2014年8月31日日曜日

「姥捨て山」考


松本人志大先生が、「『姥捨て山復活法案』をもうそろそろ通したらええやん。」と言っていました。センセーショナルですけど…わたしもそう思います。人類は、長生きすることに邁進していますけど、「中味はどうなん」と言うことですわ。平均寿命は延びたけど、健康寿命と一致していません。日本に関して言えば、健康で暮らせる平均年齢はやはり、「後期高齢者」と呼ばれる75歳までです。以前、『寿命100歳以上の世界』(著者:ソニア・アリスン)という本を紹介しました。近い将来、人は150歳まで生きられるようになるそうです。もちろん、健康寿命も長くなるとは書かれていますが、健康でなくなってから、死に至るまでの長~~~い人生をどのように生きられるでしょうか。

 

私が若かったころ、30年くらい前(?)、車で道を走っていても、救急車にでくわすことは、ほんとうにまれでした。年に1~2回かな。出くわしたら「ラッキー」てな感じでした。それが、今では、日に3回くらい出くわします。もちろん、誰が乗っているのかはわかりませんが、勝手な想像で、「ああ、また老人がどうかなったんだ~。」と。

 


 

オランダやベルギーなどの欧米(どの国かわかりませんが数カ国)では、「安楽死」が合法化されています。安楽死とは、日本で言う「尊厳死」ではありません。日本の尊厳死は、もう病気で助からないと言う時、ライフラインを絶つことです。あるいはモルヒネを打つとか。この行為も日本では、自殺幇助の罪や殺人罪に問われていました。今は、場合により認められているようですが。

 

オランダやベルギーの「安楽死」は、確実にその人の意思により「死を選ぶ」というものです。オランダのアネカさんという人が、安楽死を選んだ経緯を取材した記事を読んだことがあります。アネカさん(89歳)は、目や耳が悪くなり、もう今まで通り日常生活を送ることはできないと、安楽死ができる薬を求めます。それだけのことで死を選ぶ事には、いろいろ反応があったそうですが、結果、彼女の家庭医がその役目を引き受けました。彼女はいつ死ぬかの日にち・時間を決め、その時刻に彼女の家庭医が彼女の家を訪問します。そして、錠剤を手渡します。彼女は、静かにその薬を飲み下しました。そして、眠るように亡くなっていったのです。

 

世界で初めて「安楽死」を法制化したオランダでは、12歳以上が条件だそうです。ベルギーでも18歳未満の安楽死を認める方向です。あるいは、もう合法化したかもしれません。最近、そんなニュースを読んだような気もします。日本では、安楽死の合法化の問題に議論さえ起っていないのが実情です。

 

 

そして、つい最近の新聞記事です。「スイスへ相次ぐ『自殺ツーリスト』」

 

末期がんの患者たちが自殺を手助けするサービスを求めてスイスに訪れています。外国人「自殺ツーリスト」は2008年からの5年間で600人を超えたという記事です。

 

スイスでは、終末期の病人に対する医療従事者の自殺幇助が認められています。2008年から12年に欧州を中心に31カ国の611人が死亡したと認定されました。ドイツ人268人、英国人126人、フランス人66人、イタリア人44人、米国人21人、オーストリア人14人。日本人はいなかった模様。チューリッヒでは、「外国人に対する自殺幇助の禁止」を求める住民投票が実施されましたが否決されました。

 

 

こう見て行くと、「楽に」死ねるのも、スイスに旅立てる先進国の金持ちの特権みたいですね。日本でも、貧乏人も楽に「ホケン」で死ねるときが来るでしょうかね。





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2014年8月27日水曜日

「気候工学」とか……


前回の「脳の話二題」の最後に、「これだけ人類がいろいろなことをやってくれたら、『もういいや』って気になっちゃいますね。」と書きました。ちょっと言い過ぎかなとは思ったけど、それは、その前のニュースで読んだ「気候工学」が頭にこびり付いていたからです。

 

