2013年9月28日土曜日

J.G. Ballard ―― The Drowned Giant 『溺れた巨人』



英語による「読書会らしきもの」のクラスを持っていると以前書きました。次回はわたしが選んだ小編を皆で読むことになっています。それが、JGバラードの『溺れた巨人』です。自分が選んだものを皆に読んでもらうと言うのは、想像以上になにか罪悪感と「不安な感 情」をもたらします。つまり、このような内容の本を皆に読ませても良かったのだろうか…という感情です。強制ですからね。

 

と言う訳で、不安な日々でしたが、そのうち二人から、「面白かった」という感想をもらい、ひと安心です。読書会はまだ開かれておりませんので、まだ、何を言われるかは、わからないのですけどね。でも、彼女たちがおっしゃるには、「poponさんが薦めなければ、こんな感じの本は一生読まなかったでしょうからね。」です。

 

バラードは一般的にはあまり知られていないようですが、彼が亡くなった2009年には、朝日新聞が特集を組んだほどです。彼の2~3の作品は映画化もされています。スピルバーグの『太陽の帝国』は見る気にもなりませんが、クローネンバーグの『クラッシュ』は2回ほど見ました。

 

 

JG・バラードはわたしの大好きな作家です。高校生の頃、『時間都市』を読んで虜になってしまいました。続いて『時間の墓標』を読み進み、その後は、翻訳された本を買い漁る日々です。英語の原文で読めるようになってからは、このThe Best Short Stories of J.G. BallardRunning Wild を読みました。

 

わたしが最初に読んだ本、『時間都市』と『時間の墓標』は、日本の題名で原題は違います。Billenium Terminal Beach です。日本語で「時間」と訳されたように、彼の関心は「時」です。それから崩壊。『沈んだ世界』The Drowned Worldや『燃える世界』The Crystal World、『結晶世界』The Burning Worldは、破滅三部作とも呼ばれていますが、人類の発展、故に破滅していく様子が「時」というものに絡められて、とても美しく語られています。そして、彼の近年の作品で三部作と言われているものに『クラッシュ』、『コンクリート・アイランド』、『ハイ‐ライズ』があります。それこそ、高度に発達した社会で、どこか崩れて行く人間性を表現している…と思います。つまり、わたしの感想は「時間」と「崩壊」と「テクノロジーによる人間崩壊」が、彼の表現したい事ではないのかと言うことです。

 

この『溺れた巨人』も、嵐の後に海岸に打ち上げられた巨人の死体が海岸に放置され、崩壊して行く様を観察者としての主人公が、ただ見守っている内容です。ここでも、「時」と「崩壊」と「人間性」が絡み合っています。マッコウクジラのように巨大な人間の死体を前にして、人々ははじめ恐れ慄きます。が、それも束の間の事。人々は、巨人の死体の上で、観光気分。若者たちは、死体の上で焚き火をしたり、遊園地の如く走りまわります。そして、最後には、まだ海岸に彼の名残りが存在しているにもかかわらず、巨人が存在したということをも忘れ去られます。街のそこここには、サメの顎骨の飾り物の如く、巨人の肋骨やなめした皮膚が飾られます。それも、巨人のものとは自覚されずに。巨人は衝撃と共に海岸に現われて、時の過ぎゆくままに忘れ去られて行く――そして、人々は、日々の生活に暮れるのみ。

 

観察者としての主人公は、この巨人の崩壊の過程と共にこの巨人を見物に来た人々をも観察し描写します。

 

彼は同僚から巨人を監視してレポートを書く任務を押し付けられます。同僚は彼が、そうすることが好きだと見抜いているから。彼も「そうだ」と認めます。そして、こんな風に表わされています。

 

Perhaps they sensed my particular interest in the case, and it was certainly true that I was eager to return to the beach.  There was nothing necrophilic about this, for to all intents the giant was still alive for me, indeed more alive than many of the people watching him.----------,Whatever else in our lives might be open to doubt, the giant, dead or alive, existed in an absolute sense, providing a glimpse into a world of similar absolutes of which we spectators on the beach were such imperfect and puny copies.

