2016年12月31日土曜日

ロシア

最近、この2~3か月と思いますが、ロシアからのアクセス数が異常に多くて。。。

ロシアの人が、わたしのUPなど読むわけないジャンと思いつつ・・・。

これは何かの陰謀なのかと。。。

この以前は、アメリカからのアクセスが異常だった・・・。

アメリカやロシアは、全世界の人がSNSでUPするものをチェック保存しても、それ以上に有り余る保存するスペースを持っていますから。このブログにUPして、すぐ、6個くらいのVISITがあると、なんでやねん・・・、と思っていました。

それが今日、ロシアからのアクセスは「ゼロ」に。

無価値・無益なブログと認識されたんでしょうかねェ。。。


メデタシ・・・、と思いつつ、寂しさも有り、大晦日。


オソマツ。。。





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2016年12月30日金曜日

超分子化学


こんな研究分野があるとは知りませんでしたが、「新しい分子をデザインする化学」だそうです。岐阜大学工学部准教授池田将さんの記事を見ました。彼は、「自分で考えて自分で形を変える分子を作りたい。」と、化学合成で人工的に作る人工細胞の作成に励んでいます。

 

2014年、病気になると体内で増える物質を認識して、溶けるゲルを開発しました。水をゲル状に固める分子を製作したのです。水に入れて加熱すると、分子の一つ一つがブロックのように積み重なり、ナノサイズの繊維状の構造を取ります。水に対して1%だけその分子を入れると、繊維が網の目状に出来、水がゲル状に固まります。

 

このゲルに薬を入れておけば、血糖や尿酸値などに反応してゲルが溶けた場合、薬が放出されて治療を始めることになります。中に入れる薬に合わせて、何に反応するとゲルが壊れるかという設計をする訳です。

 

今年は、低酸素状態を感知して折りたたまれる分子を開発し、今後も、「病気の診断や治療に役立つ分子を開発したい。」とか。

 
 
 

 

このような科学の発展に水を差すようなことを言いたい訳ではありません。もちろん、いろいろなことが発展してきたおかげで、我々人類の暮しも進化し、寿命も延びて、人間が地球上を埋め尽くすようになってきた訳でありますから。

 

しかし、あまりにも「自然を弄くり回している」という感は拭えません。自然界に無い物を次々に作り出しています。遺伝子組み換え食品や遺伝子操作した動物、サイボーグ化させた昆虫…等など。

 

ナノサイズというのもそうです。人間の肌は、その隙間以上に大きな物質を通さないように出来ています。有害物質を通さないためということもあるのでしょう。しかし、ナノサイズにすることによって肌から吸収できるようにした化粧品などもできました。何か異常事態が起きた時はどうするつもりでしょうか。

 

また、極小のスクラブというものもあります。洗顔クリームの中に入れて、肌の角質化を防ぐとか…。そういう極小の物質が、下水から川へ海へ流れ込みます。それを小さな魚達が体内に蓄積します。それを大きな魚が食べます。つまり、蓄積される量がだんだん大きくなるということ。そして、そんな魚を人間が食べます。その量はまだまだ人間に害を与えるほどではないと、WHO(?)、どの機関かは知りませんが、発表しています。

 

まあ、人間が自然体系を破壊して、いつの日にかしっぺ返しを受けることは間違いありませんが、見るところ、人類自体がその自然体系から逸脱しようと試みているのかも。そんなことを考えた2016年でありました。







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2016年12月27日火曜日

カタカナ語


先日新聞の投書欄を読んでいたら、「最近のカタカナ語の氾濫は目に余る」と言ったような内容のものがありました。まあ、昔から言い古された事とは思いますが、その投書の中で「リスペクト」が例に上がっていたので、ちょっと考えてしまいました。

 

基本的にわたしも日本語にある言葉を英語(たいていの場合、最近は借りてくるのは英語なので)に置き換えてカタカナで表記するのには反対です。せっかく明治初期の日本人の方々が、外来語を日本語に翻訳してくれて、日本語として定着しているのに、またそれを英語に戻すことはないじゃないかと。

