2015年2月28日土曜日

「三人の親」……3人の遺伝子を受け継ぐ体外受精について


朝日新聞は、連続で3件の記事を掲載しました。先ずは、225日朝刊で。『新技術英の審議大詰め』です。次はその日の夕刊。『体外受精新技術を承認』です。そして26日朝刊、『「3人のDNA」継ぐ体外受精英で合法化』です。

 

端的に言いますと、ミトコンドリアの遺伝子に問題がある妻が子供を持つと、生まれた子供がミトコンドリア病になる確率が大きくなります。それで、英国はミトコンドリアDNAに異常がある女性に限り、体外受精の新技術を施して良いという法案を上院で通過させたのです。そして、それが下院でも承認されるかが問題点だったわけです。この26日に下院でも通過しました。これで英国では、この技術が合法となりました。世界で最初の合法化です。

 

その方法は、ミトコンドリアDNAに異常のある女性の卵子と夫の精子を体外受精させ、受精卵から核を取り出し、その核を健康な別の女性の卵子で作った受精卵から「核を取り除いた」後に移植する。つまり、受精卵の核は夫婦のもの、その他の部分は別の女性のものです。それで、3人の遺伝子がひとつの受精卵に存在することとなります。ただし、別の女性の遺伝子は、ミトコンドリアDNAのみです。その受精卵はもとの妻の子宮に戻されます。

 

一人の人間が3人の遺伝子を引き継ぐということは、自然界ではありえません。そして、そのありえない遺伝子は、その後も永遠に子孫に受け継がれていくのです。反対派は、それは親の希望に答える「デザイナーベビー」に繋がるのではないかと示唆しています。賛成派は、すべてのDNAのうちミトコンドリアDNAが占める割合は1%未満だということ、そして、「ミトコンドリアDNAが第三者のものでも、その人の本質は変わらない」という専門家の意見によっています。

 

「次世代に影響が残る生殖細胞は改変しない」というのが、世界のルールだということです。今回の合法化はそのルールに違反しています。が、「人間の主要な遺伝子情報を持つ核を直接改変していない」というところが拠り所のようです。とにかく、この技術は、合法化されました。現在は、英国のみということになりますが、今後はわかりません。次々と先進国は、この技術を推し進めて行くでしょう。そして、中国やインドやエトセトラエトセトラと。

 

 

そういうことです。やはり今回も最初は英国でした。こんなことを考えだしそうな国です。つまり、ムチャ、合理的っていうこと。思うに、試験管ベービーを最初に成功したのもイギリスでした。生理学者ロバート・G・エドワードが1978年に最初に成功したとあります。女の子が生まれました。そして、約30年後、わたしは新聞で「試験管ベービーにも生殖能力があると認められた」という記事を見ました。

 

「なんや、そんなこともわからんで、試験管ベービーを作り出しとったんか。」というのが、私の感想でした。

 

今回も、専門家は、「長期的に影響の有無を調べる必要がある」と述べています。「なんやねん!」。そんなことを調べられる対象の「ベービー」になるのは、どんなものなのでしょうか。現在、試験管ベービーたちの「どう生きてきたのか」ということを主張する団体もありますよね。

 




 

話題は、ミトコンドリアに移ります。

 

わたしは、本を一冊くらいは出版してみたいなと思っておりますが、小説は難しそう。それで、本の感想文だけを書いた小説もどきのものが書けないものかと、思案しています。その第一章を『ミトコンドリアが進化を決めた』という本にしようと計画しています(計画倒れの可能性は大)。

 

生命がこのような形で進化できたのは、ミトコンドリアのおかげのようです。地球に生命が誕生し、細菌くらいまでになったとき、細胞同士は「喰ったり喰われたり」の関係でした。ミトコンドリアも細菌でしたが、あるとき、ひとつのミトコンドリアが他の細菌に取り込まれた時に吸収されないで、そこに留まったのです。一つの大きな細菌の中に取り込まれたミトコンドリアは、その宿主の中で共生関係を結んだのです。それが、たった一個の偶然だった事は、生命にいろいろな種類の形態がないことで明らかです。この偶然がなかったら、地球上には未だに細菌程度の生命しか存在していません。だから、ある人は、宇宙に人間のような生物が存在する可能性は非常に低いと言っています。