 

もう一ヵ所、心に残った文章があります。

 

This accelerated postmortem development of the giant’s character, as if the latent elements of his personality had gained sufficient momentum during his life to discharge themselves in a brief final resume, continued to fascinate me. It marked the beginning of the giant’s surrender to that all-demanding system of time in which the rest of humanity finds itself, and of which, like the million twisted ripples of a fragmented whirlpool, our finite lives are the concluding products.

 

 

引用が長くなりました。とにかく、良い文章が読めて、楽しい時を過ごせました。






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2013年9月22日日曜日

囲碁とは・・・わたしにとって

 

たいそうな題ですが、つまり、囲碁の対戦で勝負に負けた時、何故そんなに落ち込むのだろうかと自問自答したのです。あくまでもド素人の囲碁を打ち始めたばかりのわたしの考えです。

 

将棋と囲碁はしばしば並び称せられますが、全く異質のものです。将棋の駒は、それぞれ意味を持っています。王とか飛車、角、金将、銀将などなど。それぞれが担う役割も違う、動き方も違う・・・。一方、囲碁の石は白と黒があるだけで、単なる石です。一つ一つの石、そこには何の意味もない、役割もない。そして、どこに置いても良いのです。

 

そんな石を前にして、戸惑うでしょ。なぜなら、その石自体には、なんの行動のヒントも含まれていないのですから。将棋なら、一つ一つの駒の意味を考え、動きを考え、どう動かして行けばいいのか、その関連性から「一歩を」踏み出せます。また、初めから布陣があって、自分自身で布陣を考える必要はありません。

 

もうひとつの違いは、将棋には明確な目的があります。「相手の王将を取る」と言うことです。そのひとつの目的に向かって邁進して行けば良いのです。しかし、囲碁の目的は「陣地を取る」という全く曖昧なものです。石をたくさん取るのではなく、陣地を確保するのです。それも、単に、「ひとつ」、一つの「目」を相手より多く確保すれば良いのです。十目勝ったって、二十目勝ったって、それは同じ「勝ち」なのですから。だから、この場所で少々地を失っても、違う場所で勝てばよい。地を囲えばいいのだから、石の捕り合いをする必要さえない。「わたしがこの場所をもらう」と宣言した場合に、相手が「ここはわたしの地所だ」と言い返した時、そこで初めて戦いが生じます。相手が「良いですよ。でもこちらはもらいますよ」と言えば、戦いは始まらないかもしれない。

 

つまり、勝負は相手との関連性です。はじめに布石を打つ。はじめから、自分で計画し構想を練らなければいけません。そして、石を打つことによって、相手と会話をしていると言う事。

「この辺りを少々頂いてもいいでしょうかね~~~。」とか。

「ここに入ってきたらユルサンゾ~~~。」とか。

「それは、あなた、欲張り過ぎなんじゃあアリマセンカ~~~。」とか。

 

日本的と言えば、日本的ですねえ。お互いにもたれ合って、最後にほんの少々勝たせてもらいますよ…、ってな感じで。それで、今、中国とか台湾、韓国の棋士たちが、もっとシビアーな戦いを挑んで来て、日本の棋士はちょっと形無しと言ったところでしょうか。しかし、彼等が一様に言うことは、「日本の棋譜」は美しいと言うこと。こんなところにも、日本の文化は「様式(スタイル)」を尊んでいるということが現われているのかと、感心致します。

 

 

話は元に戻って、それでは何故囲碁で負けると、将棋で負けた時よりも「落ち込む」のかと言うことについて。

 

それは、「石は動かないから」・・・、ではないかと思い至りました。いったん打たれた石はそこに留まっています。もちろん、捕られた時を除いてですが。勝負が終わるまでそこに在るのです。将棋の駒は動き回っているので、下手な手を指してもそこに永久に存在するわけではない。もちろん記録としては残りますが。

 

つまり、囲碁の場合は下手な石を打つと、そこに永久に存在し、「バカなわたし」を永久に指し示し続けるのです。

 

 




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2013年9月18日水曜日

日本の発明


『ユーグレナ』をUPした時、日本の発明はユニークだと書きました。「公」と「私」でこんなに隔たりがある国は、そうないと思います。よく日本人は「真面目だ」と言われますが、実は相当ヘンテコだとわたしは思います。日本のテレビ番組が、海外に売られています。そんな中にも、よくこんなこと考え付くなと言うようなものがあります。例えば、タケシの『風雲たけし城』。武さんが、国際的に有名になってから、「一種の芸術」としてフランスなどで受け止められるようになりましたが、実際は、「こどもに一番見せたくない番組」だったんですよ。