 

しかしこのコンピュータ時代、コンピュータに係わる言葉は、英語から来ているので、それをすべて日本語に直すのは至難の業でしょう。中国でも以前は外来語をすべて漢字に直していましたが、近年ではそのままアルファベット表記しています。上海に住んでいた時に新聞の所々にアルファベットが点在しているのを見ました。その点、日本にはカタカナがあって幸せと言えるでしょう。

 

話が逸れましたが、問題のカタカナ語は日本語で表現できるのに外来語を当てているということでしょう。しかしこのグローバル時代、文化のグローバル時代ですが、いろいろな情報が入って来るなか、日本語では表わされないニュアンスを持った言葉もあります。反対に、日本の文化が海外に流れる時、英語やその他の言語に変える事が出来ない言葉は、日本語のまま使われます。日本では、マスコミが日本語が世界語になったと大はしゃぎですが。

 

ですから、日本になかった感情、あるいはあったが日本語で表現できなかった感情をカタカナ語で表現できるようになることは、良い事だと感じます。英会話の先生は「なつかしい」と言う言葉を「英語にはない言葉」と言っています。そんな感情はあるけど表現することが出来なかったと。

 
 
 
 
 

そこで「リスペクト」です。リスペクトはもちろん日本語では「尊敬する」あるいは「尊敬」でしょう。しかし、わたしには「リスペクト」と「尊敬」は少々意味が違うと思われます。たぶん「尊敬」も大昔に中国から来た漢文では。やまと言葉では何と言うのでしょうか。「敬う」でしょうか。

 

つまり、漢文から来た日本語は、「堅苦しい」ということ。上流階級や高等教育を受けた人達が使用していたからでしょう。または、意識的に堅苦しく表現していたのか。ですから、庶民には、そんな堅苦しくなくまた軽い意味の「尊敬」が必要です。それが「リスペクト」では。庶民はなんでもかんでもリスペクトしちゃいますからね。

 

日本語の中には、そんな言葉がまだまだたくさんあると思います。なにしろ世界で一番読書家なんですから、本の中の言葉がそのまま日常会話に使われているところがあるのかも。世界は、グローバル化と共に文化の平板化均一化が進んでいます。そんな軽~~~い世の中になっていくのです。軽~~~い言葉も必要なのです。と思います。








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2016年12月22日木曜日

鉄腕アトムの国だもの


『脳波を無線送信―――義手やPC操作』という記事を読みました。大阪大学などの研究グループが世界に先駆け臨床実験をするそうです。

 

全身の筋肉が動かせなくなる難病患者の頭の中に電極を埋め込み、脳波を直接受信し無線でパソコンや義手に送信し操作するのだそうです。以前は、頭皮に貼りつけた計測器で脳波を読みとっていたのですが、今回は頭を開いて直径1mmほどの電極を100個くらい直接脳の表面に貼り付けます。頭蓋骨に数センチ四方ほどの穴をあけ、そこに無線で体外に信号を送る装置を埋め込みます。装置は体外から充電できるようです。ペースメーカーより進歩しましたね。異物を体内に入れるリスクはありますが、ケーブルで繋ぐより感染症の危険が少ないとか。

 
 
 
 
 

もちろんALSの患者さん達にとっては朗報と言えます。が、以前にUPしたように「人間はどこに向かっているのだろうか」という疑問を禁じ得ません。人間の身体のいろいろな部分をiPS細胞で補強したり機械に置き換えたりして、人はどんどんサイボーグ化していきます。『銀河鉄道999』で少年鉄郎が機械の身体を求めて旅するように、人類は自らを機械化し、永遠の命を手に入れようとしているのでしょうか。

 