二酸化炭素の排出量増加による地球温暖化など、この頃の地球の天候はわけがわからなくなっています。そこで、二酸化炭素をたくさん排出する石油など化石燃料の使用を抑えようと言う取組とともに、違う側面からこの問題に取り組んでいる人たちがいます。七月末に欧米の専門家たちがドイツのハイデルベルグ大学に集まり研究会を開きました。

 

気候工学と呼ばれる技術を使って気候に手を加えるのです。その方法も多彩なようですが、有望なのは、成層圏に硫酸の粒子状のものを注入するもの。費用も割と少なくて済むそうです。二酸化炭素を抑制する為に使うお金の1%もあれば足りるとか。地球を覆う日傘を作ると言う発想です。「気候を改造したい」という考えは、新しいものではないのですが、なにしろこのご時世、俄かに脚光を浴び始めました。

 

記者は、「でも、何だか、環境破壊を抑え込むために、別の環境破壊をするような~~~」という感想をもらしますが、彼らは、「その通り。でも、それがどうした?」と。「もし今が西暦1500年で、人類が石炭や石油を使おうかどうしようかと考えているのなら、そういう議論をしても良い。現実には70億以上の人間がいて、毎年、100億トン以上の化石燃料を燃やしているのだ。」と。

 

米ラトガーズ大学のアラン・ロボック教授はこの試みによるいろいろなリスクを上げていますが、今年はリスクだけではなく「利点」も上げています。

 

「出来る限りの努力をしても、ひどい温暖化が進むことがあれば、私たちはいずれ、こう自問しなければならない。気候工学が危険なのか、それとも使わない方が危険なのかと。」

 

記者は、気候の改造など人間が手を下していいものなのかと思う一方、「我々は、もう後戻りできないほど、気候を、地球を改造してしまったのではないか」と自問しています。

 


 

もうひとつ、我々人類は後戻りのできないことをしているのではないかと思わせる記事があります。それは、微生物に外から別のDNAを組み込んで新たな生物を作り出していると言う事実です。取り立てて目新しいことでもなさそうと思われるかもしれませんが、実際、研究段階ではなく企業が作りだしているとなると、話は別のものになってきませんか。

 

フランスのベンチャー企業、グローバル・バイオエネルギー社は(なんだかバイオハザードを地で行くような)、ガソリンの基を吐きだす微生物を造り出しました。三井化学は、簡単に言うと、大腸菌からプラスティックを造り出す研究に取り組んでいます。また、アメリカでは、イースト菌に別の遺伝子を組み込み、マラリア治療薬の原料を造ることに成功もしています。

 

これらの改変された微生物が、研究室から外に漏れだしたら、地球の生態系はどんなことになってしまうのか想像もできません。でも、それだけ人類はそこから恩恵を受けることになるので、……、もう後戻りはできないんでしょうかね。
 
いつだか忘れましたが、5,6,7,8年前、遺伝子組み換えをした、実験用のラットが成田空港で逃げ出して、捕獲はされたものの、そこで繁殖行動をしていたらどうなっていたのかと大問題になりました。関係者は、「すぐに捕獲したので、そんなヒマはなかった。」とコメントしているんですけどね。






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2014年8月21日木曜日

「気になるニュース」……二題


8月16日の新聞記事で、とても興味深いニュースを見つけました。ラットの細胞から「人工脳」を創ったというニュースです。

 

記事によりますと、アメリカ、マサチューセッツ州、タフツ大の研究スタッフが、神経細胞を特殊な物質で培養して、原始的な「脳」を人工的に作り出すことに成功したといいます。人間の大脳は、糸状の神経線維が集まった「白質」の表面を、神経細胞が集まった「灰白質」が覆っているそうで、二重構造を示しています。

 

で、研究では、絹でできたスポンジ状の物質にラットの神経細胞を含ませて培養し、神経細胞がこの物質を足掛かりにし成長することを確かめました。そこで、この物質をドーナツ状にして培養し、ドーナツ部が灰白質、中央部が白質の脳の様な立体構造を得たということです。

 

人間の脳は、外傷に対して化学物質や電気信号を発することがわかっていますが、この得られた人工脳らしきものにおもりを落とし、刺激を与えたところ同様な反応が見られたそうです。

 

脳の研究には、実際の脳組織(霊長動物かヒトの遺体から)が使われていましたが、これで、人工脳からの脳研究が可能になったということです。脳の仕組みや性質、外傷や薬物に対する反応を調べることができるそうです。この大学の教授カプラン氏は、現在、人間の細胞による立体的な「脳」開発の研究中だそうですよ。なんとね!

