2020年12月31日木曜日

ずいぶん昔に読んだ本です。

 


『まっぷたつの子爵』

 

『まっぷたつの子爵』は、『不在の騎士』と『木のぼり男爵』とで、三部作と言われています。題名から創造される通り、大人のための「童話」といった趣ですが、ところがどっこい、カルヴィーノは、そんな一筋縄にはいかないでしょう。

 

以前、『不在の騎士』の感想文を投稿しました。『まっぷたつの子爵』は、トルコ軍とキリスト軍の戦いの時代の話です。

 

主人公のメダルト子爵は、その戦いのさなかトルコ兵の半月刀でまっぷたつにされてしまいます。そして右半分の身体だけ軍医の手当てにより生き延びました。その後、自分の城に帰った子爵は、全てのものをまっぷたつにしようと試みます。今までは「不完全な身体」を持っていたのだと考えたからです。半分の身体になった時、わたしは完全な身体を手に入れたのだと。半分になれば真実を手に入れることができると。

 

その後、城の村に子爵のもう半分が戻ってきます。彼は、キリスト教徒と回教徒の戦いでの死体の山に埋もれていたのですが、そこを通りかかったキリスト教隠者に見出され、秘薬やなにやからで一命を取り留めます。そして、故郷を目指したのでした。右半分は「悪」、そして左半分の隠者に助けられた身体は「善」を体現していました。

 

 



1960年、カルヴィーノ自身が、この空想的な<歴史>三部作についてのノートを残しています。その中で彼は、この三部作全体を人間の「存在」の仕方の歴史的進化を示すものと意味付けています。

 

『不在の騎士』(中世が背景)においては、盲目的な「不在」の状態の中で「存在」することを目指す原初的な人間、ついで『まっぷたつの子爵』(17世紀末)では社会によって引き裂かれている状態から「完全性」を回復しようとする人間。そして、最後に『木のぼり男爵』(18世紀啓蒙主義とフランス大革命の時代)で、自由意志による選択を貫き通す(木に登ったまま、ついに地上に降りることなく生涯を全うする)ことによって真に人間的な「完全」に到達しようとする人間―――つまり「自由へと至る三段階」が描かれている。と説明しています。

 

カルヴィーノはこのように書いていますが、わたしはこの三作品の奇想天外な内容に、ただ「ホーツ」と感心しています。前に、『アナキズム入門』という本の感想を投稿しましたが、その中に「人は自分では気付かないうちにアナキスト的思考を持っている。」とありました。

 

近年、カルヴィーノが初期に書いた本を買いました。『最後に鴉がやってくる』という短編集です。この本の内容も童話風です。が、まだ初期の作品のせいか、彼が何を意図しているのかが解り易いです。

 

そこで、理解しやすい故に、彼は自分ではアナキストと標榜していませんが、アナキストなのかと思ってしまう訳です。その視点でこの本を読み直すと新たな発見がありそうです。




2020年12月21日月曜日

折々のことば・・・12/18





12月18日の朝日新聞のコラムです。


「自己批判」を自らせぬ人は「寛容」にはなり切れないし、「寛容」の何たるかを知らぬ人は「自己批判」を他人に強要する。            渡辺一夫(仏文学者)



これを読んで、2~3人の顔が思い浮かんだ。特に最後の『「自己批判」を他人に強要する』の部分には感動すら覚えた。




2020年12月19日土曜日

『母を訪ねて三千里』って、こういう事か。


 


  

『クオーレ』

 

英語の読書会で読んだ本です。 「読書会ってどうよ?」と思っていましたが、実際に皆が集まって、意見を言い合ったら、人それぞれに意見が違う事がわかりました。

 

この本の作者は、エドモンド・デ・アミーチスで( 1846 – 1908年)イタリア王国の作家です。イタリア統一100年祭なるものが日本でもブームになっていた事がありましたね。この作者が生きた時代は、統一される頃です。この事も読書会で指摘され、なるほどと思ったことでした。

 

彼もイタリア統一運動で、赤シャツ隊に志願したほどの愛国者でありました。14歳の時だったので、幼少として断わられたそうです。(年代は違いますが、ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスが、ナチの年少隊に入っていたという事で問題になったことを思い出しました。)。

 