日本が世界に先駆けてこのような研究を進めて行く訳のひとつは、たいていの日本人は「オタク」であるという事実があるように思います。マニアックな人々が多過ぎる。また、ヒト以外の物に「魂」を感じるという文化もあります。文化と言うか宗教的(?)か。近代文明を持つ国が、未だにアニミズムを信仰している国は珍しいとか。「鉄腕アトム」を読んで育った我々は、機械にも情緒を求めてしまうのかな。

 

とにかく、フィリップ・K・ディックの『火星のタイム・スリップ』の自閉症の少年の哀れな末路を思い出してしまいした。








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2016年12月13日火曜日

『21世紀の豊かさ』


新聞の書評欄で見ました。興味を持った本を読むことなくUPするので、「書評の書評か?」と、自分で突っ込みを入れております。最近のトランプ氏現象やイギリスのEU離脱、ヨーロッパの保守右翼台頭など…、世界の状況は変わりつつあります。そこで、これからの世界はどのようになって行くのが、あるいはどのようになるのが人類の幸福なのかと。

 

社会民主主義というのがキーワードのようです。

 

「20世紀の社会民主主義は、民主主義と資本主義の洗練化に貢献し、市場と国家の連携を通じて経済的かつ社会的な進歩の理想を普及するまでに至った。」

 

しかし、今、その「進歩」は限界を迎えているようで、経済のグローバル化に伴い社会民主主義は新自由主義に駆逐されつつあると。そこで、ラテンアメリカ、ヨーロッパ、日本の研究者たちが、経済の成長の限界を迎えた今、社会民主主義の再活性化を模索して書いた本が「コレ」と言うことです。

 

日本でも模索されつつある「里山資本主義」とか、中央集権からの地方の活性化=コモン(共)の復活です。自然と共生しつつ、資本主義経済の枠からの脱出です。なんでも金で解決しないで、人の労働力を共有することによって(つまり、お互いに助け合って暮らして行きましょうよということ。)、生活を廻して行きます。わたしには散髪の技術がありますから、あなたは大工仕事をしてください…、なんて。それはそれで、ちょっとシンドイですが。そんな、メンドクサイ人間関係から解放されるために、お金でけりをつけて来たんですから。

 

もちろんわたしは社会民主主義に一票入れます。が、同時に自己改革も迫られるなあ…、と。

 



 

でも、今回のアメリカ大統領選では、奇妙なねじれ現象が起きていると思っちゃいますが。つまり、社会民主主義を押している民主党クリントン氏が負け、本来新自由主義を押す共和党が「新自由主義に反対する」トランプ氏を立てて勝者になったということ。

 

トランプ氏を押したのは、中産階級の労働者です。経済のグローバル化に伴い新自由主義が台頭し、能力あるものが勝者になるのだというスローガンのもと、貧富の格差が広がりました。資本主義社会は、中産階級で保たれているのです。(私見では、)中産階級が資本主義の矛盾を隠蔽していますから。中産階級同士で喰い合っているから、アッパー・クラスとローアー・クラスの存在が隠されているのです。そこで、アッパー・クラスのトランプ氏が労働者の為に立ちあがるとは、オモシロイ。

 

わたしは、これは現代の「市民革命」だなあと思います。大衆の勝利です。市民革命はブルジョア革命であって、決してプロレタリアートの革命ではありません。またまた、無産者階級は置いてきぼりにされて、世の中は進んでいくんだなあ…、と。







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2016年12月6日火曜日

IS HE LIVING OR IS HE DEAD ?


