2024年3月17日日曜日

囲碁・将棋



 

「囲碁・将棋」という名前の漫才師がいましたね。どういいう意味でコンビ名を決めたのかしらん?「囲碁・将棋」の普及を進めるためなのかしらん?


という事は、前置きです。わたしは囲碁派です。毎週日曜日にはNHK杯の対局をテレビ観戦しています。先週の決勝戦「一力・虎丸」戦は、一力の優勝で今期は終わってしまいました。わたしは、虎丸ちゃん派ですが~。また4月から新たな戦いが始まるでしょう。


そのNHKで囲碁の前の時間に「将棋の講座」と同じく「NHK杯」を放送しています。わたしも時間がある時は、将棋の方も見るとはなしに観戦しています。囲碁の戦い方がわかって来るとともに将棋の方も少々理解できるようになってきました。勝利の方程式は同じなのかしらん?



今日の決勝戦は、藤井聡太と佐々木で素晴らしい一戦でした。あのくらいのレベルになるともう「格闘技」ですね。手に汗を握ります。対戦者も肩で息をしているよう。


囲碁の対決もレベルの高い戦いはワクワクしますが、将棋ほど興奮しません。なぜでしょう?囲碁は、静けさが漂っているような~。


思うに、将棋の方が具体性があって、見ていてわかりやすいからなのでは?将棋には字が書いてあって駒に意味があります。それで、感情移入しやすいのでは。


囲碁は、単なる黒と白の石です。動きもしません。ただ、ただ、石と石の繋がりです。わたしにはこちらの方が向いていますが、将棋もちょっとやってみようかと。しかし、ちょっとで済む訳はなく~~~。


というところです。




2024年3月15日金曜日

何も起こらないし、何も変わらない。。。



 

3月8日は国際女性デーでした。


その日の新聞の一面が、「女性と男性の賃金格差は二十代から始まっている。」と報じていました。


もう絶望です。


歳を重ねていくほど、格差はひらいていくと。わたしが初めて就職したときは、すいぶん昔の話ですが、当然のごと給料は違っていました。大卒で一万円ほど開きがあったと記憶しています。


職種が違うからとの説明です。それからセクハラ、パワハラやり放題。もちろん今では少々マシになっていると思いますが、相変わらずの現状です。


毎年、「国際女性デー」は来るけれど、何も起こらずスルーですかあ~。


もうそろそろお迎えが来る年齢です。「もっと、光を~」と。






2024年3月8日金曜日

今、読んでいる本。。。



 

今、読んでいるーーーというか、読みかけの本は、


『チベット幻想奇譚』  チベットの現代作家が描く短編集です。


『最後に鴉がやってくる』  イタロ・カルヴィーノの初期の短編集です。


『サラゴサ手稿』  ポーランドの大貴族ポトツキ(1815年没)がフランス語で著した物語で21世紀に全容があきらかになった大長編です。


『旧約聖書がわかる本』  研究者と小説家の対話集で旧約聖書をわかりやすく解説しています。


『宇宙創成期ロボットの旅』  ご存知スタニスワフ・レムの長編SFです。


『楽園への疾走』 J.G. バラード著作です。彼の本は買えるものはすべて買っています。この本も昔、昔に買ったものですが、未だ読めず……です。



すべて読みかけです。手に取ると面白くてワクワクするのですが、読み切れません。しいからかも?


そんな中でも、『シェイクスピアの記憶』ーーーボルヘスの短編集は読み終わりそうです。「これはボルヘスの文学的遺言であると同時に短編作家ボルヘスの集大成、そして人間ボルヘス最晩年の自伝である。」とあります。


感想文をUPすべく、読み切りますよ。




2024年2月29日木曜日

昨日のコラムです。



「折々のことば」(朝日新聞)


自由という概念は空虚のなかには現れない。   トニ・モリスン


「米国のおける自由の概念は、白人に数え入れられたい人々の、黒人奴隷を自分たちの対極とするようなまなざしの中で形成されていく。」


なるほどなあ~、と、思いました。一つの概念はそれ自体では存在しえない。対立するものが必要。その対立関係において、それぞれの意味が確定するということか。


「自由」と言う言葉は、それ自体だけでは何の意味も産み出さないが(概念は存在するがぼんやりとしていて理解はできない)、「奴隷」という言葉があるからお互いの意味が確定し、理解可能になる。


「善」は「悪」があるから理解できる。


彫刻家は、「わたしが創り出しているのではない。木の中に存在する物が現れて来るのです。」というようなことをよく述べている。ひとつの「概念」を他の言葉で外側から囲んで彫り進め、絡みとっていくーーーというイメージ。


そう言えば、宇宙の物質は反物質があるから存在する。それ自体で存在する物はあり得ないのか。



わたしが「自由」と「奴隷」に反応したのは、奴隷がいなければ人類の繁栄はなかったなあと、思ったからです。「富」は、誰かを「搾取」することでしか産み出せない。全ての富が平均化し、全ての搾取が平均化する時は来るのだろうか……。