 

そう思う中で、もうひとつわたしが興味のあることは、「イグ・ノーベル賞」。以前、これについて調べたことがあります。1991年にアメリカで創設されたノーベル賞のパロディとでもいうような賞です。その賞に、日本人がほとんど毎年のように受賞していることは、以前にもUPしました。そして、また今年も「また」です。これで「連続7年の快挙」と新聞に報道されていました。

 

「たまごっち」や「バウリンガル」が、このイグ・ノーベル賞を受賞している事は有名ですが、その他に「ハトを訓練してピカソの絵とモネの絵を区別させること成功した」というものもあります。これによって、ハトにはモノをカテゴライズする能力があることが証明されました。しかしながら、モネの絵を逆さまにするとハトはモネの絵だと見分けがつかないが、ピカソの絵を逆さまに置いても、「ピカソの絵はピカソの絵」と分かったそうです。さすが、天才ピカソですね、なんてネ。

 

 

で、今年の受賞者ですが、二組あります。そのひとつに興味がありますので、紹介致します。

 

実験で、マウスの腹に違う心臓を移植します。それは当然拒絶反応で死にます。実験では、8日間くらいと。しかし、手術後にオペラ「椿姫」を聞かせると平均26.5日、最長100日間、心臓が鼓動し続けたと言います。つまり、音楽が脳を介して免疫力が上がったと言うことです。授賞式でも、研究者たちはネズミに扮し、オペラを歌う隣でスピーチをしたとか。日本のユーモアの面目躍如ですネ。会場は喝采だったそうです。

 

蛇足ながら、この7年連続の内容をお知らせすると、

 

2007年:牛の排泄物からバニラの香りを抽出する。

2008年:単細胞生物にパズルを解く能力があった。

2009年:ジャイアントパンダの排泄物から抽出した物質で、台所ごみの90%を削減できる。

2010年:真正粘菌を利用して、輸送能力を最大限活用するネットワークを計画する。

2011年:わさびを利用した火災を警告する装置。

2012年:自身の話した言葉をほんの少し遅れて聞かせることでその人の発話を妨害する装置、「スピーチジャマー」。

 

そして、2013年が、上出した研究です。


 

以上。





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2013年9月15日日曜日

読書会を終えて



以前書いた『読書会もどき』のつづきです。

 

あの時は、まだ読書会が開かれる前に書いたものでしたが、実際に皆が集まって、意見を言い合ったら、いろいろ違う事がわかりました。申し遅れましたが、題材は『クオーレ』です。

 

この本の作者は、エドモンド・デ・アミーチスで( 1846 – 1908年)イタリア王国の作家です。確か2~3年前に、イタリア統一100年祭なるものが日本でもブームになっていましたので、この作者が生きた時代は、統一される頃ですね。この事も読書会で指摘され、なるほどと思ったことでした。

 

彼もイタリア統一運動で、赤シャツ隊に志願したほどの愛国者でありました。14歳の時だったので、幼少として断わられたそうです。(年代は違いますが、ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスが、ナチの年少隊に入っていたという事で問題になったことを思い出しました。)。

 

彼は子どもに愛国精神を培わせよと、子どもの教育用にこの本を書きました。日本でも、教育者三浦修吾が翻訳しています。子どもの頃に読んだ記憶がかすかにあります。三浦氏は『愛の学校』というサブタイトルを付けたそうですが、短編集で、その中のひとつが、日本でもアニメで有名になった『母を訪ねて三千里』です(原題『アペンニーノ山脈からアンデス山脈まで』)。この事も読書会で学んだ事のひとつです。

 

 

この新たに知った二つの事を踏まえて考え直したことは、そもそも「単純な子供向けのお話」何てものは存在しないのですが、(だって、実際には童話は残酷なものだと言うではありませんか)、この本も相当教条的だなと思います。だから、作者は本当に子どもに愛国心を植え付けるためだけにこの本を書いたのだろうかと疑ってしまいます。両極端は一致する…、などと申します。スーパー写実的に書かれた絵は、かえってシュールになると言ったような。作者にだけわかるアイロニーが込められていたのではと…、考え過ぎか。

 

 

もうひとつ、これに関連しているようなしていないようなお話です。

 