MARK TWAINの短編小説の題名です。『THE COMPLETE SHORT STORIES OF MARK TWAIN』の中の一編です。MARK TWAINの作品は、大好きで読んでいる訳ではありません。英語の勉強の一環として読んでいます。が、他の作品を読むよりは興味を持って読むことは出来ます。

 

以前にも書いたと思いますが、MARK TWAINの生き方に興味があるのです。MARK TWAINは、一般的には子どもの読み物とか「オモシロ話」として受け取られていそうです。実際、童話や子供向けの「ほら話」などによく取り上げられていますから。『トムソーヤの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』などから、わたしの周りの人も、「ああ、あの童話を書いている作家。」という認識です。

 

しかし彼の作品は、もっと皮肉っぽくシニカルです。話が単純なのでそんな風には受け取られません。彼の晩年の作品は、そんな面が強く表れてきています。実際、人間嫌いになって、ひとり静かに死んでいったようです。

 

EUが公用語を決める時に、英語が第一公用語になりました。その時、英国のブレア首相が、英語を徐々にわかりやすく直していく…、と演説したという話が、まことしやかにネット上に蔓延しました。例えば、「カと発音するCは、Kに変える」というような。CANDYならKANDYのように。また、thの発音はなくすとか、完了形をなくすとか。

 

わたしは、うまくできているなあ…と、ほんとにそうだ、そうするべきだ、と。でも、その後、そのネットの話のネタがMARK TWAINの原稿によっていると知りました。その時から、MARK TWAINがホントはどんな人なのだろうかと興味を持ったのです。

 
 
 

 

THE COMPLETE SHORT STORIES OF MARK TWAIN』の作品を全て読んだ訳ではありませんが、お話は単純で単語も難しくはないので、英語の勉強には向いていると思います。が、単語が古いということはあります。そして、簡単な物語は、読んでいてフンフンと読み流してしまいそうですが。まるで、落語のようにオチのある話もあります。

 

もうひとつ彼の作品が単純と思われるのは、時代のせいではないでしょうか。彼の生きた時代は1835年から1910年。彼が著術をしていた時は、まだ19世紀末の洗礼を受けていなかったのです。まだまだ資本主義社会も成熟しておらず、人々の苦悩も複雑化していない頃、と思うのですが。

 

IS HE LIVING OR IS HE DEAD ?』は、貧乏な才能ある若い画家達が自分たちの作品が売れないのは、世間の人が死んだ画家の作品を珍重するからだと考え、仲間の画家のひとりの死亡をでっちあげて、その人の作品を売り出すというもの。その画家の名前がなんと「ミレー」です。フランスの有名な画家。このお話はフランスが舞台で、昔の小説にありがちな高級リゾートホテルの客の会話という態を取っています。

 

聞き役の紳士と語り役の紳士。その語り役の紳士が、画家の仲間の一人です。これは今まで誰にも言わず、秘密にしてきたが、もう話しても良いだろうと偶然同じテーブルに坐った紳士に語り始めます。彼らは、ひとりの仲間の死をでっちあげて、彼の描いた作品の値を吊りあげて来た。世間の人々は、作品の本当の価値ではなく、ちがう要素で作品を売買するということ。そして、彼らは大金持ちになり、こんな高級ホテルにも宿泊できるようになったのだというお話。オチは、「さっき、目の前を通った紳士がミレーなのですよ。」というもの。

 

MARK TWAINの活躍した時代は、まだ現代の苦悩を知らなかった。ダダイズムも不条理演劇もシュールリアリスムもまだなかった。これらのムーヴメントが大衆の愚かさを揶揄したのでした。しかし、大衆の力は強い。そんな揶揄など吹き飛ばしてしまいました。だから芸術などもう存在しない。あるのは、コマーシャリズムだけです。大衆に受け入れられないものなどは、作品としての価値はないのです。

 

つまり、MARK TWAINは、そんな世の中を先取りしていたのですね。









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2016年11月27日日曜日

ミサンドリーとは…


今週のブックレビューではなく先週のもので旧聞ですが、興味深い本を見つけました。『広がるミサンドリー ――― ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別』という本です。

 

先ず、「ミサンドリー」という言葉です。わたしは始めて聞きました。「ミソジニー」は、女性嫌悪あるいは女性蔑視ということ。その反対がミサンドリーという事だそうです。つまり、男性嫌悪または男性蔑視。

 

