2015年7月28日火曜日

わたしは「何故」囲碁を頑張っているのか。


自分の趣味が何であるかという事をあまり考えた事はありません。ただ、好きな事をしているだけです。なにかの拍子に「御趣味は」と聞かれた場合は、「読書です」あるいは少し前は「映画鑑賞です」と答えていました。しかし、趣味とは言えないなあ~~~。

 

2年ほど前から囲碁を始め、碁会所や棋院にも通っています。傍から見るとこれはまさにわたしの「趣味」のようです。我ながら、「わたしはなんでこんなに頑張って囲碁をしているんだろう。」と思う時もあります。だって、囲碁は単なるゲームなのですから。

 

何故なのだろうと考えると、わたしが好きで現在やっていることは、三つあると気付きました。ブログ、英語、囲碁です。ブログは、上海から戻った2005年頃に始めましたので、もう10年は続いています。何事も少しは一人前になるのに10年はかかると思っていますが、「ブログを書く」ことも最近ではスムースに書けるようになって来た感がします。もともと本を読むことが好きなので、自分でも何か書きたいという欲求はありました。その意味は?と考えると、どうも自己表現の欲求ではないかと。そして何かを創造(創作)することかと。

 

次に英語ですが、これはたぶん1998年ケープタウンの英語学校に行ったのが始まりと思います。なので、これも10年以上たっています。海外の英語学校でアドバンス・クラスに入ることができたのは、2007年マルタの学校の時ですから、やはり10年はかかっています。人と話すことがキライで、まして英語力はわたしの仕事に関係はなかったし、日本で暮らしているかぎり英語を使うシーンなどどこにもありません。2~3回道端で、英語で道を尋ねられた時に使っただけです。(余談ながら、海外旅行に英語は必要ありませんよ。中国語をしゃべれない私でも上海で暮らせましたしネ。)

 

では何故英語の勉強を続けていたのだろうかと考えると、やはり自己表現と思います。これはチョット屈折していますが、1998年頃英語を始めた時の先生(日本の学校の先生)があまりにも理不尽だと感じたからです。英語を話しているというだけで上から目線、そして英語を話せない生徒を子ども扱い…、または、自国の文化だけを良い文化、日本の文化は遅れていると、そんなところです。日本語は野蛮で、表現方法が洗練されていないと、言った先生もいましたよ。漫才や落語などの「日本の話芸」も、彼等は見下しています。日本語を理解していないのに、なぜ批評できるのかと思ってしまいます。そんな訳でわたしは彼等に反対意見を言うために英語を学び続けたのでした。そして、自分の意見を表現する技術を見に付け、創造の世界を手に入れたのです。(少々オーバーな表現があるところはお許しください。)

 
 
 
 

そして囲碁です。囲碁は、老いても続けられることは何かと思い、始めました。始める前に、NHKの囲碁講座を2~3カ月見続けました。これならできるという確証が欲しかったからです。やり始めたのはいいものの、たいへんな道のりです。今までのゲームでは、こうすれば勝てるという漠とした方法がすぐわかりましたが、碁はわかりません。やれどもやれども、新たな疑問符が湧いてくるのです。

 

わたしの周りの人たちは10年も20年も30年も囲碁を打ち続けている方々。先ずは、基本的知識と経験の不足だと思い、今は我慢の時と頑張っています。そうすると、「何故なんだ」という疑問が湧いてくるのです。囲碁なんて所詮ゲームじゃないか。なんの役にも立たないし、いっしょうけんめいやる価値は果たしてあるのかと。

 

しかし、囲碁も自己表現の一種ではないのかと思い至りました。昔の人が考えた定石を覚え、それを駆使して勝つことに何の意味があるのかと思いましたが、そこを乗り越えるところに意味があるのではと。数学の定理を覚えてからの自分のテーマの「発見」というように。

 

自分の「局」を創造すること――これかなと。でも、これはプロの棋士でも容易な業ではありません…と思います。これもまた、10年経てば微かな道が見えてくるのかなあと思う今日この頃です。とりあえずの目標は、2~3年内に有段者になることと、しておきましょう。









にほんブログ村 英語ブログ 英語学習者へ
にほんブログ村

2015年7月23日木曜日

篠田桃紅さんについての追記です。


以前、篠田桃紅さんの著書についてUPしました。と言って、彼女の著作を読んだわけではなく、朝日新聞の書評欄で彼女がインタビューされている記事を読んで、その感想を述べただけですが。