先日、ラジオを聞いていたら、ある写真家のインタヴューを放送していました。その人の名前は覚えていませんが、新進気鋭の女性カメラマン。現地に飛び込んで撮影し、「エイズの子どもたち」などの写真集を出しています。彼女が何故そのような「社会的な問題」を題材として写真を撮り続けているのか、あるいは何故写真なのか、という質問です。彼女の答えは、

 

何かの問題を抱えている人たちは、自分でそれを発信する余裕がない。その代わりにできる人が、その状況を訴え続けなければいけない。そして、自分は、写真という表現方法を持っていた。だから、わたしにはその使命がある。

 

と、めちゃめちゃ簡単に要約してしまいましたが、そんな風に話していました。

 

それを聞いたわたしの第一感は、「天才は普通の人々の人身御供なんだ」というもの。私利私欲なく、すべて他の人のためにと、人生を生きて行く、つまり、一番有名な例はキリストか、と。仏教もそうでしょうか。あるいは、ガンジーとか、マザー・テレサとか。

 

ほんとうの「天才」はそう生きられるでしょう。すべてを他の人に捧げて、本人は幸せでしょう。しかし、ほんのちょっとの邪念があったら、その行為は、自己満足になってしまう。自分の幸せのために、「尽くす他人」が必要となってしまう。そんな映画を見ました。多分アメリカ映画のドキュメンタリー。ある中年の女性が、何か問題のある子供ばかり引き取って育てているのです。下半身のない少女とか、皮膚がいつも爛れている少年、または、手がないとか。常にそんな7~8人の子供たちを、親にも見捨てられたそんな子どもたちを育てます。彼等はそんなには長く生きられません。病気ゆえに。しかし、彼女は、メゲズにまたそんな子供たちを引き取っては育てていきます。

 

その彼女の母親が一言いっていました。「彼女にはそんな子どもたちが必要なの。」と。

 

 

どうでしょうか。この二つのお話は繋がるでしょうか。

 



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2013年9月7日土曜日

『「黒船来航」――日本語が動く』を読んで

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わたしは「ことば」に興味があります。もちろん「言語学」にも興味がありますが、ソシュールの理論のような哲学的要素は理解不可能(努力はしていますが…)。それで、「ことば」が、特に文化や歴史、政治にどのように関連しているのかというところを「学ぶ」ことに興味があるわけです。

 

この本は「そうだったんだ!日本語」シリーズの一冊で、「黒船が江戸の時代にやって来た時、日本語にどのような影響をもたらしたのかという内容」との本の帯を読んで買いました。明治期に欧米の言葉がドバーっと日本に入って来て、日本語はいろいろな言葉を生みだしました。欧米の言葉を訳してできた語や、今までにあった言葉を欧米語に当てはめて少々意味が変わってしまった語などです。そんな話が読めるのかなと思って買ったのですが、内容は少々違っていました。

 

違っていましたが、・・・興味深いことをいろいろ学びました。

 

 

ペリーが浦賀に現われてから、日本は(江戸幕府から明治政府、現在も)諸外国と条約を結ぶことになります。本書は、その条約を日本語で書く時、日本語をどのように変化して行かなければならなかったかということがメインテーマになっています。

 

一番興味深かったのは、ペリーが現われる以前から、日本は多くの外国文化を吸収していたことです。わたしが日本の歴史を学校で学んだ時は、「江戸時代に日本は鎖国をしていた」ということでした。実際には、長崎で蘭学が学べたように、「鎖国」状態ではなかった。近年では、学校の歴史授業でもそのような教育方向になって来ています。

 

が、その知識は半端なし。黒船は四隻やって来ましたが、それに対応した江戸幕府の役人は、すでにどの船に乗りつけて交渉をすれば良いのかがわかっていたそうです。旗艦船です。正確には、役人ではなく、通詞(通訳者)ですが。その通詞が「余は和蘭語(オランダ語)を話すことができる」と船に向かって怒鳴ったそうです。なんだかワクワクするでしょ。このことだけで、映画が一本作れそうですよ。

 

実は、アメリカ側は日本語で、日本側は蘭語で怒鳴り合っていたそうですが、お互い相手が何を話しているのか理解できず、漸く、日本側が叫んだ「Dutch」という英単語が、アメリカ側に伝わり、意思の疎通が始まったということです。

