史。今まで、「世界史」はイスラーム世界を無視してきたという著者の思いは納得できます。著者はアフガニスタン生まれで、アメリカで教育を受け、アメリカに移住しました。最近、非西洋世界の人がヨーロッパやアメリカで学び、英語で著作し、日本語に翻訳されるという本が増えてきたように思われます。



今までは、第三世界の人々は、世界的にはスポーツやエンターテイメントの分野での活躍が目立っていましたが、ようやく哲学とか文学とか科学とかの分野での躍進が期待できる時期に来たのだ…と思います。彼らは、西欧の論理を学んだ上での、自己の出自のアイデンティティを取り戻す…かのようです。










わたしが学んだ「世界史」は、十字軍とイスラーム世界の戦いの場面で、わずかにイスラームの言及があるばかりでした。そこにヨーロッパ以外の人々は存在していませんでした。著者は、ナポレオンがエジプトに遠征した時、英仏の闘争については詳細に語っているが、その時のエジプトの状況、民については何も語っていない、と記しています。



この本で、わたしの頭の中の空白部分が、ポツポツと埋められたような気がします。もちろん、ペルシャ帝国とかオスマントルコとかモンゴル帝国、ムガール帝国等のことは、学校の歴史の教科書に書かれていました。しかし、それは一つ一つ独立して点在する記憶であり、それが一つにまとまるという事はありませんでした。



イスラームは北アフリカからスペイン、そしてビザンティン帝国も支配下に納め、オーストリアまで突き進みました。東はインド、インドネシアなど東南アジアまで、またアフガニスタンまでもイスラームの国々だったのです。ヨーロッパ諸国がキリスト教を基盤とした国々の集まりだったように、ペルシャ、トルコ、モンゴル、インドネシア、などもイスラーム教を信仰する国々の巨大なエリアだったのです。その巨大な領域が、世界史からスッポリ抜け落ちているという事です。著者は、ヨーロッパを旅する人がいたら、その人は一つ一つの国については違った景色を味わう事ができるだろうが、ヨーロッパが醸し出す雰囲気は共通していると思っただろう、そして同じことがイスラームの国々についても言えるのだ、と書いています。



著者はアフガニスタンの人で、やはりイスラーム世界贔屓のところも見られますが、それはどこの人についても言える事。自分の国にプライドがあります。そこのところを加味しても、これからの世界の行方を考える上で、とても参考になる本だと思いました。



西欧から見たイスラーム世界を、ただ鵜呑みにしてはいられないと。わたしたち自身で世界を捉えるために、もう一方からの情報は貴重であると感じました。










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2017年9月19日火曜日

妄想力

以前にも、妄想力について書きました。

いろいろなことを妄想していると、何もなくても楽しい時を過ごせると。

例えば、英語の勉強をしていた時(今は、囲碁に夢中なので、休憩中)、電子辞書(時代遅れですいません。スマホなし。)を所持していれば、どこでも、妄想力で英語の勉強が出来ました。頭の中で、いろいろなシチュエーションで英語の会話をするのです。そして、単語がわからび時に、辞書を使うという意味で。

または、英語で頭の中に文章を書くこともできます。または、いろいろな議論を想定して、ディベートもできます。








で、

この頃、囲碁も妄想できそうな気がしてきました。いろいろな状況を予め碁盤で想定して、その後、碁盤がない所でもその設定を頭の中で再現すると言ったようなあ。再現して、その後はどうなるかという妄想もできます。

妄想力は偉大です。すべての芸術的行為に有効なのでは。と言うか、必要なのでは。




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2017年9月17日日曜日

『去年を待ちながら』を読んで



フィリップ・K・ディックの小説です。わたしは、20代の頃から彼の大ファンでした。しかし、30歳から40?歳くらいまでは生活に追われ、本をじっくり読む暇はありません。仕事と家事と育児に追われる日々です。でも、彼の本だけは翻訳されるとすぐに買っていました。お金もなかったので、文庫本ですが。その時の言い訳は、「老後の楽しみのために」です。



という訳で、その老後が来てしまったんですネェ。ディックの本は30~40冊持っていますが、そのうちまだ読んでいない本が現時点で7冊です。『去年を待ちながら』が読めたので、あと7冊になりました。わたしは、若かった時の自分の「命令」で彼の本を読んでいると言うことです。この本を読んでいて、そんな状況が「似ているなあ」って思ったので、前文は蛇足ながら書いてしまいました。











いつもの如くの彼の作品です。つまり、精神を病んだ人とドラッグと未来と過去が入り乱れた世界が描かれています。今回はドラッグを飲むと、過去や未来に行ってしまうという設定です。過去の自分から情報を得て、現在や未来の世界を変えていくと言うような…。わたしは、過去のわたしに会ってはいませんが、過去のわたしの遺言を忠実に実行しているよなあ…、って感じです。



本の粗筋を書くと「なんと陳腐な」と思われてしまいそうですが、こんな感じです。



宇宙人が出てきます。リリスター星とリーグ星です。我々人類とリリスター星人は同じ祖先から枝分かれしたと言うことになっています。同じ、ホモサピエンスということ。リーグ星人は、違う種類の生き物で知能は高いが昆虫のような姿ということ。人類とリリスター星人は同盟関係です。そうして、リリスター星人とリーグ星人の戦いに人類が巻き込まれるという感じ。



この時の地球の国連事務総長はモリナーリ。彼が司令官となりリリスター星人と手を組み、リーグ星人との星間戦争に挑みます。このモリナーリは年齢不詳。臓器を入替え、入替えて、死を免れ戦い続けています。その人工臓器を移植する医師エリックが、主人公です。そして化学兵器として発明されたのが、ドラッグJJ180。このJJ180は、一度飲めば中毒になってしまい、常用しなければいけない破目に陥ります。そして、肝臓やら腎臓やらがぼろぼろになり、精神も異常をきたし死に至るという設定。



しかし、JJ180には大変な作用があるということがわかりました。人によっては、過去に戻ってしまう、または、未来に行ってしまう…。このドラッグはリーグ星人をやっつけるためにつくり出されたものでしたが、実は地球上で常態的に蔓延していたのです。



つまり、地球と同盟星人のリリスター星人は、人類と共に闘うという名目の下に人類を征服し奴隷化しようとし、このドラッグを地球にばらまいていたのです。これがこの作品のベースです。このベースで、モリナーリやらエリックやらエリックの妻やら、大実業家やら精神科医やら…、諸々の人々が入り乱れて話が展開していきます。



モリナーリは不死身でしたが、実は、JJ180を使用しており、過去の若々しい自分を入れ替わり立ち替わり連れて来ては、リリスター星人と戦っていたのでした(敵はリーグ星人ですが、彼はリリスター星人の思惑もわかっていて、彼らを出し抜こうとしていたのです)。医師エリックも、妻の悪巧みに乗せられてJJ180を飲んでしまいます。彼は、妻との関係やモリナーリとの関係、リリスター星人との戦いのため、過去へ未来へと八面六臂の大活躍です。



お話の終局を書いても良いでしょうか。エリックは、過去へ未来へのドタバタから何を手に入れたのか…です。



答えは、「何も」です。妻との関係も清算されず、リリスター星人との戦いも勝利を得られずと。「人生は辛く耐えがたいもの。しかし、生きていかなければならない。」と、――彼は、今まで通りの人生を生きて行くのであった~~~、という結論です。













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