 

重複になりますが、彼女のことを少々紹介すると、桃紅さんは世界的な画家です。墨を使って描かれた絵(あるいは書道)でアブストラクトな作風です。有名な世界の美術館に彼女の作品が収蔵されています。現在102歳で、現役の画家として活躍しています。また、エッセイストとして、いくつかの彼女の本が出版されています。





 

先日、美容院に行きました。待ち時間に渡された『婦人画報』のページをペラペラとめくっていたところ、篠田桃紅さんのエッセイ・コラムのような小さな記事が目に止まりました。読んでみたところ、「オオおおお~」という感じ。つまり、朝日新聞の記事でも相当過激な意見が書いてあったのに、その上をいく過激さだったのです。

 

その時の記憶を頼りに報告いたしますと、

 

「最近、インタビューをされる機会が増えました。しかし、あとでその記事を読むとがっかりします。紋切り型のインタビューと一般受けする答えになっているからです。これこそ<マス>メディアということでしょうか。人とおしゃべりしても何にもなりません。わたしの言う事を理解してくれる人がいないからです。受け入れられないわたしの考えを封印して、なんで人とおしゃべりなどできましょう。日々ひとり精進し、己の道を進んでいきたいと思います。」(こんな感じだったと思いますが~~~、間違っていたらゴメン。)

 

102歳にしてこれですよ。素晴らしいと思いませんか。相当強い人ですね。こうも世間と妥協しなかったら、普通の人では生きていけませんよ。だから、芸術家として成立しているのでしょう。「老成とか悟り」の境地ではなく、まだまだ先を見つめて前進しているのです。わたしにも人の思惑を気にすることない強い意志があったなら…、自分の才能を信じる強さがあったなら…、と羨ましく思います。

 

桃紅さんは、5歳ごろから書道を始め、父親の手ほどきを受けていたそうです。が、その後は独学で書を学びました。彼女は、このように言っています。「お手本通りすることなど朝飯前ですが、それではつまらない。お手本をまねするのは複製を作ること。アートでは、まねしたものは偽物です。」と。もちろんその通りと思います。でもわたしなら「朝飯前」とは言わないでしょう。ここまで言ってしまう「強さ」、それがわたしの足りないところなのでしょう。

 

以前UPしたお話は、英語のトピック・クラスで話しました。彼女の言葉、『歳を取ることは「クリエート」する事だ』を紹介したところ、先生に「えっ。」と言われてしまいました。To grow older means to create. と言ったのですが。彼女の言った意味は、「人生にはお手本がありません。自分で考えて自分の人生を創造していかなければいけないからです。」ということ。

 

先生が言うには、英語が間違っていたから聞き直したわけではないと。今まで聞いたことがないことをわたしが言ったから、「えっ。」と言ったんだと。それで、人って自分の理解できないことを聞くと、頭が「言葉」として受け入れないんだなあ、と感じました。以前、「君が完璧に英語を話せるようになっても、君の言う事は理解できないだろうね。」とある英会話の先生(アメリカ人)に言われてことを思い出しました。わたしも一人で生きていきましょうかね~~~。







にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村

2015年7月18日土曜日

英語<会話>学習について


英語学習と英会話学習は根本的に違うと思います。前回、「会話がキライなのになぜ英会話教室に通うのか」と書きました。わたしが言う「会話」とは、日常会話のことでディスカッションなら大いに歓迎です。それは、「授業料を払って」英語を学びに行っているからです。たわいないおしゃべりに授業料なんか払えませんよ。ちょっと、過激でしょうか。

 

今回のReading(?)クラスの課題『Amazing World News』は、木曜日に話しあいました。英語で書かれてはいますが、小学生レベルの内容だと前回書いた話題です。通常、テキストを選んだ人が、話しあう前に少々「前置き」を話します。で、彼女が言ったことです。

 

『これは新書として出版されているの。著者はイギリス人で東京の(どこかは忘れました)大学で英語を教えています。彼はHorizontalな意見の持主なの。Verticalじゃないの。英語のテキストも多く出版しています。』

 

だから、単語に*マークが付いていたりしたんですねえ。HorizontalVerticalな考えとはなんやろと思ったら、Verticalは深く掘り下げて語るということ。Horizontalとは、浅く平易に語ることなんだそうです。それで納得しました。小学生レベルの内容が。こんなテキストで大学生が英語を学んでいるとは驚きです。

 