 

はじめは、アメリカ側はオランダ語の通訳士を立てて交渉に臨んでいました。しかしその後、日本はオランダ語がもはや世界の共通の言語ではないと知り、フランス語、英語の勉学に励みます。

 

安政二年、1885年の日英和親約定では「英語が世界の言語」だとイギリス側に強要されたとあります。その頃は、まだ条約文まで英語で賄う能力が日本の通詞になかったので、普段の会話は英語でするものの、正確な条文は蘭語という妥協案が成立していました。その数年後には、日本の通詞は英語で対応できるまでになっていたそうです。

 

 

話が長くなってしまいましたが、その他興味があったところは、その頃の朝鮮王朝と日本の関係、中国(清)との関係です。この二国はお隣の国ですから、昔から友好関係が図られてきたと思いがちですが、実際は、常に敵対関係だったと言えるでしょう。「常には」ちょっとオーバーか。それを、明治政府はどのように友好関係を探って行ったかという事実。現在の状況と鑑み、なんだか意味深では・・・。

 

言語学的な点では、慎重に意味を定義しなければならない条文で、通詞たちがどのように日本語を進化していったかということに興味を覚えます。欧米の論理的思考をどう日本語に移し替えるかという問題です。入組んだ仮定的条項や構文の違いを克服する事など。

 

このような明治維新の時代に活躍した日本人のおかげで、明治政府は日本語を進化させ、欧米列強と渡り合い、日本語を自らの国家を代表する役割を担う言語であると宣言するに至りました。欧米の植民地政策によって自らの言語を失ったたくさんの地域があります。この言語を守り抜いたということが、日本が欧米列強に対し、独立を守れたひとつの要因ではないでしょうか。

 

如何。



2013年9月5日木曜日

新しい社会を求めて・・・


最近、興味そそられる記事を見た。『取締役は全員ニート』という記事だ(朝日新聞)。

 

この企画を打ち出したのは、安田氏(NPO法人理事長48歳)。安田さんが経営コンサルタント会社を経営していた時、多くの「組織に属するのは嫌」という若者に会った。それで、ニートだけで会社を立ち上げたらどうなるかと、計画したという。はじめは三千人余の参加があったが、実名登録を呼びかけたところ、300人余りに絞られた。「雇う、雇われる」という関係をなくしたいと言うことで、全員が取締役。年内の設立を目指している。

 

ここで、わたしが興味を引かれた事は、参加希望者のアンケート。

 

持っている資格:小型船舶免許1級、TOEIC990点、ソムリエ、美容師免許、溶接、学芸員…等々

 

やりたいこと:どんなことでも個性が輝ける日本を作る、ニートの立場からのエンタメ情報発信、ブラック企業の撃滅、人や社会に役立つこと…等々

 

やりたくないこと:人を不幸にすること、毎日定時で出社、儲けしか考えないやり方、満員電車で通勤、過労、手のかかっていないものを高く売ること…等々

 

 

 

満員電車で通勤したくないなんて根性がなっとらん・・・、なんて批判が聞こえてきそうだけど、そもそも家から相当に離れた場所に働きに行く事こそ、少々おかしくないでしょうか。これらのアンケートを見ていると、今、現在の資本主義に対し、何かがおかしいと感じ、それに代わる新しいパラダイム(規範)を模索している人たちと共通しているなと思うのです。

 

例えば、評論家の渡辺京二氏。彼は、「資本主義の深化が共同社会を壊した、まだ成長が必要か」と問うています。

 

「お隣さんに、『悪いわね』といって、子どもを預けていたのが、今はベビーシッターを雇わなければいけない。つまり共同社会では無償で支え合ってきたものを、資本主義社会は商品化してしまう」

 

もちろん、お金を支払った方が簡単です。お金を払えば人間関係を構築するという面倒くさい事をしなくてもいいから。しかし、そうやって人と人の繋がりをバラバラにして、全ての人を消費者にして「お金のやり取り」だけの関係を作りだす・・・、というのが、資本主義が発達するための方法なのです。

 

また、NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也氏(60歳)。彼は、人口減少が避けられない山村で「創造的過疎」計画を推し進めています。「『逆指名』で移住者を呼び込む」という計画です。

 