生まれながらのフェミニストと称している私としては、「女性はこうあるべき」という役割分担からの女性差別があれば、その反対の「男性はこうあるべき」という差別もあるだろうと長年主張しておりました。だから、女性対男性の対立軸ではなく、全ての人が「こうあるべき」という呪文から逃れなければならないと。




 

で、この本です。著者は、「ミソジニーは何十年も研究され、真剣に受け止められている。その一方でミサンドリーは何十年も無視されたち軽視されてきた。」と述べているそうです。(相変らず、実際に本は読んでいないので。)。

 

女性差別の方は、1990年代までに大いに是正されてきたそうです。日本ではまだでありますが。しかし、少なくとも新聞やTVなどのメディアでは、「女は家庭を守れ」などというナンセンスは排除されてきました。国会でも、まあ、表面的には女性差別の言葉は、訂正を求められます。自民党議員の本音は、ちょくちょく聞かれますが。

 

それに引きかえ「男性はどうなのか」というのが、この本の主張です。その例をカナダやアメリカのポップカルチャーから引いているのです。例えば、「笑われる男性」。今や、黒人やユダヤ人、女性など特定の集団を笑いものにすることは、コメディでもありません。が、男性は未だに「笑いもの」にされている。マッチョな男、無能な男、下品な男……。

 

そうですね~、「なんて男はバカなんだ。」なんて、笑い転げていますね。男は強い立場なのだから、笑いものにしても良い、なんて理論は通用しないと思います。現に「強い男」、権力を持った男などは、ほんの一握りの存在です。

 

被害妄想じゃないのか…、という意見もありそうですが、女性差別の場合もそういう考えに翻弄されてきたのです。女性だけが家事をするのはおかしいなどと意見を言うと、ひがんでるんじゃないかとか、もてない女の言い草だとか、よく言われたものでした。もうひとつ、「男性は、男なら潔く黙って耐える、ということを求められる。」と。

 

研究はスタートしたばかりだそうですが、なぜ今まで見過ごされていたのだろうと不思議に思いました。訳者の方が、日本のミサンドリーの例として、『ワンピース』、宮崎駿のアニメ作品、手塚治虫作品を上げているそうです。女性の場合も、古典小説から現代小説まで、女性がどのように扱われているかの研究は進んでいます。よれによりますと、ほとんどすべての小説は書き直されなければなりません。

 

まあ、社会的にそれが「差別である」との認識が得られれば、「差別発言をする人物」としての役割で、小説中では差別用語も生き残れるでしょう…、と思います。








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2016年11月17日木曜日

AIと生きる


少し前に『火星行き1人2000万円』という記事をUPしました。その記事の書き出しは、「米宇宙企業スペースXのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は27日、人類の火星移住を目指して開発する超大型ロケットと有人宇宙船の詳細を公表した。」というもの。なんだか、1950年代、60年代のSF小説の書き出しのようだと、コメントしたと思います。レイ・ブラッドベリやフィリップ・K・ディックのよう。火星時代の幕開けです。

 

そんなSF小説やSF映画のことを考えていると、なんだか世の中そんな時代に突入していくなあと改めて思いました。トランプ次期大統領のこともあります。ロボコップやバットマンの世界は、政治家ではなくビジネスマン(大企業家)が街を牛耳っていませんでしたか。警察も刑務所も民間企業の運営です。今、資本主義社会の終焉という問題もありますが、未来の事は誰も予測できないと、米学者が言っておりました。全ての人類がハッピーになる理想社会か、あるいはビッグな資本家だけがハッピーになる世界か。

 



 

もうひとつの関心事は、「AI」です。まだまだ人工知能は囲碁には勝てないと思われていましたが、最近アルファ碁が世界の一流棋士(まだ一人にですが)に勝利しました。勝負の仕方などに問題があるという議論もありますが。しかし、このようにAIが囲碁のゲームに熟達したことは、AI自身がセルフ・トートself-taught出来るようになったからです。日本企業の囲碁ソフトZENも近近日本の超一流棋士、趙治勲と対戦する予定です。治勲さんは、3年ほど前にもこのソフトと対戦しています。その時は、確か「三子局」だったと思います。今回は互先です。彼は、「3年前のAIは、坊やだったが、今は学者様だ。」と言っていました。