わたしが大学生の頃は、大学の各教科のテキストは英語ではなく、日本語に訳されたものでした。しかし、近年ではテキストは日本語に訳したものでなく原語のものを使うと聞いています。つまり、経済学のテキストや物理や化学の教科書も学生は原語で読まなくてはいけないということです。それなのになんでこんな平易な英語を学ばなければいけないと思う訳です。わたしは英文科卒ではありませんが、大学の英語の授業は「ポー」や「ベケット」を原語テキストで学んでいました。言いたい事は、「英会話―話すこと」を重視するばかりに英語学習が劣化しているのではないかということです。

 

少し前、高校生の英会話学習に関する記事を読みました。どこの学校かは忘れましたが少々有名校だった事は確かです。生徒はネイティブの先生の授業がつまらなくて抗議したそうです。「おはよう」とか「昨日は何をしましたか」なんていうくだらない質問にうんざりしたということですね。それで先生は、「それでは、英語で討論をするのはどうか」と提案したそうです。始めは生徒にとっては難しいことでしたが、「やる気」は出て段々スムースに英語が話せるようになったそうです。そして彼らは、ディベートの世界大会まで行ったんですよ。優勝はできませんでしたが、新たな刺激になったと喜んでいたそうです。

 

また、ネイティブの英会話授業を無批判に受け入れると英語圏文化に洗脳されてしまうという危険性もあります。今まで英語を学んできた経験から申しますと、オックスフォードのテキスト内容に日本人として馴染めないところがあります。わたしくらいの年齢(?)になると、それを異文化として受け止めることができますが、幼い頃から英会話漬けではどんな影響がでるのでしょうね。

 
 
 
 

例を2~3挙げますと、「人に文句を言う」ということです。なお且つ、そこで勝たなければいけません。言い負かすということです。通信販売で違う商品が来たから取り替えてもらうという程度のことなら、もっともなことです(そんなこと習う必要はないと思うけど)。わたしが経験した問題では(ケープタウンの学校で)、ホテルに泊まって、駐車場のすぐ隣の部屋だったので騒音が激しい。で、どのようにホテル側に文句を言うかというもの。ドイツ人の男性と組まされて、わたしは客の側でロールプレイです。通常、わたしなら1泊くらいなら我慢しますよ。それから部屋を変えてくれと言うにしても、相手を傷つけないようにさり気なく言いますよ。でもそんなことを言う方法は、英語では教えてもらえません。英語に訳せない感情もあるからです。ネゴシエーションをして有利にことを運ばなければいけないのです。

 

英語で表現できない感情という点では、本屋さんで「スイマセンがこの本がどこにあるか案内してもらえませんか。」と聞きたい時どういうかと、日本人の生徒が先生に質問したことがありました。先生の答えは、「そんなことを言わなくても良い。ただ、この本はどこにあるのかと聞けばいい。」と。

 

ハワイ島での経験です。先生は、東京に10年以上住んでいて日本語はペラペラでした。ハワイ島で、日本人相手のガイドもしていましたから。でもやはりアメリカ人です。例の如くレストランでクレームをつける方法とか教えます。そしてまた、「会話を広げなくてはいけない」という教えも。会話を広げるメソッドも英会話学習の必須ですね。わたしも「郷に入れば郷に従え」と会話を広げる練習をしましたよ。

 

で、泊っていたホテルのプールサイド・バーのカウンターに坐ってビールを飲んでいた時、隣の隣の席に男性がひとり坐りました(アメリカ人)。バーのマスターにどのビールがいいか聞いている様子。それで、わたしが飲んでいるビールをマスターが指して、あのビールがいいよと言った様子。その男性はわたしに「美味しいか」と聞きました。それでわたしは、「近くのBreweryで5種類試飲したけどこれが一番おいしかった。」と言いました。マスターも賛成。それで、その人もそのビールを注文しました。

 

ここまではイイです。わたしは、先生がおっしゃった「会話を広げる」という教えを実践しようと、男性がハワイの「まぐろ」の御刺身を頼んだ時、ちょっと会話に加わってみようと、「えっ、その魚はまぐろか。先日そうとは知らずに近くのレストランでその魚のハンバーガーを食べた。」と言ってみました。マスターは「そう、まぐろの一種だ。」と。と、男性が、席が遠いからとわたしの隣に移動しました。ちょっとやばいことになりそうと。案の定、そんなことに。先生も「会話を広げる」ことを教えるなら、その後の対策も教えてもらいたいものです。「ナンパをどう避けるか」をです。