彼は子どもに愛国精神を培わせよと、子どもの教育用にこの本を書きました。日本でも、教育者三浦修吾が翻訳しています。子どもの頃に読んだ記憶がかすかにあります。三浦氏は『愛の学校』というサブタイトルを付けたそうですが、短編集で、その中のひとつが、日本でもアニメで有名になった『母を訪ねて三千里』です(原題『アペンニーノ山脈からアンデス山脈まで』)。この事も読書会で学んだ事のひとつです。

 

この新たに知った二つの事を踏まえて考え直したことは、そもそも「単純な子供向けのお話」何てものは存在しないのです(だって、実際には童話は残酷なものだと言うではありませんか)。この本も相当教条的だなと思います。だから、作者は本当に子どもに愛国心を植え付けるためだけにこの本を書いたのだろうかと疑ってしまいます。両極端は一致する…、などと申します。スーパー写実的に書かれた絵は、かえってシュールになると言ったような。作者にだけわかるアイロニーが込められていたのではないかと…、考え過ぎか。

 

 



2020年12月17日木曜日

お正月



例年、お正月にはどこにも出掛けない。だから、巣籠りの為いろいろなものを買いだめする。食料やらビールやら・・・


そして、本もそのひとつ。今回も少々買ってみた。


『方壺園』、『化け物心中』は買った。


そして、これから買いたい本は、『ザリガニの鳴くところ』。

澁澤龍彦の泉鏡花セレクションも買いたいが、高くて手が出ない。


しかし、毎年本を買うが読み通したことはないのである。




2020年12月7日月曜日

お粗末ですが。。。

 



先日、久しぶりにアマゾンで本の検索をしました。


以前、息子が漫画家だと書いたことがありますが、ほんの出来心で息子の本の検索をしてしまいました。


それが、50個も書評がUPされていて、しかも高評価。驚きましたァ。1月13日に第2弾が出版されると、息子からメールがあったものの。。。


親ばかチャンリンでゴメンナサイです。


本のタイトルは『それは霊のしわざです』です。




2020年11月29日日曜日

憑物が落ちた感じ。。。


 


ちょっとした事件があって、今、禁酒しています。人生で初めてとは言いませんが、今回は何か「心の持ちよう」が変わったような。


これまで、毎日ビールを飲んでいました。本当に毎日で、体の調子が悪くても、風邪を引いてビールの味がわからなくても……でした。


そんな憑かれたような状態から、脱出できたようです。「ビールは美味しいと感じる時に飲もう。」と言う極当り前な心境に至りました。


わたしの「オール・オア・ナッシング」精神がいけないのです。融通が利きません。でも、まだ不安なところもあります。今は、飲んでいませんが、一度飲むと、また飲み続けるのではないかと言う不安です。


さて、わたしは、何のルールも決めないで、本当に自然に飲みたいときにビールを飲めるようになるのでしょうか?


また、他の事に関しても、同様な心境になれるでしょうか。




2020年11月5日木曜日

思いつくままに・8

 



0歳から10歳。

10歳から20歳。

20歳から30歳。

30歳から40歳。

40歳から50歳。

50歳から60歳


それぞれの10年間は、全然意味(内容)が違う。

若い時は、10年後の自分がどうなっているのか、全く想像できない。それだけ、変革の余地があるのだとも・……


それが、いつしか、想像できるようになって来る。


70歳から80歳。

80歳から90歳。


変革する余地はあるのか?


それでも、前向きに進もうと、最近、思った。





2020年10月30日金曜日

科学と神秘

 



 

『137―― JUNG, PAULI, AND THE PURSUIT OF A SCIENTIFIC OBSESSION』、ARTHUR I.MILLER著。邦題は『137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』。いつ買ったのか覚えていないので、奥付を見たところ、2009年にハードカバーが出版され、2010年にペーパーバックが出版となっていました。ですから、2010年頃に買ったのでしょう。英語版です。その頃は、ただ英語を勉強する為に「英語の本」を買っていたのです。しかし、勉強とは言え、興味がないものは読めないので「とりあえず興味ありそうなものを買ってみた」と言うところです。

 

ところが読んでみたもうたいへん。イントロダクションだけで・・・、ワクワクします。前回は2、30ページほど読んでいました。が、内容はまるっきり覚えていません。もちろん、どんな種類の本かは解説書などでわかっていますが・・・。わたしも成長したのでしょうか、今回は、内容がすんなり入って来ました。

 

パウリは、量子論で「パウリの法則」を導き出し、名を残した物理学者。ニュートリノの存在を予言し、その後ニュートリノが実験室で確認されるという偉業も成し遂げました。ノーベル賞受賞者です。ユングは言わずと知れた有名な心理学者。しかし、無意識レベルの心理を操る少々科学者らしからぬ所があります。そこで、何故、この二人の交友が始まったのかと言う疑問が湧きあがります。著者は、膨大なふたり間の書簡からこの謎を解き明かそうとします。なんと、ミステリアスなことでしょう!