 

そんな「AIとの共生」の何が問題なのかと思っていましたが、その中の一つが理解できました。AIが人間が教えなくても賢くなる仕組みは、「深層学習(ディープラーニング)」というそうですが、つまりは自分で学習しているということ。そうすると、AIが何かの問題で結論を出す時、その「過程」を人がわからなくなるということです。AIがどうしてそう判断したのかを明らかにしなければ、不正を疑われることにもなります。その透明性を確保することが、現在の課題のよう。

 

将棋の最高峰羽生善治氏は、「将棋で人間がAIに勝てなく来る日は必ず来るが、そのソフトが出す応えの過程がわからなければ、人はそこから学ぶことが出来ない。」と、おっしゃっています。テレビがどうして映るのかわからなくてもテレビを視聴することはできます。が、「わかっている人間」もいますからね。人類がわからないところでAIが進歩し続けるところに「恐怖が在る」ということでしょうか。








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2016年11月4日金曜日

栄枯盛衰


栄枯盛衰は世の習い…、と申します。この度のアメリカの大統領選を傍観していると、そんな気になりますね。イギリスでの産業革命以来、英語圏の勢力が地球を覆っていましたが、その200年余の歴史もそろそろ陰りが見えてきたかと。

 

慶応大学教授・渡辺靖氏の「オバマとは何だったか」という寄稿文を朝日新聞に見つけました。オバマ大統領の意味を語ったものですが、結論から言うと「米大統領が辛うじて(世界で)輝きを放っていた最後の時代。それがオバマ時代だったのではないか。」と言うもの。

 
 
 
 
 
 

渡辺氏によりますと、理想主義と現実主義という二項対立の昇華にこそ「オバマイズム」の本質と真骨頂があった気がする…と。理想なき現実主義も、現実なき理想主義も不毛であるという信念をオバマ氏は持っていたということ。「世界には悪は存在する。時には武力は必要である。」との言。あるいは、再生エネルギー問題に対しても単なる理想的な「環境運動」としてではなく、産業競争力や国家安全保障のためという現実主義者としての側面を同時に強調したということ。

 

また、アフリカ系としてのはじめての大統領で、就任演説で無宗教者の尊厳を擁護し、米大統領ではじめて同性婚支持を表明しました。「白人やキリスト教徒の比率の低下、人口構成や価値観が多様化する米社会を象徴する」と渡辺氏は述べています。

 

オバマ氏は、「米国は世界の警察ではない」と公言し、第2次世界大戦以降の米国の態度を修正しました。また、米国が係わった戦争や対立などの重い過去に向き合い和解を試みてもいます。被爆地広島の訪問やキューバやアルゼンチン、イラン、ミャンマー、ベトナム、ラオスとの歴史的関係改善に取り組んだこと等などからです。

 

中東の問題やIS(イスラム国)の台頭などをオバマ氏の弱腰外交の所為にする向きもありますが、それは、我々(アメリカ以外の国)の方こそ「アメリカが世界の警察である」とのイメージを払拭できないからではないかと渡辺氏は言います。

 

つまり、もう我々は世界情勢の不和を米国一国の所為にはできなし、米国が解決してくれると傍観していてはならないのです。そんな時代が来ているということです。これから益々米大統領や米国の裁量の余地は制約されていきます。米国パワーの衰退という事です。群雄割拠の時代…、Gゼロの時代…。どんな時代が来るのでしょうか。

 

 

そうそう、麻生太郎副総理も、


何となく不思議な不動産屋さんが(大統領に)なるか、何となくメール問題のおばさんがなるか、不幸な選択、どっちみち選ばないかんという話をみんな言います。そばで見ていてブンヤ(=新聞記者)はいよいよ面白いでしょうけれども、(米大統領と)付き合わなきゃいかんこっちは「結構しんどいなぁ」と思っておかなきゃいかん。その覚悟はしとかないかんですよ。

