2014年8月2日土曜日

『イエス・キリストは実在したのか?』


以前、まだこの本を読みかけの時に紹介しましたが、読み終えました。繰り返しになりますが、この本の日本語のタイトルには、ちょっと違和感を覚えます。原題は、『ZEALOT -- The Life and Times of Jesus of Nazareth』です。著者は、ナザレのイエス(著者によれば、イエスと言う名はとても平凡な名前なので多くの「イエスさん」がいた。当時、名字と言うものがなかったので地名を付けて呼び、その人を特定した、と言う事のようです。)が実在の人物であるとし、それならば、どのようにしてイエスが、世界的に受け入れられようになるキリスト教の源になったのかということを「歴史的に」考察しようと試みました。イエスの生きた時代の考証、そしてその死後どのようにキリスト教が出来上がっていったかと言うことです。

 

 

ナザレのイエスが生きた紀元1世紀の頃のパレスチナは、ローマ帝国の支配下にありました。BC4年、「ユダヤ人の王」ヘデロが亡くなると、ローマ帝国がエルサレムを統治し始めたのです。唯一絶対の神を信奉する誇り高いユダヤ人は、多神教の異教徒であるローマ人が神聖な土地エルサレムを支配することは許せませんでした。そこでメシア待望論が湧きあがります。ユダヤの土地から異教徒を一掃する事がその頃のパレスチナの願いでありました。そして、多くのメシアを名のるものが出現しました。イエスはその中の一人だったのです。

 

ナザレのイエスはユダヤ人であり、ユダヤ教の信奉者です。彼は、人類の平和などを考えていたわけでなく、ユダヤの尊厳を考えていたひとりの革命家です。つまり、ローマ帝国からすると、ローマにはむかうテロリストのひとりと言うことですネ。とても興味深いです。つまり、権威に逆らう者は「いつの世も」テロリストなんですねえ。イエスはイエスで、自分がテロリストとして捕まって死刑にならないようにいろいろな手管を使っています。例えば、イエスは自らのことを「メシア」とは言っていません。

 

しかし、ついにイエスは自分の正体を明らかにするときが来ます。本書によるとこう書かれています。

 

「異教徒支配からのイスラエルの解放を記念する過越祭が近づくと、イエスはようやくこのメッセージをエルサレムに持ってゆく決意をした。熱情という武器で武装した彼にとって、今こそ、神殿の権威者と、事実上この聖地を支配しているローマ人監督官らに真っ向から挑戦する潮時だった。」

 

そして、「お前は、メシアか。」、「お前は、ユダヤの王か。」と問われ、「そうである。」と答えて、磔となるのです。クライマックスですねえ。

 

十字架刑とはなにか。

 

十字架刑が広く行われていた理由は、それが一番安上がりだったからだそうです。ローマでは、国事犯処罰の一形態として十字架刑が慣例となっていました。犯罪者を公共の場にさらすことにより、国家に反逆を企てる人々に対する見せしめにしたのです。イエスは、その頃数多いた「メシアと名乗る人々」の単なる一人として処刑されました。それが、なぜ、後のキリスト教の基になったのか。それは、「復活」です。イエスが復活を果たしたことが、その他のメシアとの唯一の違いでした。そして、この本の「第3部・キリスト教の誕生」―――後の人々がどのようにイエスとキリスト教を作り上げて行ったのかというお話になります。

 

 

旧約聖書はユダヤ教のもの、新約聖書はキリスト教のもの、後につづくコーランは、イスラム教のものです。紀元66年ローマに対するユダヤ人の蜂起鎮圧以後、エルサレムの本山崩壊以後に、福音書は書かれました。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書は生前のイエスを知らない人達によって書かれたものであり、また、彼らはディアスポラだったのです。洗練された都市に住むギリシャ語を話す教養のあるユダヤ人でしたが、もはやエルサレムの面影はナシというような。

 

先ず、キリスト教をローマ帝国に受け入れさせること。これが、キリスト教が世界に広まっていく第一歩でした。そのために、彼らがしたことは、イエスの教えから「ユダヤ教」の教えを巧妙に取り除くこと。イエスは、ユダヤのナショナリストではなく、全世界の平和を願う救世主でなければならなかったのです。また、イエスを処刑したローマ帝国を正当化すること。つまり、イエスを処刑したのはローマ帝国ではなかった、ユダヤの人民であったと言うように。どのようにそれがなされていったのか興味のある方は、是非本書を読んで下さい。ここでは書き切れませんから。

 
 

 

私が興味を持ったことをランダムに列挙してみますと……。

 

イエスの死後、イエスの教えを引き継ぐ者として、イエスの弟ヤコブがいます。キリスト教徒とユダヤ教徒の記録資料は、ヤコブを初代キリスト教共同体の長と認めています。1~2世紀のキリスト教界では、イエスの血縁者がリーダーシップを取っていました。そして、対極者としてのパウロです。パウロはギリシャ語を話すディアスポラでした。パウロがキリスト教をユダヤ以外の異邦人にも受け入れられやすくするための役割を果たしました。この対立の構造をみて、イスラム教の預言者ムハンマドの死後、イスラム教がシーア派とスンニー派に分かれたことが思い出されました。初期キリスト教にもそんな対立があったんですね。

 

3~4世紀には、キリスト教はローマ帝国の宗教として姿を変えていきます。キリスト教の本山はエルサレムではなく、「ローマ」ということになります。紀元325年キリスト教の教義と実践を定式化する集会が開かれます。当時の皇帝コンスタンティヌスの命令です。神学的見解の矛盾点を解決するまで解散してはならないと言う御達し。こうしてペテロがローマ初代司教となりました。西欧は、この頃からすでに他の文化を横取りして良いように自分の物にしてしまうのネ……という感想です(冗談半分よ!)。

 

最後に「ディアスポラ」。昔から、世界を掻き回しているのは彼らなんだね~!
 

 





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