 

 

この記事は朝日新聞からのものです。それで、英語の学習に役立つかと検索したところ、多くの英文の記事が見つかりました。そのひとつを読んでみました。わたしが読んだものは、アメリカの新聞からのものではく、科学ブログを書いている人の物のようです。多少、朝日新聞との食い違いがありました。

 

ひとつは大学名が違う。「by a team at the University of Pittsburgh」となっています。作り方や人工脳の形状は同じです。もうひとつは、朝日新聞では単に「刺激に反応」とありますが、ここでは、「12秒間の記憶」とあります。

 

----the team found that when they stimulate the neurons with electricity, the pulse would circulate the microbrain for a full 12 seconds.  That’s roughly 12 seconds longer than they thought it would (they expected the pulse to live for about a quarter of a second).  That’s essentially short-term memory.

 

 

この英文のブログの書き出しは次の様;

 

It’s not artificial intelligence in the Turing test sense, but the technicolor ring you see above(この文の上に写真あり) is actually an artificial microbrain, derived from rat train cells---

 
 
 
 

それで、ふたつめのニュースです。8月8日の記事から『コンピュータまるで「人の脳」』。人間の脳のように同時並行的に情報を処理するコンピュータ・チップを米IBMが開発した、と書かれています。

 

従来のコンピュータは人がプログラミングをして、コンピュータがそれを実行するというもので、コンピュータ自身が何かをしているわけではありません。が、開発されたチップは、脳の神経細胞が外部の刺激で変化しネットワークを形成して情報を処理するように、入力に応じてデータの流れが変わり、「電子部品である素子がネットワークを構成」してデータを処理します。

 

データを与えるほど、学習して認識機能が向上するということで、実際、大規模コンピュータはフェイス・ブックなどSNSとリンクして日々学習に励んでいます。このチップによって、そんな大規模コンピュータでなくとも、ふつうのロボットや家電や自動車がこの機能を持つことになります。今後は、チップをロボットに組み込んで「猫並みの」情報処理能力を実現することを目標に掲げているとか。これは、東大准教授、河野崇氏によりますと、神経細胞の働きをまねた素子を、人の大脳のように大規模なネットワークに組み立てる技術の基盤ができたという意味だそうです。

 

 

どうですか、この「脳の話」二題は。これだけ人類がいろいろなことをやってくれたら、「もういいや」って気になっちゃいますね。「自然との共生」とかなんちゃらかんちゃら、「行くところまで行ったら!」って。もう取り返しのつかないところまで来ているのならね。




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2014年8月17日日曜日

「囲碁祭り」に行ってきました。


自己紹介欄に「そうそう、囲碁を始めました。」と書いてありますが、囲碁の話はなかなかUPできません。そんな語れるだけの棋力はないからです。でも、先日、東京に行って「囲碁祭り」に参加してきました。

 

なぜ行くことになったかと言うと、東京に居る息子に会いに行ったからです。「息子に会う」と「囲碁祭りに行く」と、どっちがメインでどっちがついでなのかが、いまいち不明なのですが…。まあ、とにかく14日が息子の誕生日なので、そのあたりに東京に行こうかなと思ったら、「囲碁祭り」開催(14日、15日)のお知らせを聞いて、どんなものか見てみようかなと東京行きを決心した次第です。

 