 

と、自民党国会議員のパーティーでおっしゃっていたそうです。

 

 

もう米国の顔色を窺う時代ではなくなったということでしょうかあ。








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2016年11月3日木曜日

IoT時代がやって来た


IoTとはなんであるか…、つい最近その意味を知りました。Internet of Thingsの略だそうです。これで、ソフトバンクの社長が「全てのモノに通信機能を与える取り組みを推進する」と言っていたことが理解できました。物に通信機能って何と、思っていたから…。

 

あらゆるモノをインターネットで繋ぐとはどういうことかという具体的な例を新聞記事で見ました。例えば、食器洗い機とインターネットの場合は;食器洗い機が使用した洗剤の量を自動的に記録します。すると、洗剤の残りが少なくなった頃に、食器洗い機が自分でアマゾンなどに洗剤を注文します。その持主が、洗剤が無くなってきたなあと思った時、持主は何もしなくてもアマゾンからその洗剤が届くというシステム。GEアプライアンス社の製品だそうです。現実に存在するのですね。

 

第3次産業革命か第4次かは知りませんが、そのくらいの画期的な事。経営コンサルタントの小林哲倫氏が紹介していました。「私たちも気後れすることなく、大きな可能性を予感しながら、日々の変化に注目していきたいと思います。」というコメントを添えて。

 


 

 

インターネットやスマホの普及によって、世の中急激に変化しているようです。そんな時代の真っ只中に我々は暮しているのですね。そんな変化を肯定的に受け止め、明るい未来を想像できる人は幸せかも。

 

小林氏のコメントもまさに企業家の言い分。ネットの網の目からこぼれ落ちた人々の運命は如何に。ますますの「富の偏在」が予感されます。ベーシック・インカムなど社会福祉の方にも視線が向いてくれますようにと、思うこの頃です。







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2016年10月27日木曜日

iPSから卵子


マウスのiPS細胞から体外培養で卵子をつくることに成功した模様です。10月18日の新聞記事からです。いろいろ複雑なようですが、九州大学と京都大学などの研究チームが成し遂げて、その卵子を体外受精させることによって子孫も得られたと言います。

 

研究チームは、2012年にiPS細胞から卵子をつくることに成功したと発表しています。この時は、iPS細胞から卵子や精子の元になる「資源生殖細胞」をつくり、胎児から取り出した将来卵巣に育つ細胞と一緒に培養して、マウスの卵巣に移植しました。

 

今回の違いは、iPS細胞からの始原生殖細胞を卵巣に育つ細胞と一緒にした後、マウスの卵巣に戻すことなく、体外で培養した点です。その様にして出来た卵子を通常の精子と体外受精させて子宮に戻しました。1348個の受精卵の内、最終的には8匹のこどもが生まれました。この8匹からは、通常の生殖で他のマウスとの間にこどもが生まれました。つまり、生殖可能なマウスがiPS細胞から生まれたということです。その上、そのiPS細胞は、メスのマウスの尻尾から作られたのです。

 

研究チームは、「これまでよくわからなかった卵巣内で卵子が育つ過程を培養皿で詳しく観察できるようになり、不妊の原因解明などにつながる。」と述べています。あくまでも、不妊原因の解明や治療法の開発というスタンスです。

 

 



 

どうでしょう。マウスで出来たことは、将来人間においてもできることは明白。いろいろな倫理上の問題はあるでしょうが。しかし、人類はそんなこと有耶無耶の内に克服しますよ。

 

今でも女性が何歳になっても自分のこどもが出来るように、卵子を冷凍保存する時代です。これで好きなときに自分のこどもが持てます。が、iPS細胞となると、また、尻尾からでも可能となると、女性の髪の毛からとかホンの微細な細胞から子どもが出来てしまいます。卵子なんて必要ありません。

