2016年10月27日木曜日

iPSから卵子


マウスのiPS細胞から体外培養で卵子をつくることに成功した模様です。10月18日の新聞記事からです。いろいろ複雑なようですが、九州大学と京都大学などの研究チームが成し遂げて、その卵子を体外受精させることによって子孫も得られたと言います。

 

研究チームは、2012年にiPS細胞から卵子をつくることに成功したと発表しています。この時は、iPS細胞から卵子や精子の元になる「資源生殖細胞」をつくり、胎児から取り出した将来卵巣に育つ細胞と一緒に培養して、マウスの卵巣に移植しました。

 

今回の違いは、iPS細胞からの始原生殖細胞を卵巣に育つ細胞と一緒にした後、マウスの卵巣に戻すことなく、体外で培養した点です。その様にして出来た卵子を通常の精子と体外受精させて子宮に戻しました。1348個の受精卵の内、最終的には8匹のこどもが生まれました。この8匹からは、通常の生殖で他のマウスとの間にこどもが生まれました。つまり、生殖可能なマウスがiPS細胞から生まれたということです。その上、そのiPS細胞は、メスのマウスの尻尾から作られたのです。

 

研究チームは、「これまでよくわからなかった卵巣内で卵子が育つ過程を培養皿で詳しく観察できるようになり、不妊の原因解明などにつながる。」と述べています。あくまでも、不妊原因の解明や治療法の開発というスタンスです。

 

 



 

どうでしょう。マウスで出来たことは、将来人間においてもできることは明白。いろいろな倫理上の問題はあるでしょうが。しかし、人類はそんなこと有耶無耶の内に克服しますよ。

 

今でも女性が何歳になっても自分のこどもが出来るように、卵子を冷凍保存する時代です。これで好きなときに自分のこどもが持てます。が、iPS細胞となると、また、尻尾からでも可能となると、女性の髪の毛からとかホンの微細な細胞から子どもが出来てしまいます。卵子なんて必要ありません。

 

もっと飛躍すると、自分の好きな女性の髪の毛を手に入れて、子どもを作ってしまうことも可能かも。そんなSF映画がありましたね。そんな世界が目の前にあるかも。







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2016年10月14日金曜日

在宅TV会議―すっぴんで


10月12日の新聞記事です。資生堂がテレビ会議の画面に映った素顔を自動で化粧してくれるアプリを開発したという内容。会社に出勤せず自宅などで情報通信技術(ICT)を使って働く女性が増えてきました。そんな女性を支援するという意図です。

 

テレビ会議の為にわざわざ化粧をするのは手間がかかるということで、自分の顔を事前にカメラに読み込ませると、画面上の肌の色を整え、毛穴やシミなどをぼかし、口紅やチークを施して美しい顔に仕上げるアプリ。メイクの種類も4種類あり好きなものを選べるそうです。微調整もできます。

 

資生堂は、「アプリで美しくなることで気持ちが高まり、逆に実際のメークアップもしたいと思ってもらえずはず。」との期待です。

 
 

 

スマホで写真を撮ると修正できるように、この技術もまだ初期段階でしょうが、どんどん発達していくでしょう。わたしがいつも思うことは、段々、物を作らなくても良い時代が来るのではと言うこと。つまり、コンピュータの中でデザインできる人がいれば、そのデザイナーのみで用が足りる世界が出来上がると。

 

モニターも紙のような薄さの物があります。電車の吊り広告などに使い、画面を買えることで広告を換えられる…、紙代の節約です。それならば、服もそんなモニターで作れば、それ一つで、いろいろなデザインの服を楽しめます。建物も基本の家を作れば、あとは、見え方を変えるだけ。電化製品などもいけると思います。で、あとはその見え方のデザイナーだけがいれば良いということに。

 

もし、コンピュータ・チップを人体に埋め込むような時代が来たら、どんな服を着ていても、どんなヘアースタイルでも、「自分の理想の姿」を他の人に見せる事が出来るかもしれない。コンピュータ回路を使って相手に送信するのです。あるいは、他の人自体が好みのものを「自分に」反映させることができるかも。そうなれば、人はバーチャルだけで生きていけますよ。

 

 

最後は、『マトリックス』の世界ですね。








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2016年10月7日金曜日

「折々のことば」


朝日新聞に毎朝掲載されているコラムです。今日の言葉は、

 