 

 


パウリが31歳の時、彼はユングに初めて会ったようです。その時、ユングはもう名声を築き上げていました。26歳パウリより年上でした。その頃、パウリは量子論では解き明かせない「人類普遍の何か」に囚われていました。それが、「137」という数字です。ユングもまた、同様の疑問を抱いていました。その二人が出会うことによって、「化学反応」が起きたということですネ。ふたりの間で、何かの理論が形を取り始めたのです。

 

著者はこのように表現しています。

 

Nevertheless, his sessions with Jung convinced him that intuition rather than logical thought held the key to understanding the world around us.

 

---the means to break through and to develop new insights was to take a radically different approach and return to science’s alchemical roots.

 

しかし、パウリはこのような科学者らしくない考えを彼の研究者仲間に知られることを恐れました。ユングは偶然にもパウリの家の近くに住んでいたのです。彼等の関係は、先ずは患者と医者というところから始まります。それから、友達に、そして同じ思想を持つ者同志として、お互いの研究に相乗効果を生みだして行くのです。

 

また、本からの引用ですが、

 

Pauli realized that quantum mechanics---despite its grandeur, and in the fact of his distinguished colleagues---lacked the power to explain biological and mental processes, such as consciousness.  It was not a complete theory.

 

 

この本は、まさにわたしが思っていた「今の科学では解きえない何か」の存在を示唆するものと思いました。と言って、非科学的なことではありませんよ。科学が科学であるために、今までに置き忘れてきた何かを、もう一度科学によって取り戻すということです。今の科学には、まだ「何か」が不足しているということですか。

 

「超弦理論」やなにやかやで、宇宙の謎が解き明かされ、この世界がどうしてこのように存在しているのかがわかった時、今「超常現象」として「不思議」とされていることの謎も解き明かされるのではないかと、密かに期待しているのであります。

 

「講談師、見てきたような嘘を言い」・・・、ですね。

 



2020年10月24日土曜日

なんだかネェ~~~、

 




腸が溶ける。日常が溶ける。


下剤。日常が流れ出す。


わたしは、昇華する。






2020年10月10日土曜日

思いつくままに・7


 


中国共産党員は、9000万人を超えて、全人口の6%。


自民党員の数は、現在108万人だそうです。


全く関連のない数字ですが、この度の自民党総裁選で、ちょっと興味を持ったので……、

調べてみました。





2020年9月27日日曜日

私が、何故、この本を読もうと思ったのか。ということ。

 

 


これは読書感想文ではありません。なぜこの本を読もうと思ったかというお話です。

 

 GENE WOLFE    『PEACE』


私、囲碁を始めました。それゆえ英語への関心が薄れてしまいました。 それが、最近突然英語の本を読みたくなったのです。この本は、ずいぶん前に買いました。購入したジーン・ウルフの作品は2冊目です。

 

はじめて買った本は、『The Island of Doctor Death and Other Stories and Other Stories』という短編集です。メチャメチャ複雑でとらえどころのない内容でしたが、短篇ゆえになんとか読み通すことが出来ました。まあ内容は、SFファンタジー&怪奇小説と言ったところです。

 

なので、わからないなりに面白かったのです。そんな訳で、『PEACE』の書評を見た時に、即、買ってしまいました。



 

 

PEACE』は、1975年に出版されましたが、2012年にNeil Gaimanのあとがきが添えられて再出版されました。ですから、わたしもその頃に購入したのでしょう。読んだ書評は、この本の「日本語版」の書評です。

 

早稲田大学教授佐々木敦氏が書いています。国書刊行会から出版されていますが、国書刊行会の本はどれも不思議で魅惑的で大好きです。しかしながら、装丁が凝っていてお値段が高いのです。――わたしは英語版を購入しました。

 

 

佐々木氏の書評によりますと、

 

ジーン・ウルフは、まったくもって一筋縄でいかない作家である。日本でもマニアックな人気を誇る彼は、あえてジャンル分けをするならSF・ファンタジーの小説と言うことになるのだろうが、フィクションに、生半可な理解や納得よりも謎と混乱を求める、全てのすれっからしの読者に、過剰なまでの満足を与えてくれる。『ピース』は、ウルフが1975年に発表した比較的初期の長編小説である。