先ずは、お盆のシーズンということ。新幹線のチケットは買えるのでしょうか。わたし、日本を旅行する経験は、数えるほどなんです。金券ショップでは、その時期のチケットは買えませんでした。まあ、駅に行けばどれかの新幹線には乗れるだろうと、その場まかせで行くことにしました。

 


 


息子との邂逅の話はともかく、「囲碁祭り」のことです。ふだん家に閉じこもっているので、すべてが始めてのことばかり。「囲碁祭り」開催のホテルの近くのホテルに宿泊しました。だって、開催のホテルの宿泊料金は12万円だったんですもの。開催は10時から開場は9時半でした。9時半に行ったってどうせ何もないから10時ギリギリに行こうと思ったんですが、ホテルで何もすることがなかったので、9時半に行きました。徒歩1分だったので。すると、もう列が出来ていました。「そうだ、早く行って良い席を取るんだ。」と、今さらながら思い起こしました。

 

という訳で、中央の前から3列目の良い席を確保。何のためかと言いますと、目の前で棋士の対戦が見られるのです。壇上ではその解説です。NHKの囲碁番組に出てくる人々が、目の前に現われました。アイドルを応援するって、こんな感じかしらと、我ながら自分のミーハーぶりに驚きました。午前中に2局、そして、お祭りの最終に、メイン・イベントとして、その勝者の決勝戦が催されました。その間に、「一色戦」とか「目隠戦」が花を添えました。9路盤でしたが、目の前で見られて面白かったです。「一色戦」とは、両方の対局者が同じ白石を持って戦うのです。どちらがどの石を打ったかをすべて記憶しておかなければいけません。もちろん観客は、解説の碁盤で白黒はわかりましたが。

 

アンガールズの田中の「囲碁トーク」もありました。全然期待していませんでしたが、やはりテレビに出ている人ですね、面白かったです。テレビ番組では「イジラレキャラ」で、いいとこなしですが、素人の(まあ、テレビ慣れしている棋士は半分タレントのようでしたが)間に入れば「やることはやる」というところです。結構笑いを取っていましたよ。

 

最後は、パーティです。パー券は1万円でしたが、「毒を食らわば皿まで」の勢いで参加しました。「祭り」に出演していた棋士たちも参加していて、サインとか写真撮影にも応じていましたよ。わたしは、実のところ2級の免状を持っています。実力は多分6級くらいですが。この免状を認定してくれたのが結城先生。それで、チャンスがあれば、この免状に結城先生のサインをもらおうと虎視眈眈。結果は、上々。張先生のサインも戴いて、満足、満足…といったところです。

 

 

こうして、わたしのお盆休み(?)、東京行きは終わりました。次の日の朝、即名古屋に帰ってまいりました。「観光する気力は残っていません」というところです。たまには、外に出かけるのもいいなあと思いました。でも、ただひとつビックリしたことは、新橋の喫茶店に入ったところ、コーヒーが「なんと」800円もしたのです。驚いた!トウキョウはスゴイ所だね!

 

 





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2014年8月12日火曜日

『去年を待ちながら』


フィリップ・K・ディックの小説です。わたしは、20代の頃から彼の大ファンでした。しかし、30歳から40?歳くらいまでは生活に追われ、本をじっくり読む暇はありません。仕事と家事と育児に追われる日々です。でも、彼の本だけは翻訳されるとすぐに買っていました。お金もなかったので、文庫本ですが。その時の言い訳は、「老後の楽しみのために」です。

 

という訳で、その老後が来てしまったんですネェ。ディックの本は30~40冊持っていますが、そのうちまだ読んでいない本が現時点で7冊です。『去年を待ちながら』が読めたので、あと7冊になりました。わたしは、若かった時の自分の「命令」で彼の本を読んでいると言うことです。

 

 

この本を読んでいて、そんな状況が「似ているなあ」って思ったのでした。いつもの如く、彼の作品には精神を病んだ人とドラッグと未来と過去が入り乱れた世界が描かれていますが、今回はドラッグを飲むと、過去や未来に行ってしまうという設定なのです。つまり、過去の自分から情報を得て、現在や未来の世界を変えていくと言うような…。わたしは、過去のわたしに会ってはいませんが、過去のわたしの遺言を忠実に実行しているよなあ…、って感じです。