人は、ことばを覚えて、幸福を失う。

そして、覚えたことばと

おなじだけの悲しみを知る者になる。    (長田 弘)

 

でした。

 

絵本『幼い子は微笑む』からとありました。人がこの世で始めて覚えた「ことばでないことば」、そう、微笑みを忘れて、ことばを操るようになると。赤子は人々の間で生きていく間に「ことば」を獲得するが、何もわからず、微笑みを返していた時の「幸福」は何処に、と。

 

わたしは、あかちゃんのことは考えませんでしたが、人類が「ことば」を獲得した時、失ったものが多くあるのではないかと考えていました。もちろん言葉のおかげで、人間はいろいろなものを得ました。文明も、進歩も。しかし、「ことばでは表せないもの」をすべて失ってしまった。

 

「便利になった分、失うものがある」と同じ理屈です。機械に頼るばかりにその機械が無ければ何もできない。火を熾せない。星座から方角を知ることが出来ない。コンピュータが無ければ図面を引けない。将来、水道の蛇口を回せない人が現われるかも。

 



 

「ことばから得られる感動」の話はよく聞きます。「だから本を読め」とか言う類の事。しかし、言葉では表せないところから来る感動もあります。でも、人はその感動を表現できない。説明できない。だから、言葉を得た今では、それは無いに等しい。

 

ことばのない世界では、きっと宇宙との一体感、地球との一体感、全ての物との一体感、ただ「存在している」だけの幸せが……、無いでしょうかねェ。








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2016年10月6日木曜日

グローバル化の終焉


10月4日、朝日新聞の記事からです。「グローバリズムの危機」をエマニュエル・トッド氏が語っています。彼の著作『グローバリズム以後』も近く翻訳されて刊行される模様。興味津々です。なぜなら、あまりにもグローバリズムが推奨され、日本は時代に乗り遅れていると批難される現実があったから。世界のグローバル化に乗り遅れないようにと、英語教育の異常な盛り上がりとか、企業も海外に進出しなければと踊らされたりと。つまり、グローバリズムは「そんなにイイもんなんか」と常々疑問に思っていました。

 

彼によりますと、「グローバリズムとは経済で世界を一つにするという『イデオロギー』なのだ。」と言うこと。貿易が活発化し、人や資本の自由な移動を通じて各国が収斂されていくという米国の思惑が出発点。そして今、グローバル化を発展させてきた米国と英国の危機により、グローバル化も終わりを迎えつつある…。(グローバリズムを牽引してきたのが英国・米国だったということが、英語の世界共通語化をもたらしていたのですね。)

 

その英国もEUから離脱することになり、「国家への回帰」を選びました。米国の大統領選では、トランプ氏が移民制限と自由貿易の拒否を打ち出し、反グローバル化を標榜しています。ドット氏は、「米国自体が、グローバル化、新自由主義に耐えられなくなっている。」と指摘しています。高等教育を受ける事ができ、「新自由主義」に耐えられる金持ち層と中間層の格差の現われです。中間層は、ハイパー個人主義の極たる「新自由主義」に対し、反乱を起こしているのです。

 

ドット氏は、「大統領選でグローバル化の神話は終わり、国家回帰に拍車がかかるだろう。」と予言します。しかしその崩壊により、「経済と言う狭いビジョンだけにとらわれず、より政治的、知的な面に光が当たることにもなる。」とも言っています。

 



 

わたしの言いたいことは、「日本はいつも何かに乗り遅れて、ようやく乗ろうとする時、それはすでに終わりを迎えている。」ということ。グローバル化然りです。TPPだのなんだの言っているうちに、米国はTPPを見限ってグローバル化から撤退する。

 

ハーグ条約然り、脳死問題然り、移民問題然りです。いつも世界(欧米諸国)から日本の対応は遅いと批難され、圧力をかけられ、政府がようやく国内法整備を終えて参加すると、世界(欧米諸国)では、それ自体に対する批判がおこり見直しがされるとか終焉するとか。日本はまたひとり取り残されてしまいます。

 

ハーグ条約は、条約の中に「差別の構造がある」とわたしは思っていましたが、欧米でも今見直されているところです。脳死移植についても、日本では「脳死を死としない」ということで問題となりましたが、それがクリアになった時、アメリカでは脳死を死とすることに疑問が投げかけられています。

 

一周遅れで走っていた日本が、遅れ続けてトップに出たというような…、そんな感じでしょうか。もっと、ポリシーを持って生きて行きたいものです。









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