蜂や蟻は役割分担があり、一見、支配するものとされるものかのようだが、それらにはそんな概念はなく、「生きる」ということでは、平等です。人類にもそんな日は来ますか。


とりとめもなく、思いました。





2024年2月23日金曜日

最近わかった。


 

囲碁を10年続けていますが、最近ようやくわかりました。少々ですが、囲碁ゲームとは何ぞやーーーです。


なんと「チマチマ」としたゲームなのかと。


将棋は王将を取ると勝ちですが、囲碁には「何をしたら勝ち」ということはありません。もちろん地所を多く取ると勝ちですが。


石を取るという醍醐味はあります。が、別段取られても最終的に地合いが多ければよいのです。相手の石を取って、これ以上対戦者がわたしの石を取っても、わたし以上の石数が得られないとわかれば、「中押し勝ち」で勝利します。ーーーこれが一番気持ち良いです。


互いに石を取れないと、チマチマとひとつふたつと、地を増やしていくことになります。これはこれで、大変な事です。一手、一手の計算が必要。


こういうのが好きな人がいます。いくらこちらが戦いを挑んでも、ノラリクラリとかわします。戦いに乗ってきません。



辛い。


わたしもキライではありません。若い時、監査法人に6年くらい勤めていました。その時の仕事はこんなようなもの。チマチマと帳尻を合わせて行くーーーというような。合うと、それなりに達成感があり満たされます。


が、exciting ではない。


そんなヤツに会うとイライラします。そして、負けます。自爆です。


一時、ヨセに強くなろうと思いましたが、やはり上野愛咲美を狙います。ヨセもそれなりに学びますが。





2024年2月19日月曜日

雑感。


 

この頃、わたしは何故「出かける」のだろう?と思う。と言って、スーパーマーケット以外に出かけるところは、そうそうありませんが。まあ、週三回の囲碁の対戦くらいです。2回は棋院へ、1回は同好会のようなところへです。


もともと、出不精です。家にいるのが一番落ち着きます。まあ、誰にも会いたくないのです。ストレスを感じるから。


それが一番ストレスを感じる囲碁対決にどうして出向いていくのか?


対戦自体は楽しいです。でも、ゲームソフトで対戦している方がリラックスできるし勉強にもなります。相手は全く文句を言わないので、好きなようにできる。しかし、負けると腹が立つ。が、自分の不甲斐なさに腹が立つだけ。ゲームに恣意性はないので、勝ったからといって、個人的なイジワルあるいはサゲスミは無いのです。




という訳で、どうしてか?


人間、どうも人に会うことが必要らしい。仙人にはなれないようです。


と言って、おしゃべりしたいわけではないーーです。「わたし日常会話ができないのよ。」と、友達に言うと(わたしは人付き合いが悪いのに、たまに近づいてくる人がいる。そして、わたしを大好きだという。)、「そんなことないよ~。」って、日常会話ができない人が可哀そうだといった感じでした。


あらまッ。


良いお天気ですね~。とか、暖かくなりましたね~。とかは言える。それ以上の事は言えない。昨日どうしたとか、あの人がこんなことを言っていたとか「あたりさわりのない会話」ができない。わたしの会話は、全て「あたって、さわって」しまうのだ。そして疎まれる。


だから、何も言わずに囲碁対戦をして人の気配を感じるのは、良いかもしれない。なにかプライベートのことを聞かれ始めるとうっとおしいが。まあ、皆さん、対戦の方が大事な様で、勝敗が決まったら、「はいさようなら」といった体なので、やっていけるーーーです。


以上。





2024年2月2日金曜日

コンセンサス 2

 



息子の帰省の時の事である。


わたしは、家にいる時は常にテレビをつけている。薄~くである。かろうじて聞こえるほどの音声で。息子が来た時もそんな状態だった。


僕は、戦争が始まってからテレビは見ていない。

そうなの。悪かったね。音声下げるよ。(消しはしなかった。)


それから政治の話になって、




どこが政権を取ろうが興味ない。何も変わらないよ。


そうだね。自称アナーキストとしては、わたしもそう思うけど、自民党から変わったら、1ミリくらいは前進するかもしれないよ。震災の原発事故の時も民主党政権だったから、少しは透明性が出たかもしれないし。


そうかもしれないが、だいたい65歳以上の政治家は辞めればいいのに。


そうだよ。死ねばいいのに。


死ななくてもいいけど、引退してほしい。




関西系のわたしは、日常会話に「死」がふつうに出るが、息子はその遺伝子を受け継いでいないようだ。「一回死んで来い!」などとは、言わないようだ。


とにかく、65歳以上の政治家は「引退する」か「死ぬ」かで、意見の一致を見た。


またまた麻生氏の発言が物議を醸しだしている。まったく人権意識がないんだね。なんだか生きる亡霊のように森元首相も出てくるし。


まったく、何だかねェ~だ。