 

 

ちょっと愚痴っぽくなりましたね。次回同じこの話題について書く時は、もう少しアカデミックに書きます。ネタはありますから。







にほんブログ村 英語ブログ 英語学習者へ
にほんブログ村

2015年7月12日日曜日

ヒトとおしゃべりするのがキライなのに、なぜ、英会話クラスに通っているのでしょうか。

次回のREADINGクラスの当番の方は、小説ではないテキストを選んで来ました。それが最悪です。題は、AMAZING WORLD NEWS ですが、とってもイージーで英語の勉強と思うから読めるものの、日本語で書いてあったら小学生向きの「おもしろニュース」といった程度のものです。また、簡単な英語に書きなおしてあるような~。

 

毎回10ページ程度という条件なので、2つのニュースをもらいました。ひとつは、Cebu’s Dancing Prisoners、もうひとつは、One Day in Tunisia Changed the Worldです。後者は、いわゆる「アラブの春」の話。いささかDATEDの感がします。と言うのは、「アラブの春」が一人の若者の行動から始まったという事がメインテーマになっており、現在のその地域の複雑な状況が何も書かれていないからです。その上、その若者の行動がなぜ世界的にセンセーショナルな出来事になったのか…、つまりSNSの役割の事にも触れられていません。

 
 
 
 
 

Cebu’s Dancing Prisoners は、フィリピンの監獄が収拾がつかないほど荒れた時期に、囚人にダンスの教習を施したところ「皆で協力して成し遂げる」という精神が喚起されて、今では平静を取り戻したという話。

 

Doctors say that this welcome change in the prisoners’ behavior comes through a change in their way of thinking.  When your mind is occupied with happy thoughts about music and dancing, there’s no room for thinking about drugs, violence or getting revenge on enemies.

 

音楽が荒れた心を取り戻すという話はよく聞きます。セラピーですね。また、悪い環境に置かれているこどもたちも楽器に触れることにより立ち直るきっかけをつかむ…と言う話も聞きますしね。

 

つまり音楽は、人類が言葉を手に入れる前から我々の内に存在するということです。どこかで読みました。『日本人の身体』だったかなあ。その集団の生活方法により音楽も変わってくるとか。狩りを主にする集団は、獲物を捕るのに集団行動が必要です。それで、狩猟に出かける前に、皆で狩猟のおどりをします。お互いのリズムを合わせるためだそうです。そのダンスの出来不出来によって、狩猟を取りやめることもあったとか。農耕生活を主にする集団では、そのようなリズムを合わせる必要はないのであまりリズム感は発達しなかったとか。踊りは収穫祭で踊られるのでしょう。

 

ここでちょっと興味を魅かれたのは、[Music and dancing are part of the Philippine culture anyway.]という一文です。わたしはラテン・アメリカ(南アメリカ)のことを思い出してしまいました。スペインに支配された国々のことです。スペインとカソリックの洗礼を受けた文化は、ちょっと特殊性を帯びるような気がして。南北アメリカの文化の特徴の違いは、イギリスあるいはプロテスタントの影響を受けたこと、そしてスペインあるいはカソリックの影響を受けたことの差であるとわたしは考えているからです。

 

そう考えるとフィリピンは他のアジアの国々と少々違う感じがしませんか。わたしの記憶によると、アジアでフィリピンだけがスペインの植民地だったと思うけど……どうかなあ。

 

そうそう昨日の新聞で『ローマ法王、中南米征服「謙虚に謝罪」』という記事を見ました。今、南米を訪問中のフランシスコ法王は、15世紀以降のスペインなどによる中南米征服の歴史に触れ、「謙虚に謝罪したい」と述べたそうです。教会の布教の一方で先住民の虐殺や奴隷労働があったことに対する謝罪です。

 

 

こんな感想を持ちましたが、こんなことクラスで話しても受け入れてもらえないだろうなあ。。。

 

 






にほんブログ村 英語ブログ 英語学習者へ
にほんブログ村

2015年7月7日火曜日

アイザック・B・シンガー


アイザック・B・シンガーの本は2冊持っています。一冊は、1971年に買ったもの。もう一冊は2013年に買いました。最初の本の題名は、『短い金曜日』、ふたつめは『不浄の血』。二冊とも短編集です。

 