 

長編小説なのですねえ。なので、読み通すことが出来るかどうか、少々不安です。書評には、語り手の「ぼく」は、アメリカ中部の片田舎の街キャシオンズヴィル(架空の町)に独居する老人で、広大な屋敷内をうろつきながら、幼年時代の思い出をとりとめとなく、むやみと断片的に、だが濃密に回想するとあります。

 

だから筋のない曖昧模糊とした不思議空間の本なのでしょうと想像するところです。余計難しいね。――あせらずに少しずつ読んでいこうかなと、思っております。315ページありますが……。

 

 


 

2020年9月17日木曜日

今日の思いつくままに・・・⑥かなあ?

 




今日の新聞の下段の書籍の広告欄に『人新生の「資本論」』という本を見つけました。キャッチコピーは、「地球温暖化もコロナ禍も、ひと続きの問題だ。真犯人は資本主義!」


わたしは、昨今のコロナ禍や異常気象、その他もろもろの禍は、「地球の人口が多すぎる!」からだと、提唱します。


もちろん、資本主義の発展によって、人口が増えてとも言えるが。。。




世界の人口が70億人を超えたのは、2011年。その時は、「人口が大台を超えた!」と大騒ぎでした。わたしは、国際機関が、「地球の人口が70億を超えてコングラチュレーション!」と唱えたのに、びっくりしてしまいました。


え~~~っ、これ、おめでたいの?---と。息子にも、「おめでとうーと、言っとるよ~。これで良いの?」と言いました。


彼は、クールに「良くないでしょうねえ。」と申しました。


調べましたところ、2019年には、77億人。2030年には、85億人になるとの事。2050年で、97億、2100年で109億です。


人口が多くなったせいで、人々が地球上にあふれ出し、今まで人類まで達しえなかった、多くのウィルスが、人間世界に入ってきます。異常気象も、人が暮らすうえでのいろいろな負荷を自然が浄化できなくなってきたからと。


すべての生物の目的である「種の増加」とヒトはどのように向き合っていくのでしょうか。どのような結論が出されるのか、今後、興味深いです。







2020年9月3日木曜日

今日のニュース。。。思いつくままに⑤

 



ニュースを見ていたら、アザラシ(違う種類かもしれません)の今有?名な赤ちゃん(から、少し成長した奴)が、赤ちゃんなのにおじさん顔をして有名だったようですが、今、逆さまに浮いていることで、話題だと。

そこで、思いついたのですが、「文化とは何か?」。

食料を確保する時間からの解放が関与しているのでは。水族館の知的生物、イルカ、オットセイ、アザラシ、その他、タコも入れたいけど・……、

は、食料を自ら狩猟しなくても良い環境です。それで、持て余した時間を「楽しむ」ことに使っているのでは。

なぜ、逆さまに浮かんでいるのか?

ニュースの説明では、

「自分の影を見る」ためと。逆さになると、そこに移る自分の影が見える、見やすい、とか。


ヒトの世界でも、文化の勃興は、余剰生産、働かなくても良い階層が出来たからだと。


それが、何かと言われれば、まだ、考察半ばですが、思いつくままに……。





2020年9月1日火曜日

読書導入剤……思いつくままに

 




最近根気よく本を読むことが出来なくなって来ました。問題は、頭がちゃんと働く時間帯は、囲碁の勉強をしているからです。つまり囲碁以外の本は、夜ビールを飲んだあとに読むので、頭に入って来ません。そこでどうしようかと。

 


 



学生時代の本を読む習慣を思い出しました。学生の時はどうしても研究書とか専門書を読まなければいけませんでしたが、取っ付きにくいもの。それで、いつも、先ず推理小説や怪奇小説SFなどの本を2~3冊読み、その後にふつうの小説を読みます。そして、エンジンがかかって来た頃に学術書を読んでいました。

 

 

と言うことで、ビールで頭が働かない時に、いわゆるエンターテイメント小説をよもうと。そして、本を読む習慣を取り戻そうと。

 

そこで購入したのが、『クリーピー』です。本のカバーが西島秀俊、竹内結子、香川照之だったのです(映画化の時の配役)。これなら買ってすぐに読めそうだと直感。

 

 