 

ミトコンドリアは、違う細菌に取り込まれて、移動の自由は失いましたが、DNAは消滅していません。ミトコンドリアDNAは、女性を通して引き継がれていきます。男女ともミトコンドリアDNAを持っていますが、生殖活動の時、精子の中のミトコンドリアDNAはすべて抹殺されます。卵子の中のミトコンドリアDNAだけが残ります。だから、このミトコンドリアDNAを追跡して、アフリカに「人類のイブ」が存在していたのだということがわかったのです。ちょっとあいまいですが(本を読みなおせばわかると思うが)、この受精卵の時に、精子のミトコンドリアDNAが全滅しないで残ると、ミトコンドリア病になる原因となると……、確か書いてあったと。

 

 

どうです。これでふたつの話題が繋がったと思いますが。。。







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2015年2月21日土曜日

ステキな妄想


わたしは携帯(もちろんスマホも)を持っていません。で、時間をつぶす時どうするのかと聞かれます。でもそんなものは必要ありません。トピックがひとつうかべば、後は簡単。次から次へと妄想が膨らんでいくからです。時に、英語で妄想を始めれば英語の学習にもなります。この場合、辞書は必要ですが。わたしは、研究社の電子辞書を使っております。

 

しかし、反対にまずい点もあります。考えなければいけないことがあるのに、妄想でどんどん脇道にそれて行ってしまうことがあるからです。それは先日の「抗日映画で米アカデミー賞に挑む」でした。英語クラスのためのプレゼンなので英語でどう表現するかを考えなければなりませんが、ついつい「わたしがこう言うと先生やクラスメイトはこう言うだろうなあ。そうするとわたしはこう言う。すると皆はこう言う。」と妄想は膨らむばかり。

 

 

ご存じの通り、中国には抗日番組を一日中流しているテレビ局があります。最近では、中国のインテリ層もそんな番組にウンザリしていますが。中国政府も規制に乗り出すようですけど。「抗日映画で米アカデミー賞に挑む」は、そんな抗日フィルムに出演している日本人俳優の紹介コラムです(朝日新聞)。彼、三浦氏は、北京に留学し、16年前に役者に転向しました。それも抗日映画の。16年間で約80作品に出演しています。いつも日本の「悪い」有名な将軍の役。山本五十六や東条英機など。そして、中国人の監督がそんな映画でアメリカのアカデミー賞に挑戦しているというおハナシです。今のところ、ショートストリー部門でベスト10に入っています。

 

で、わたしの意図は、「芸術作品はそのジャンルを問わずどこにでも存在しうる」ということなのです。でも、話はきっと中国対日本の政治的問題の方に発展していくだろうなと思いました。その方向にわたしの妄想も進んでいったわけです。実際、クラスの一人は、きっと中国系アメリカ人のロビイストが、手を廻してアカデミー賞にノミネートさせたんだ、と言いました。

 

そちらの話題にもわたしの妄想英語のおかげでうまく英語で対応できましたが、わたしの意図はどこかへ飛んで行ってしまいました。なので結局、歌舞伎の『ワンピース』の話までは進みませんでした。

 



 

わたしのこのプレゼンはこんな感じです。もちろん、論文ではないので文章は練ってありませんが。

 

I read ASAHI NEWSPAPER.  They feature one person in their every morning newspaper.  This time I chose him whose name is Miura Kenichi, 51 years old.  He was born in Tokyo.  He studied about China in the graduate school of Aoyamagakuin University.  After, he has gone to Beijing to study more.  Then, 16 years ago, he converted to an actor. 

 

He always plays a Japanese soldier in Propaganda movies against Japan in China.  He says that his roles are Japanese famous officers or war criminals like Yamamoto Isoroku or Tojo Hideki.  But he always considers those characteristics which he acts. 