 



 

本の粗筋を書くと「なんて陳腐な」と思われてしまいそうですが、こんな感じです。

 

宇宙人が出てきます。リリスター星とリーグ星です。我々人類とリリスター星人は同じ祖先から枝分かれしたと言うことになっています。同じ、ホモサピエンスということ。リーグ星人は、違う種類の生き物で知能は高いが昆虫のような姿ということ。人類とリリスター星人は同盟関係です。そこで、リリスター星人とリーグ星人の戦いに、人類が巻き込まれるという訳。

 

この時の地球の国連事務総長はモリナーリ。彼が司令官となりリリスター星人と手を組み、リーグ星人との星間戦争に挑みます。そのモリナーリは年齢不詳。臓器を入替え、入替え死を免れ戦い続けています。その人工臓器を移植する医師エリックが、主人公です。そして化学兵器として発明されたのが、ドラッグJJ180。このJJ180は、一度飲めば中毒になってしまい、常用しなければいけない破目に陥ります。そして、肝臓やら腎臓やらがぼろぼろになり、精神も異常をきたし死に至るということ。

 

しかし、JJ180には副作用があるということがわかりました。人によっては、過去に戻ってしまう、または、未来に行ってしまう。このドラッグはリーグ星人をやっつけるためにつくり出されたものでしたが、実は地球に蔓延していたのです。同盟星人のリリスター星人は、人類と共に闘うという名目の下に人類を征服し奴隷化しようとしていたのです。これがこの作品のベースです。このベースで、モリナーリやらエリックやらエリックの妻やら、大実業家やら精神科医やら…、諸々の人が入り乱れて話が展開していきます。

 

モリナーリは不死身でしたが、実は、JJ180を使用しており、過去の若々しい自分を入れ替わり立ち替わり連れて来ては、リリスター星人と戦っていたのでした(敵はリーグ星人ですが、彼はリリスター星人の思惑もわかっていて、彼らを出し抜こうとしていたのです)。医師エリックも、妻の悪巧みに乗せられてJJ180を飲んでしまいます。彼は、妻との関係やモリナーリとの関係、リリスター星人との戦いのため、過去へ未来へと八面六臂の活躍ぶりです。

 

 

結論を書いても良いでしょうか。

 

エリックは、過去へ未来へのドタバタから何を手に入れたのでしょう。「何も」です。妻との関係も清算されず、リリスター星人との戦いも勝利を得られずと。「人生は辛く耐えがたいもの。しかし、生きていかなければならない。」と、――彼は、今まで通りの人生を生きて行くのであった~~~、ということです。

 

以上





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2014年8月9日土曜日

『The Death of a Bachelor』


今回の「英語読書会」は、Jさんの当番でした。彼女は『世界の短編名作集50』を選んでいます。そこから、10ページ程度の短編を探し出してくるという訳です。だから、彼女が持ってくる短編は、いつもよく知られている傑作です。しかし今回の『The Death of a Bachelor』の著者はARTHUR SCHNITZLERで、わたしは勉強不足のせいか馴染みのない作家でした。でも、読んで行くうちに、なんかsounds familiarだな~、っと。

 

お話は、生涯独身を通した男が病で死に至ることになった時、一通の手紙を三人の友達に残します。この時彼は55歳なので、えらく平均寿命が短い時の話ですネ~~~。まだ、車もない時代のようなので、19世紀末から20世紀初めのことでしょうか。その三人の友達は、DOCTORMACHANTAUTHOR。医者は、臨終の席に呼ばれたとしても不思議はない、彼の掛かり付けの医者でした。商人は、彼の最後に契約の事などをクリアーにする為か…、と想像されます。でも、最後の作家はどうか???