 

もっと飛躍すると、自分の好きな女性の髪の毛を手に入れて、子どもを作ってしまうことも可能かも。そんなSF映画がありましたね。そんな世界が目の前にあるかも。







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2016年10月14日金曜日

在宅TV会議―すっぴんで


10月12日の新聞記事です。資生堂がテレビ会議の画面に映った素顔を自動で化粧してくれるアプリを開発したという内容。会社に出勤せず自宅などで情報通信技術(ICT)を使って働く女性が増えてきました。そんな女性を支援するという意図です。

 

テレビ会議の為にわざわざ化粧をするのは手間がかかるということで、自分の顔を事前にカメラに読み込ませると、画面上の肌の色を整え、毛穴やシミなどをぼかし、口紅やチークを施して美しい顔に仕上げるアプリ。メイクの種類も4種類あり好きなものを選べるそうです。微調整もできます。

 

資生堂は、「アプリで美しくなることで気持ちが高まり、逆に実際のメークアップもしたいと思ってもらえずはず。」との期待です。

 
 

 

スマホで写真を撮ると修正できるように、この技術もまだ初期段階でしょうが、どんどん発達していくでしょう。わたしがいつも思うことは、段々、物を作らなくても良い時代が来るのではと言うこと。つまり、コンピュータの中でデザインできる人がいれば、そのデザイナーのみで用が足りる世界が出来上がると。

 

モニターも紙のような薄さの物があります。電車の吊り広告などに使い、画面を買えることで広告を換えられる…、紙代の節約です。それならば、服もそんなモニターで作れば、それ一つで、いろいろなデザインの服を楽しめます。建物も基本の家を作れば、あとは、見え方を変えるだけ。電化製品などもいけると思います。で、あとはその見え方のデザイナーだけがいれば良いということに。

 

もし、コンピュータ・チップを人体に埋め込むような時代が来たら、どんな服を着ていても、どんなヘアースタイルでも、「自分の理想の姿」を他の人に見せる事が出来るかもしれない。コンピュータ回路を使って相手に送信するのです。あるいは、他の人自体が好みのものを「自分に」反映させることができるかも。そうなれば、人はバーチャルだけで生きていけますよ。

 

 

最後は、『マトリックス』の世界ですね。








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2016年10月7日金曜日

「折々のことば」


朝日新聞に毎朝掲載されているコラムです。今日の言葉は、

 

人は、ことばを覚えて、幸福を失う。

そして、覚えたことばと

おなじだけの悲しみを知る者になる。    (長田 弘)

 

でした。

 

絵本『幼い子は微笑む』からとありました。人がこの世で始めて覚えた「ことばでないことば」、そう、微笑みを忘れて、ことばを操るようになると。赤子は人々の間で生きていく間に「ことば」を獲得するが、何もわからず、微笑みを返していた時の「幸福」は何処に、と。

 

わたしは、あかちゃんのことは考えませんでしたが、人類が「ことば」を獲得した時、失ったものが多くあるのではないかと考えていました。もちろん言葉のおかげで、人間はいろいろなものを得ました。文明も、進歩も。しかし、「ことばでは表せないもの」をすべて失ってしまった。

 

「便利になった分、失うものがある」と同じ理屈です。機械に頼るばかりにその機械が無ければ何もできない。火を熾せない。星座から方角を知ることが出来ない。コンピュータが無ければ図面を引けない。将来、水道の蛇口を回せない人が現われるかも。

 



 

「ことばから得られる感動」の話はよく聞きます。「だから本を読め」とか言う類の事。しかし、言葉では表せないところから来る感動もあります。でも、人はその感動を表現できない。説明できない。だから、言葉を得た今では、それは無いに等しい。

 

ことばのない世界では、きっと宇宙との一体感、地球との一体感、全ての物との一体感、ただ「存在している」だけの幸せが……、無いでしょうかねェ。








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