 

His Japanese friends say that he must have terrible experiences as getting famous in China.  Whereas his Chinese friends say that he would face difficult situations when he returns to Japan.  But, he himself says that his jobs were less than before when anti-Japan campaigns were occurring in China recently, but just that. 

 

The reason Asahi Newspaper picked him up in their column is one of the Chinese directors now tackles to enter Academy Award in the US with such a movie.  I don’t know its title because it is in Chinese. The meaning is maybe “Keep being alive”. The story is roughly that; His role is a commander.  His troopers intrude into an isolated village to kidnap young women.  Then one girl hides herself into a jute bag.  He unconsciously passes it.  I guess, after this its main theme starts.  Also, I guess that the Chinese director intended to describe a savage Japanese soldier’s conscience. 

 

The director asked him if the movie will be released in Japan.  He answered the movie would be risky for both countries.  Japanese people could be upset because of the scenes that Japanese army continuingly plunder villages.  And it causes to make them against China.  About Chinese people, they could not accept a Japanese soldier’s conscience; remorse or a pang of guilt.

 

This movie remains in the best 10 out of 141 films of the short stories’ department.  This month it will move to the final stage.  I don’t know its consequence yet.

 

 

こんなところですが、わたしの妄想は「なぜ、未だに中国は日本を敵視しているのか。ドイツはヨーロッパでうまくふるまっているのに」の答えを求めて彷徨っていたのです。それは、ヨーロッパという同等の国同士であること。同じ規範を共有している事。ドイツは「ナチスドイツ」という別のドイツを責任の所在として手に入れたこと(もちろんドイツ人はその責任を放棄はしていませんが)。

そして、日本の軍隊は皇軍であったこと。日本人は戦争の責任を天皇陛下に押しつけて、別の次元には行けなかったこと。もし、占領軍のGHQが昭和天皇を戦犯として処刑して、日本が共和国になっていたら事情は変わって、「一般」日本人は、素直に戦争の罪を認められたかもしれないこと。その場合は、アメリカに対する新たな抵抗運動が起こっていたかもしれないこと。そして、中国と日本がその時点で対等でなかったこと。今、経済的に対等の立場になって、あらためて「日本排斥運動」が起ったのかもと。

 

 

 

ああ~、妄想が膨らみそうなイイ本を読みたい!!!






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2015年2月14日土曜日

『昆虫はすごい』… 読み終わりました。


昆虫に学術的に興味があるわけではありませんが、昆虫の存在自体に興味があります。なんせ、太古の昔からこの地球に存在し、地球上の生物のほとんどは昆虫が占めていると言っても過言ではないようですから。そして今なお、新しい種が発見されています。著者によりますと、「『新種発見』というのはすごいようですが、それ自体はあまりたいしたことはない。(なぜなら、今知られている昆虫の種の同数あるいはそれ以上の知られていない種が存在するから)それが新種であると科学的に判定することがたいへんなのだ。」ということです。

 

著者は、丸山宗利氏。1974年生まれの農学博士。アリやシロアリとの共生昆虫の多様性がご専門で、アジアでは第一人者です。彼は、あとがきで「昆虫により親しみを感じていただくために、ところどころ昆虫とわれわれヒトとを対比している。……、昆虫の本能的な行動と、人間の学習的な行動では意味が異なるし、昆虫の種間の関係と、ヒトの個体間、集団間の関係とは全く別物である。……、そのことだけは念を押しておきたい。」と述べていますが、そのことを踏まえつつも、「ヒトで言うとこんなことか」という例えは、とてもおもしろいですよ。とりわけ、学術的な興味を欠くわたしのような者には、そんなところに魅かれるのです。

 



 

昆虫の種がものすごく多彩なのは、変態と飛翔に関係があります。昆虫では、「無変態」が一番原始的な状態です。そこから翅を持つものが現われ、さらに変態という武器を手に入れました。昆虫が翅を持ったこと、そしていろいろな場所に移動できたこと、そしていろいろな環境に適応していったこと、それが多様性を生みだしました。