アイザック・B・シンガーは、ニューヨークに住んでいましたが、当時のアメリカ文学の世界では特異な存在でした。ポーランドからの移民ですが、彼の書く小説はすべてイディッシュ語で書かれていました。イディッシュ語とは、もともと中世の高地ドイツ語を基盤にし、ヘブライ語、アラム語、ポーランド語、ウクライナ語、ロシア語から語彙を取り入れ、ヘブライ文字で右から左に書かれているものです。

 

つまり、東欧のゲットーでユダヤ人が使っていた言語でした。また、アルシュケナジ系(わたしにはわかりません。受け売りです。)ユダヤ人の特殊な文化伝統を表現する言語として維持されてきました。19世紀から20世紀初頭までが最盛期で、その後は消えつつある言語です。

 

アイザック・B・シンガーは、ユダヤ人が東欧で迫害を受けてきた事による(そしてナチスの迫害へと)ディアスポラです。先に彼の兄がアメリカに渡っていて、彼がその後を追ったということ。そして、アメリカに渡った後、イディッシュ語で小説を書く作家となったのです。

 

『短い金曜日』を買った1971年、わたしは大学生でした。新聞の書評で彼の事を知ったのです。いつものようにミーハーなわたしは、「おもしろそうお」っと、何の考えもなく買いました。そうそう、「悪霊とびかう奇想天外な物語・ユダヤ文学の最高峰」というキャッチに魅かれたとも言えますね。

 

短篇が12篇です。まるっきり内容を覚えておりませんが、「う~~~ん」と唸ってしまったことは確かです。尋常でない荒唐無稽なお話群だったから。1978年、イディッシュ作家として初めてノーベル文学賞を受賞しました。

 



 

そして、『不浄の血』。ずいぶんと時を置いて買った二冊目です。1991年に彼は没しています。しかし、最近になって(2013年だけど)、新しく彼の本が邦訳されました。『短い金曜日』の方は英語からの重訳でしたが、『不浄の血』は、イディッシュ語で書かれたものを直接訳しています。またまたわたしのミーハー魂に火が付いて買ってしまったという訳。

 

読後感は、ひとこと「重かったあ~」です。若い時は彼の濃厚な「悪意」や「残虐性」に耐えられましたが、歳を取ると心にズシンこたえます。彼の作品に流れている世界は、ユダヤ的土着性から来る濃厚な文化・伝統・宗教・生活習慣です。もちろんユダヤ教の戒律や習慣などが基になっている人間模様です。と言って、ユダヤ教賛美と言うことではなく、その戒律を頑なに守る人々を揶揄しているものもあります。そのユダヤ教の指導者であるラビでさえ愚劣さ無能ぶりが皮肉られます。

 

ひとつは、寓話のような世界です。ロシアで言うと『イワンの馬鹿』のようなもの。馬鹿ではあるが、人を疑う事を知らぬ人物で、まわりのものは彼をからかい、虚仮にし、利用し、総てのものを彼から奪い取ります。が、それでも彼は疑う事を知らず、幸せな人間であり続けます。彼からは聖性すら感じます。(『ギンプルのてんねん』は、両方の本に掲載されていました。)

 

または、男性優位なユダヤ教の中でたくましく生きる女性です。「たくましく」とは元気にという意味でなく、男を手玉にとって悪の限りを尽くすということ。ユダヤ教の戒律など知るものかとばかりの振舞いです。まるで悪魔に魅入られたように非道を尽くし、酷い最期を遂げます。しかし、その中にもやはり「聖性」を感じてしまいます。(『不浄の血』)

 

また、頑固にユダヤ教の戒律を守り通して地道な靴職人として生きている父親ともっと外の世界を知りたい息子たち。七人の息子たちは次々と新天地アメリカへ旅立ちます。残された父親には悲劇が。ナチの弾圧が日々重く圧し掛かって来ます。妻もなくし、ナチの手を逃れるため彼は故郷を捨てあてもない放浪生活に。アメリカで成功した彼の息子たちは彼の行方を探究します。

 

ようやく探し当てアメリカに父親を迎えますが、その時もう父親は腑抜け状態。息子たちは同じ靴職人で、アメリカで成功しましたが、今では靴を手作りせず、靴製造会社の経営者に。腑抜け状態になった父親は、ある日、自分の靴職人としての道具類を見つけます。彼は、ひとり庭先の小屋で靴作りを始めます。それを見た息子たちは、一人また一人と、昔のように彼を取り囲んで靴作りを始めます。そして、父親の陽気な歌声に合唱するのでした。(『ちびの靴屋』)