読み終えました。「クリーピー」と言うのは、虫が這いまわる…、転じて「気味が悪い」とか「背中がぞくぞくする」と言ったような意味です。「虫唾が走る」と言うことでしょうか。主人公のお隣さんが、いつの間にか入れ替わっていた(ようだ)という設定です。映画は見ていませんが、そのお隣さんがたぶん香川照之なのでしょう。そして、過去の未解決殺人事件と現在の連続殺人事件の絡み合い――です。

 

ミステリーなので、あらすじを書くのは難しいですが、感じたことは、この頃のこの手の小説はほんとに「過激」だなあ、と言うこと。たいてい複数人が殺されますし、殺され方も「半端じゃない」…よね。これでもか、これでもかと、恐怖をたたき込むのは何時頃からの流行でしょうか。。。

 

 

著者は、前川裕氏です。2011年、第15回日本ミステリー文学大賞新人賞をこの本で受賞したとありました。新人らしくちょっと文章が熟れていないところがありますが、スラスラと読み進められます。解説によりますと、この手の作品は「変格探偵小説」と呼ばれるそうです。「本格探偵小説」との対比です。

 

謎解きよりも怪奇幻想性やエロ・グロ、SF的要素になどに比重を置くものと定義されていました。1920年代の「変格探偵小説」群は、現代日本のエンターテイメント小説に多大な影響を与えているとのこと。江戸川乱歩、夢野久作、久生十蘭、小栗虫太郎、国枝史郎などの著作者の名が挙げられています。

 

これを読んで納得です。これらの作家の本は、わたしの本棚の定番です。高校生時分からの愛読書。わたしがスーパーの本屋さんで『クリーピー』を手に取ったのも正しい選択だったと言うことでしょうか。

 

 

その後の作者の著作は、『アトロシティー』(2013年)、『酷 ハーシュ』(2014年)が刊行されているようです。「本書を気に入ったかたは、ぜひご一読を。」と解説の最後で推薦されていますが、わたしが読むかどうかは、どうでしょうか。またのお話です。

 





2020年8月24日月曜日

思いつくままに③、かな?


 この頃、朝目覚めると、


「新しい朝が来た!」と思うんです。何故かなあ?

これには、肯定的意味と否定的意味があります。

今日も、新しい日だ!…… 頑張ろう!

と言うのと、

ああ、また、一日が始まるのかあ~~~、

と言うもの。


そして、思うのは、人類始まりの時は、時間の観念がなかったこと。現在、(多くの)我々は、「一日が過ぎて、新たな一日が始まる。」と思うと、思います。

が、

原始は、「一日」と「次の日の一日」には、「時間の経過」観念がなかったという事。

同じ一日なのでした。だから、「年齢」という観念がない。現在、いわゆる未開(ゴメンナサイ、表現の仕方がわからない。)の人々は、自分が何歳かの自覚がない。


という事で、わたしの「新しい一日」とは、何か?何故、頭の中で渦巻いているのか?


という事です。


2020年8月17日月曜日

G・ドゥルーズがスピノザを語る幸せ。。。

 

 

『スピノザ――実践の哲学』  G.ドゥルーズ

スピノザは言う。

もし人間が自由なものとして生まれついていたら、自由であるあいだは、ひとびとは「いい」とか「わるい」といったことについて、なんの概念も形成していないことだろう。


そうだよね~~~。他の生物は、良いことも悪いこともしていないもんネ。ただ生きているだけ。生きることに善も悪もないんだ。

G.
ドゥルーズの解説は、

「善」も「悪」も、単なる思考上の存在。想像上の存在にすぎず、さまざまの社会的標徴や、褒賞と懲罰から成る抑圧の体制に、全面的に依存しているのである。


やはり、誰かから見た「善と悪」ということか。あらゆる事に「恣意性」は宿っているのね。

 



2020年8月15日土曜日

今日の(思いつくままに)……


 最近のニューズから、

米国の中国叩き。

いつの事だったかなあ???

アメリカが、日本叩きをしていたのは?

日本がアメリカのGDPを脅かそうとしている時でした。

何か、かんか、日本の企業を叩くとともに、日本政府の経済政策にも口出しをしていました。地方の商業地区がシャッター化したのも、一部分はそのせいか?

