2015年7月7日火曜日

アイザック・B・シンガー


アイザック・B・シンガーの本は2冊持っています。一冊は、1971年に買ったもの。もう一冊は2013年に買いました。最初の本の題名は、『短い金曜日』、ふたつめは『不浄の血』。二冊とも短編集です。

 

アイザック・B・シンガーは、ニューヨークに住んでいましたが、当時のアメリカ文学の世界では特異な存在でした。ポーランドからの移民ですが、彼の書く小説はすべてイディッシュ語で書かれていました。イディッシュ語とは、もともと中世の高地ドイツ語を基盤にし、ヘブライ語、アラム語、ポーランド語、ウクライナ語、ロシア語から語彙を取り入れ、ヘブライ文字で右から左に書かれているものです。

 

つまり、東欧のゲットーでユダヤ人が使っていた言語でした。また、アルシュケナジ系(わたしにはわかりません。受け売りです。)ユダヤ人の特殊な文化伝統を表現する言語として維持されてきました。19世紀から20世紀初頭までが最盛期で、その後は消えつつある言語です。

 

アイザック・B・シンガーは、ユダヤ人が東欧で迫害を受けてきた事による(そしてナチスの迫害へと)ディアスポラです。先に彼の兄がアメリカに渡っていて、彼がその後を追ったということ。そして、アメリカに渡った後、イディッシュ語で小説を書く作家となったのです。

 

『短い金曜日』を買った1971年、わたしは大学生でした。新聞の書評で彼の事を知ったのです。いつものようにミーハーなわたしは、「おもしろそうお」っと、何の考えもなく買いました。そうそう、「悪霊とびかう奇想天外な物語・ユダヤ文学の最高峰」というキャッチに魅かれたとも言えますね。

 

短篇が12篇です。まるっきり内容を覚えておりませんが、「う~~~ん」と唸ってしまったことは確かです。尋常でない荒唐無稽なお話群だったから。1978年、イディッシュ作家として初めてノーベル文学賞を受賞しました。

 



 

そして、『不浄の血』。ずいぶんと時を置いて買った二冊目です。1991年に彼は没しています。しかし、最近になって(2013年だけど)、新しく彼の本が邦訳されました。『短い金曜日』の方は英語からの重訳でしたが、『不浄の血』は、イディッシュ語で書かれたものを直接訳しています。またまたわたしのミーハー魂に火が付いて買ってしまったという訳。

 

読後感は、ひとこと「重かったあ~」です。若い時は彼の濃厚な「悪意」や「残虐性」に耐えられましたが、歳を取ると心にズシンこたえます。彼の作品に流れている世界は、ユダヤ的土着性から来る濃厚な文化・伝統・宗教・生活習慣です。もちろんユダヤ教の戒律や習慣などが基になっている人間模様です。と言って、ユダヤ教賛美と言うことではなく、その戒律を頑なに守る人々を揶揄しているものもあります。そのユダヤ教の指導者であるラビでさえ愚劣さ無能ぶりが皮肉られます。

 

ひとつは、寓話のような世界です。ロシアで言うと『イワンの馬鹿』のようなもの。馬鹿ではあるが、人を疑う事を知らぬ人物で、まわりのものは彼をからかい、虚仮にし、利用し、総てのものを彼から奪い取ります。が、それでも彼は疑う事を知らず、幸せな人間であり続けます。彼からは聖性すら感じます。(『ギンプルのてんねん』は、両方の本に掲載されていました。)

 

または、男性優位なユダヤ教の中でたくましく生きる女性です。「たくましく」とは元気にという意味でなく、男を手玉にとって悪の限りを尽くすということ。ユダヤ教の戒律など知るものかとばかりの振舞いです。まるで悪魔に魅入られたように非道を尽くし、酷い最期を遂げます。しかし、その中にもやはり「聖性」を感じてしまいます。(『不浄の血』)

 

また、頑固にユダヤ教の戒律を守り通して地道な靴職人として生きている父親ともっと外の世界を知りたい息子たち。七人の息子たちは次々と新天地アメリカへ旅立ちます。残された父親には悲劇が。ナチの弾圧が日々重く圧し掛かって来ます。妻もなくし、ナチの手を逃れるため彼は故郷を捨てあてもない放浪生活に。アメリカで成功した彼の息子たちは彼の行方を探究します。

 

ようやく探し当てアメリカに父親を迎えますが、その時もう父親は腑抜け状態。息子たちは同じ靴職人で、アメリカで成功しましたが、今では靴を手作りせず、靴製造会社の経営者に。腑抜け状態になった父親は、ある日、自分の靴職人としての道具類を見つけます。彼は、ひとり庭先の小屋で靴作りを始めます。それを見た息子たちは、一人また一人と、昔のように彼を取り囲んで靴作りを始めます。そして、父親の陽気な歌声に合唱するのでした。(『ちびの靴屋』)

 

これは、珍しく心あたたまるお話でした。が、ユダヤ教の戒律を守り生きてきた父親は、最後にアメリカの新天地に飲み込まれてしまうのです。晩年のシンガーは、インタビューに答えてこのように言っています。

 

自分たちの土地を離れ、言語をも棄てて、新しい土地での新生活を強いられた人々にとりつく劇的なトラウマを文学は蔑にしてきた。当時からそう感じ、今でもそう感じる。……わたしは自分の言語から切り離されただけでなく、自分なりの考え方や、思考の基礎となる諸概念をも歪められてしまった。マンハッタンやコ二ーアイランドの窖や喧騒のなかでは悪魔もおちおちはしていられない。この町じゃあ、シナゴーグだって教会と変わらないし、神学校の前では少年たちがサッカーをしている。……葬儀に集まるひとびとだって、まるで結婚式に出るかのようないでたちなのだ。

 

『ティショフツェの物語』のなかで悪魔が独白しています。

 

おれは悪魔だ。そのおれさまが言うのだから嘘じゃない。もう、この世に悪魔は存在しないのだ。今や人間が悪魔そのものなんだから、悪魔の出る幕じゃない。相手がやる気満々でいるのに、今さら何のためにそそのかす必要があるのだろうか?……おれだって、まぎれもないユダヤ教徒だ、言うまでもない。まさか俺が異教徒(ゴイ)だとでも思っているのか?

 

もうユダヤ教の戒律も何もない時代に、ユダヤの悪魔の出番はないということですね。戒律を破らせるのが悪魔のお仕事なんですから。

 

 

以上、感想でした。







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