 

これは、珍しく心あたたまるお話でした。が、ユダヤ教の戒律を守り生きてきた父親は、最後にアメリカの新天地に飲み込まれてしまうのです。晩年のシンガーは、インタビューに答えてこのように言っています。

 

自分たちの土地を離れ、言語をも棄てて、新しい土地での新生活を強いられた人々にとりつく劇的なトラウマを文学は蔑にしてきた。当時からそう感じ、今でもそう感じる。……わたしは自分の言語から切り離されただけでなく、自分なりの考え方や、思考の基礎となる諸概念をも歪められてしまった。マンハッタンやコ二ーアイランドの窖や喧騒のなかでは悪魔もおちおちはしていられない。この町じゃあ、シナゴーグだって教会と変わらないし、神学校の前では少年たちがサッカーをしている。……葬儀に集まるひとびとだって、まるで結婚式に出るかのようないでたちなのだ。

 

『ティショフツェの物語』のなかで悪魔が独白しています。

 

おれは悪魔だ。そのおれさまが言うのだから嘘じゃない。もう、この世に悪魔は存在しないのだ。今や人間が悪魔そのものなんだから、悪魔の出る幕じゃない。相手がやる気満々でいるのに、今さら何のためにそそのかす必要があるのだろうか?……おれだって、まぎれもないユダヤ教徒だ、言うまでもない。まさか俺が異教徒(ゴイ)だとでも思っているのか?

 

もうユダヤ教の戒律も何もない時代に、ユダヤの悪魔の出番はないということですね。戒律を破らせるのが悪魔のお仕事なんですから。

 

 

以上、感想でした。







にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2015年7月2日木曜日

おもしろい記事を見つけた!


7月1日の朝日新聞の記事です。「オピニオン」というコーナーで「スキマで輝く」と言うことに関して三人の方々が意見を述べています。実際には、中央で輝いている人々と同じようにスキマに自分の居場所を見つけて輝いている人々もいるという「人間社会」のお話なのですが、その中の一人に植物学者の塚谷裕一がいて、彼のお話がとてもおもしろいのです。

 

その著書に『スキマの植物図鑑』があります。塚谷さんは現在東京大学の教授です。以前、コンクリートの裂け目から出てきた植物が「ど根性大根」などと呼ばれてニュースなどになりました。そんなものが流行った時期がありました。そこで、この先生も「おもしろそうだ」と自分でサンプルを探し始め、写真を撮っていました。そんな写真がいっぱい集まったので、本にした…ということです。



 

道路や線路脇やブロック塀まで、アリも入り込めないようなところから植物は這い出しているのです。彼の言によりますと、広々とした野原は植物にとってとてもよい環境と言えそうですが、実は植物同士の競争の激しい過酷な環境だということになります。他の植物を押しのけて光や栄養を取り込まなければいけないからです。少しでも早く光を求めて上へ上へと成長しなければなりません。

 

それに引きかえスキマはというと、たしかに狭いが競争相手はなし。いったん這いだしたら光はすべてその植物のものです。無理に成長する必要性もなし。彼らはノビノビと素直にまっすぐに伸びているとか。「電柱のしただと定期的に肥料も落ちてくる」と彼は面白い事を言っていますよ。

 

そして天敵はそんな植物を見ると引っこ抜く人間です。そのために植物は、進化したと彼は言います。ユリは綺麗な花を咲かせた。また、神社や寺のオオバコなどは小さく進化して庭掃除の危機を免れたとか。園芸植物もスキマに多くみられるそうです。その種類は、ちょっと流行遅れ。花壇から脱け出して何年もたつのでしょうか。また、最新の品種を見つけると、彼は「オオッ、もう人間の手から逃げ出して自由の身になったか」と感嘆するそうです。

 

また、そんなスキマ植物は虫たちの生態にも影響を与えています。都市でモンシロチョウがたくさん見られるようになったのは彼らのおかげのよう。花壇では農薬がまかれていますが、スキマ植物は自然そのものですからね。彼は、スキマの植物が都市の新たな生態系の重要な担い手になっているのは意外な発見であると驚いています。

 

 

この彼の話は植物のことですが、人間の社会生活に置き換えてみると、とても興味深いと思いませんか。どんなに狭いスキマでも自分自身の居心地の良さは得られる。かえって、ノビノビとした自由な空間なのかもしれません。







にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村