 

環境への適応、これがまた凄い。他の生物との共生です。植物との共生関係はご存じの通り、食べ物(蜜・花粉など)を戴いて植物の繁栄のお手伝いをすることなど。つまり、共生相手との関係性において、より良いように進化していきます。植物の方もただ搾取されままではない。彼等もそれによって進化していきます。例えば、虫を殺す毒を生成する。虫の方は、その毒を分泌する腺を断ち切る方策を考える。また、昆虫が寄り付かないように殺し屋(蜂など)を飼っている植物もいます。

 

また植物を食すのではなく、肉食の昆虫同士での切磋琢磨では、食料である昆虫の死体が日持ちするように、麻酔薬で生かさず殺さずの状態にしておくとか、それを戴く幼虫もその昆虫が死なないような場所から食していくのです。残酷なようですが、これが生の営みなんですね。あるいは毒ガス攻撃、秘薬で引きつけて捕獲するとか。また、ゾンビ状態にして巣穴まで誘導するとか、「わたしは毒を持っているわよ~」とばかり、肢体を極彩色にしてあらかじめ警告を発し、襲われないようにするものもおりますよ。

 

擬態もあります。強い腕力のある虫に擬態する、食べると毒のある虫に擬態するなどです。ここで、おもしろい指摘がありました。擬態する昆虫の個体数は、擬態される昆虫の個体数に比べるとほんのわずかだということ。真似している方が多いと、「なんのこっちゃ」ということになるのです。つまり、強い奴だと思ったら、弱かったとか、毒があるかと思ったら美味しかったとか。こういう経験をする昆虫が増えると、擬態する意味がなくなるということですね。

 

 

すべてのこの世界の生き物の目的は、自分の遺伝子をより多く残すということです。「利己的な遺伝子」ですね。とりわけ昆虫の一生は、生まれて生殖作業をして、「死ぬ」です。そのためにもいろいろな技術を昆虫たちは手に入れました。メスがオスを引き付けるフェロモンの感知能力、オスがメスを呼ぶための「声(振動)」など。また、贈り物作戦もあります。と言っても食料ですが。メスのためあるいは生まれてくる幼虫が餌を探さなくてもよいようにと…です。著者によりますと、究極の「贈り物」は自分自身。言わずと知れたカマキリです。

 

自分の遺伝子を最優先にするための作戦もあるようです。交尾後に粘液を出して、メスの生殖器を閉鎖するもの、ずっと交尾したままの状態を保つもの。つまり他のオスに交尾のチャンスを与えないのだ。しかし何事にも対抗策はありますよね。生殖器を封印されたメスが自らそれを取り除く手段を考案するとか、先を越されたオスが、先のオスの精子を取り除いてから事を運ぶとかです。何事もままなりませんよね。

 

 

このように昆虫のお話の「種は尽きまじ」ですが、最後にとても唸ってしまったことあります。「人が作り出した昆虫」です。昆虫は環境に応じて種に変化が現われると書きましたが、その伝で人類がこの世界で繁栄し出してから人類に合わせて進化した昆虫たちです。例えば、ヒトにしか共生しないヒトジラミ。イノシシが家畜化したブタにつくブタジラミ。人がブタを作りだしたのだから、これも人が作った昆虫となるでしょう。また、カイコは世界で唯一の家畜化昆虫で、彼らは自らの力で自然の中で生きることはできません。ミツバチなども人の手により品種改良が進んでいます。

 

 

以前、『動物が幸せを感じるとき』という本について書いた時、豚とか牛、鶏と人の関係を著者は「共生」と述べているが、共生ではなく「搾取」だとわたしは書きました。今回の本の著者は、逆説的ではありますが動物の使命がただ自分の遺伝子を残すことであるとするならば、家畜は人を利用して繁殖に励んでいるのかもしれないと言っています。昆虫の共生関係からの言及です。もちろん「本気」ではありませんが。という事は、動物の幸せとかそんなことは抜きにして、彼らは「生まれて、子孫を残し死ぬ」という循環で生きているのであれば、その生活の充実度は度外視して、人はその循環のお手伝いをして、食べ物を頂戴していると考えても良いのかもしれませんね。