「過疎地で人口が減るのは仕方がない。でも、自分たちが思い描く過疎の未来があってもいいのではないか。」と、自分たちが自らの地域の理想像を先ず描き、そこから逆算して何が必要かを決定していきました。彼のそのための活動はいろいろ多岐に渡っていますが、興味引かれるのは、町に必要な職業を持った人を逆指名して移住してもらったと言う事。ホームページで町が求める職業を募集すると、パン職人さんやらウェブ技術者さんなんかが、集まってきました。この5年間で誘致した移住者は44世帯82人で、2011年度に初めて転入者が転出者を上回ったそうです。

 

以前見た記事、「ドイツのある町では、町の中では金銭のやりとりで仕事をせず、自分の得意分野の仕事をお互いに提供し合う」に少々似ているなあと思いました。実際、もう一度こういう昔ながらの人間関係に戻ることは、相当な努力が必要とは想像できますが・・・。


 




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2013年9月3日火曜日

「道」と「オタク」



以前、日本人は何でも追求して「~~~道」としてしまう、と書いたことがあります。柔道、剣道などは、以前は「柔術」とか「剣術」とか呼ばれていたものに、「精神性」を取り入れて「~~道」まで高めたと聞きました。そればかりでなく、日本に全然関係ないもの、例えばコーヒーなどを豆の炒り方または煎じ方の道を極め「道」というまでにしちゃいます。「わたしの珈琲道」なんて。

 

それで、ひょっとしてこの「道」って、「オタク」なんじゃないの、と思いました。「道」がメジャーで「オタク」がマイナー、つまり庶民の「道」なのではと。

 

「道」あるいは「オタク」は、何に関心を持つということは重要ではなく、自分がこれと決めたもの、その一つの事柄に邁進して行くということかも。そして、なにやら、その関心を持ったものそれ自体は、その人にとってはどうでもいい事ではないのか、と思ってしまいます。それは、自分が自分自身の道を窮めるための単なる手段なんじゃないかなあと。つまり、人は何かに精神を統一する事によって、自分の世界を作り上げていくと言うことを求めているのみ。

 

だから、日本人って多かれ少なかれ、日々、「自己実現」のための修行をしているのではないのか・・・、言い過ぎかなあ。でも、ひたすら、小さなネジを作り続ける町工場のおじさんも、「どれだけ小さなネジを作れるか」という課題に日々邁進しているのは、小さなネジを作るという結果を求めているのではなく、自分の充実のためであるかのよう。

 

例えば、技術者のオリンピックみたいなもので、「直径10cmの円盤を造る」という課題を与えられた場合、そして、そのアローワンスが1mmであるという場合、ある人たちは、10cm1mmの円盤を完成した時に仕事をやめる。だけど、日本人の職人は何の物質的利益もないのに、ひたすら円盤を10cmに近づけるため努力する。そんな話を聞いたことがあります。

 

あるいは、ただ単純な「車を駐車する」という仕事でも、ある人は、一生懸命効率を考え、止め方を考え、車の間隔をどうするかとか、一回の操作だけでピタッと定位置に停める努力をする、などなど。それは、ある意味見事な「道」です。

 

 

こんな風に考えて行くと、これはインドの修行者に似ているなと感じました。人々がよく「インドは不思議な国」だと言います。テレビ番組でインドの修行者のことを見ました。ある修行者は、一生、左腕を上にあげて暮らすという誓いを立てました。その人のことです。彼はちゃんとその誓いを守っていました。常に上にあげられている彼の左腕には、もう血が通わず、まるで枯れ枝のようでした。

 

日本人がこうであるとは言いませんが、とりあえず、「現実の世界に生きず、自分の世界を生きる」という点では同じではないかと。日本の携帯電話を「ガラケー」と言いますね。世界の情勢から取り残された、まるでガラパゴスのような携帯という意味で使われています。ガラパゴスの人は怒っておりますが・・・。識者は「これではいけない、世界のグローバル化に付いて行かなければ日本の将来はない」と言った意味の事を言っております。しかし、そうでしょうか。最近、この日本の状況にプラスの意味を見出している人々も現われました。

 

 

わたしの結論:日本人はこの特徴を生かし、グローバル社会に迎合することなく、日々現実離れした修行に邁進し、独自の世界観で勝負しましょう。自分の慣れ親しんだ行動指向により、幸せを掴みましょう。

 



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