 

この独身者は、三人が来るのを待たず亡くなります。集まった三人は、不思議に思います。「なぜ我々が」っと。そして、病室のとなりの部屋のデスクの引き出しから手紙を見つけるという段取り。その表書きには「to my friends」と。三人は、これで謎が解けるかと、封を切ります。

 

その手紙に書かれていたことは、なんと、「わたしは、君たちの妻と関係を持った。君たち『全員』のだ。」っと。この辺りが、なんだか読んだことがあるよな~~~、と思ったところです。わたし、家中の本棚を探しました。でも、わたしが持っている本はたいていホラーかサスペンスかSF。そして、シュールな現代小説です。こんな名作集に載っているような本は持っていないよな~~~、と思いつつ。ちょっとサスペンスかホラーっぽいので、そんな類のアンソロジーにあったのだろうかと探しましたが、無シ。

 

考えるところ、テレビドラマのサスペンスもので見たのではないかと。この短編と内容は違いますが、ただプロットを借りただけのドラマを見たような気がします。何人かの男性が、金持ちの別荘に招待される。そこで、その金持ちは亡くなったが、あなた達に手紙が残されていると渡される。その内容は、上記のもの。しかし、その続きは、この短編とは違い、お互いの過去が明かされオドロオドロしい殺人劇へ…、というもの。何人かが死んだあと、集められたうちの一人が実はその金持ち自身だったということで、復讐劇を遂げる…、何ていうものではなかったかしらん???

 

先生も、「この手紙で、ひと悶着が起ったところで、この死んだ男が実は死んでなかったと、ニヤッと笑って出て来るんじゃないかと思ったら、ほんとに死んでましたね。」と言っていました。現代にふさわしいのは、そんなオチでしょうか。

 


 
 
 

本の内容は、この三人はそれぞれ「自分と妻の関係」を回想しつつ、初めは怒りを感じるが、結論は「どうということもない」という心境に至るというもの。「争いの種」を残して死のうという独身貴族の思惑も虚しく、単なる「コップの中の嵐」と妻を寝取られた三人は、いつものように家路に就くのでした~~~。そして、何事もなかったように、彼らは妻との平穏な日々をこれからも送って行くのでしょう。

 

そんなお話でした。






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2014年8月2日土曜日

『イエス・キリストは実在したのか?』


以前、まだこの本を読みかけの時に紹介しましたが、読み終えました。繰り返しになりますが、この本の日本語のタイトルには、ちょっと違和感を覚えます。原題は、『ZEALOT -- The Life and Times of Jesus of Nazareth』です。著者は、ナザレのイエス(著者によれば、イエスと言う名はとても平凡な名前なので多くの「イエスさん」がいた。当時、名字と言うものがなかったので地名を付けて呼び、その人を特定した、と言う事のようです。)が実在の人物であるとし、それならば、どのようにしてイエスが、世界的に受け入れられようになるキリスト教の源になったのかということを「歴史的に」考察しようと試みました。イエスの生きた時代の考証、そしてその死後どのようにキリスト教が出来上がっていったかと言うことです。

 

 

ナザレのイエスが生きた紀元1世紀の頃のパレスチナは、ローマ帝国の支配下にありました。BC4年、「ユダヤ人の王」ヘデロが亡くなると、ローマ帝国がエルサレムを統治し始めたのです。唯一絶対の神を信奉する誇り高いユダヤ人は、多神教の異教徒であるローマ人が神聖な土地エルサレムを支配することは許せませんでした。そこでメシア待望論が湧きあがります。ユダヤの土地から異教徒を一掃する事がその頃のパレスチナの願いでありました。そして、多くのメシアを名のるものが出現しました。イエスはその中の一人だったのです。

 

ナザレのイエスはユダヤ人であり、ユダヤ教の信奉者です。彼は、人類の平和などを考えていたわけでなく、ユダヤの尊厳を考えていたひとりの革命家です。つまり、ローマ帝国からすると、ローマにはむかうテロリストのひとりと言うことですネ。とても興味深いです。つまり、権威に逆らう者は「いつの世も」テロリストなんですねえ。イエスはイエスで、自分がテロリストとして捕まって死刑にならないようにいろいろな手管を使っています。例えば、イエスは自らのことを「メシア」とは言っていません。