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2015年2月7日土曜日

「抗日映画で米アカデミィー賞に挑む」


前回の英語クラス「トピックス」でのわたしの発表は、「難し過ぎる」と言われちゃいました。「オランウータンの『人権』について」です。難しいかなあ。今回はアメリカ人の先生で、anthropoidという単語を知りませんでした。一人の生徒は「類人猿」という言葉を知りませんでした。

 

で、今回は朝日新聞が毎朝掲載している「ひと」からにしました。朝刊で毎日ひとりの人物を紹介しているコラムです。わたしが選んだのは、「抗日映画で米アカデミィー賞に挑む」です。

 

三浦研一さん51歳。彼は、中国の抗日映画などで日本人の軍人の役を長年務めています。写真も掲載されていますが、見るからに迫力ある強面の軍人タイプです。今まで約80作品に出演し、明治の頃の作品では陸奥宗光、昭和では山本五十六、東条英機、土肥原賢二などだそうです。

 

東京下町育ち。青山学院の大学院で中国の研究をし、北京に留学。そこで役者に転向しました。16年の芸歴です。

 

彼の言、

「名将と戦犯(彼が演じた人物)、どちらも人間。中国一般の視聴者には敵役でも、個々人の内面は演じ分けます。」

 

日中相互理解の「捨て石」と自称しています。日本人の友人は、中国で顔が売れると怖い目に遭うだろうと言われ、中国の友人は、日本に帰ると大変な目に遭うぞと。本人曰く、反日デモの時は仕事が減ったが、心配することは何もないとか。

 

米アカデミィー賞の審査を待つ作品の詳しい内容はわかりませんが、『活下去(生き続けろ)』と言う題名で、彼が扮する日本軍の隊長が中国の寒村に踏み込み、若い女性を拉致する話のようです。その中で、麻袋に身を潜めた少女をなぜか見逃してしまいます。中国の監督は、どうも野蛮な日本兵の中の「良心」を描きたかったようです。

 

日本軍による収奪場面の連続は、日本人の間に反中感情を引き起こしそうであるし、日本兵の良心という主題は中国内では相当きわどい問題あると、日中両方で批判を招きそうです。この作品は米アカデミィー賞、短篇実写部門ノミネートされ10作品の中に残りました。2月に本選を迎えるそうですが、今のところこれに関する報道は見かけておりません。

 



 

ここでわたしのポイントは、「どこにでも、どんなものからでも芸術は生まれるんだ」という事。才能ある人は、どんな題材からも己の志向を表現できるのだあ。高倉健さんが、死去されましたが、彼の東映映画は世間を席巻しました。その頃、「ヤクザ映画」の波に乗れなかった日活は、「日活ロマンポルノ」路線を引きました。低予算で内容も裸体を出さなければNGとかありましたが、かえってそれだけをクリアーすればOKと監督たちは自分の自由な発想で作品を制作できたようです。その中から数多の優れた監督、俳優が排出されました。

 

もうひとつ気になるのが、尾田栄一郎さん作「『ONE PIECE』が歌舞伎になる!」ということ。四代目市川猿之助さんが主演です。今年10月、11月に上演予定です。そもそも歌舞伎は、江戸時代庶民のものでした。それが、明治政府の「欧米列強」に負けるなというスローガンのもと、オペラに匹敵する日本独自のものを見つけよという指令で、見出されたのです。なので、結局、歌舞伎もコミックも同じ土俵のものと言えましょう。

 

ONE PIECE』は、世界中で読まれています。累計3億2千万部以上とか。登場人物も日本人とも何人ともつかぬ人たちですが内面はしっかり昔ながらの日本人。実際、見栄を切ったりとか、仇討だったりとか、歌舞伎の十八番が満載なのです。(余談ですが、アメリカ・ハリウッド映画が世界を席巻し、アメリカンな思考・志向・指向を世界基準にしたように、日本のコミック誌も日本の思考を世界基準にまで押し上げてくれると……良いな、っと思う所であります。)