 

しかし、ついにイエスは自分の正体を明らかにするときが来ます。本書によるとこう書かれています。

 

「異教徒支配からのイスラエルの解放を記念する過越祭が近づくと、イエスはようやくこのメッセージをエルサレムに持ってゆく決意をした。熱情という武器で武装した彼にとって、今こそ、神殿の権威者と、事実上この聖地を支配しているローマ人監督官らに真っ向から挑戦する潮時だった。」

 

そして、「お前は、メシアか。」、「お前は、ユダヤの王か。」と問われ、「そうである。」と答えて、磔となるのです。クライマックスですねえ。

 

十字架刑とはなにか。

 

十字架刑が広く行われていた理由は、それが一番安上がりだったからだそうです。ローマでは、国事犯処罰の一形態として十字架刑が慣例となっていました。犯罪者を公共の場にさらすことにより、国家に反逆を企てる人々に対する見せしめにしたのです。イエスは、その頃数多いた「メシアと名乗る人々」の単なる一人として処刑されました。それが、なぜ、後のキリスト教の基になったのか。それは、「復活」です。イエスが復活を果たしたことが、その他のメシアとの唯一の違いでした。そして、この本の「第3部・キリスト教の誕生」―――後の人々がどのようにイエスとキリスト教を作り上げて行ったのかというお話になります。

 

 

旧約聖書はユダヤ教のもの、新約聖書はキリスト教のもの、後につづくコーランは、イスラム教のものです。紀元66年ローマに対するユダヤ人の蜂起鎮圧以後、エルサレムの本山崩壊以後に、福音書は書かれました。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書は生前のイエスを知らない人達によって書かれたものであり、また、彼らはディアスポラだったのです。洗練された都市に住むギリシャ語を話す教養のあるユダヤ人でしたが、もはやエルサレムの面影はナシというような。

 

先ず、キリスト教をローマ帝国に受け入れさせること。これが、キリスト教が世界に広まっていく第一歩でした。そのために、彼らがしたことは、イエスの教えから「ユダヤ教」の教えを巧妙に取り除くこと。イエスは、ユダヤのナショナリストではなく、全世界の平和を願う救世主でなければならなかったのです。また、イエスを処刑したローマ帝国を正当化すること。つまり、イエスを処刑したのはローマ帝国ではなかった、ユダヤの人民であったと言うように。どのようにそれがなされていったのか興味のある方は、是非本書を読んで下さい。ここでは書き切れませんから。

 
 

 

私が興味を持ったことをランダムに列挙してみますと……。

 

イエスの死後、イエスの教えを引き継ぐ者として、イエスの弟ヤコブがいます。キリスト教徒とユダヤ教徒の記録資料は、ヤコブを初代キリスト教共同体の長と認めています。1~2世紀のキリスト教界では、イエスの血縁者がリーダーシップを取っていました。そして、対極者としてのパウロです。パウロはギリシャ語を話すディアスポラでした。パウロがキリスト教をユダヤ以外の異邦人にも受け入れられやすくするための役割を果たしました。この対立の構造をみて、イスラム教の預言者ムハンマドの死後、イスラム教がシーア派とスンニー派に分かれたことが思い出されました。初期キリスト教にもそんな対立があったんですね。

 

3~4世紀には、キリスト教はローマ帝国の宗教として姿を変えていきます。キリスト教の本山はエルサレムではなく、「ローマ」ということになります。紀元325年キリスト教の教義と実践を定式化する集会が開かれます。当時の皇帝コンスタンティヌスの命令です。神学的見解の矛盾点を解決するまで解散してはならないと言う御達し。こうしてペテロがローマ初代司教となりました。西欧は、この頃からすでに他の文化を横取りして良いように自分の物にしてしまうのネ……という感想です(冗談半分よ!)。

 

最後に「ディアスポラ」。昔から、世界を掻き回しているのは彼らなんだね~!
 

 





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