 

 

これも同様、至る所に芸術ありではと。。。






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2015年2月2日月曜日

The Masque of The Red Death by EDGAR ALLAN POE


今回のREADINGクラスのショートストーリーは、ポーのThe Masque of The Red Deathです。赤死病の仮面とでも訳すのでしょうか。ゴシック・ホラーの様相。世界の名著からいつも選んで来るクラスメートの選択です。世界の名著にポーも入っていてよかったあ。ようやく私好みの小説が登場しました。

 

が、読んでみると少々難物です。というのは、ポーはミステリーやホラーの作家であるとともに詩人でもあります。詩は読解するには難しいですよね。倒置法とか省略とか……。

 
 
 
 
 

内容をもろシンプルに言いますと……、

 

赤死病が流行し、その病にかかると人は赤い斑点ができそこから血を噴き出して死に至るというもの。

 

THE “RED DEATH” had long devastated the country.  No pestilence had ever been so fatal, or so hideous.  Blood was its Avatar and its seal---the redness and the horror of blood.

 

そこで、the Prince Prosperoは、廷臣や友である伯爵や男爵あるいは即興詩人や道化師、ダンサー、宮廷楽師などをひきつれて、赤死病から逃れるために、彼の城閣のある修道院の一つに立て籠もります。

 

When his dominions were half depopulated, he summoned to his presence a thousand hale and lighthearted friends from among the knights and dames of his court, and with these retired to the deep seclusion of one of his castellated abbeys.

 

その中には、奇妙な部屋が7つあり、それぞれの部屋が、それぞれの色で調和的に装飾されミステリアスな雰囲気を醸し出しています。そして芸術的に。そのひとつが、黒の部屋。そこには黒の重い緞帳が壁の天井から床まで垂れ下がっています。しかし、他の部屋とは違い同じ色で統一されていませんでした。窓ガラスが深紅。まるで真っ赤な血のような色。そこには恐ろしい雰囲気が漂いだれも近づきませんでした。

 

The seventh apartment was closely shrouded in black velvet tapestries that hung all over the ceiling and down the walls, falling in heavy folds upon a carpet of the same material and hue. But in this chamber only, the color of the windows failed to correspond with the decorations. The panes here were scarlet---a deep blood color. 

 

赤死病がクライマックスを迎える頃、the Prince Prosperoは仮面舞踏会を盛大に催します。そして真夜中を過ぎた頃、パーティの参加者の中にひとりの見知らぬものが紛れ込んでいる事がわかります。そのことは、人から人へと囁かれ、the Prince Prosperoのところまで届くことに。

 

彼は怒り狂って剣を振り回し、その人物を黒の部屋まで追いつめます。そして、剣をその人物に振り下ろすと、その中味はエンプティ。the Prince Prosperoは、その場に倒れ死に至りました。そこから、赤死病に一人一人と罹り、順に死んでいくのでした。完璧に防護された城の中に赤死病が潜みこんだのです。全ての人が死に絶えました。

 

He bore aloft a drawn dagger, and had approached, in rapid impetuosity, to within three or four feet of the retreating figure, when the latter, having attained the extremity of the velvet apartment, turned suddenly and confronted his pursuer. There was a sharp cry---and the dagger dropped gleaming upon the sable carpet, upon which, instantly afterwards, fell prostrate in death the Prince Prospero.

 

この次が解釈するのに少々難しかったのですが、つまり、エンプティでよかったのかなあと。

 

------seizing the mummer, whose tall figure stood erect and motionless within the shadow of the ebony clock, gasped in unutterable horror at finding the grave-cerements and corpse-like mask which they handled with so violent a rudeness, untenanted by any tangible form.

 

 

赤死病は、黒死病のアナロジーととらえる向きもありますが、ポーが寓話(モラル・テール)を嫌っていたという研究があり、それは間違いであろうと言われています。やはりミステリアスな美しい世界を描いたということでしょうか。

 







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