アメリカ企業がTik Tokを買収するというニュースも、何か、胡散臭さが。


もちろん、日本と中国の思想体系が違うからという側面もある。


が、わたしは、アメリカの中国叩きが始まった時、「中国は、日本のように柔ではないからなあ。」と、


中国どう反撃する…と、


興味津々でした。



2020年8月13日木曜日

思いつくままに・・・・・・・・


 囲碁を始めてから、ブログにUPする回数が減りました。このことは、数回投稿しています。


何故か、


投稿する文章を書くのに、いろいろ構想を練って、文章を構築するのに、時間がかかって、その間にも、囲碁の事が頭を横切るし、布石とか定石とかが、頭を横切るし・…・…こんな事していていいものかと。


だから、何も考えずに、思いつくままに文章を書いてみます。という訳で、書いています。


が、何故UPすることが必要なのでしょうか。


それは、囲碁を研究しているだけでは、精神が満たされないからです。文章を書いて、昇華するのと、囲碁で昇華するとは、違う次元なのでしょう。


突っ込まれると、困るけど。なぜなら、思いつつくままに書いているから。



2020年7月12日日曜日

『家族制度』という、古~い、古~い、本……







先日、朝日新聞の書評欄に、『悩む「フルキャリ」女性』というタイトルで、2~3の本が紹介されていました。「フルキャリ」とは、『フルキャリマネジメント』という題名の本から来たようで、「子育てにも仕事にも前向きな働き手(女性)」を指します。

女性達にとって、職場の環境は徐々に変わってきてはいるものの、まだまだ、家庭では育児と家事を女性である自分が主に担わなければならないという親世代からの引き継いだ性別役割分業意識が残っています。

60年前に書かれた本、『女と文明』からの引用です。

「一個の人間であるところの女が『母』で勝負しなければならないということは、やはりたいへん非人間的なことのようにわたしは思う」「母と言う名の城壁のなかから一個の生きた人間としての女をすくいだすには、いったいどうしたらよいのだろうか」

これは、高度経済成長期以前の1959年に書かれたものです。フルキャリ女性達の悩みは、60年以上経った今でも、未だに続いているという事です。





それで、自分の本棚を探索してみたら、ありました、その手の本が。『家族制度』と『女性解放と現代』です。『家族制度』の方は、昭和33年に第一刷が発行され、わたしが買ったのは、第13刷の昭和46年のようです。つまり、1971年でしょうか。アマゾンで検索したところ、古本で「1円」で取引されていました。ほんとに、ほんとに昔の本です。

内容も少々古くなっておりましたが(パラパラと斜め読みしただけですが)、真実は変わっておりません。以下、わたしの考察です。


「家族法」(いわゆる家制度)とは、下級武士の「革命」で創立された明治政府が定めた法律です。その時、制度の近代化を図り、欧米列強諸国と肩を並べるために、法治国家となることが必要だったのです。「法律」という近代的な衣を着てはいましたが、所詮市民革命を経てできた国家ではありません。内容は、前近代的なものです。

どんな政府にも、人民をまとめ上げる理念が必要です。そのため、当時、武家社会の伝統と天皇制を合体し、「家制度」を確立したのです。「家を守ること」=「祖先を守ること」=「天皇を祭ること」、そんな構造です。国家統一のセオリーとして、「天皇を日本の父として万民が等しく天皇の臣下である」という確認です。

そのため、家長は、家の財産を守り、家族を統率する責任を祖先に対して(ひいては天皇陛下に対して)負っている。家長の財産は個人のものではないのです。家のものです。責任と義務の在りかを明確にする為です。それが、国に対する責任と結びつきます。

第二次世界大戦後、新しい憲法ができました。その後の為政者はそれを受け入れなくてはいけない。旧来の家族法もなくなりました。それ以前には、「家に個人の権利」を入れないことにより、明確な上下関係の秩序を保っておりましたが、戦後の憲法では、「個人の権利」が明確に担保されました。

為政者は、家族法にも個人の権利を入れない訳にはいきません。財産も平等に分けられますし、責任も平等です。そこで、為政者は、その「家長の権威、服従関係」が法律で否定されたことに対し、その事を「家族の情」まで否定するものと、問題をすり替えたのです。「子どもの親に対する道義はどうなる」と言うことです。それが、道徳教育による「家制度」の教えです。家族の中に「権利意識」が芽生えないようにとの試みです。

戦後でさえ、家族の関係は非合理な関係であり、家族法は他の法と本質的に異なるとする傾向にあります。家族の対立を権利の対立と考えないで、家族全体の幸福を図ると言う「和の回復」で処理しようとする傾向です。つまり、誰かが犠牲になって、「家」を守るという意味(多くは女性の犠牲)。民主的な家庭ではなく、それは「家制度」の名残りによる「家族の和」の押し付けかもしれないのです。

個人の利益主張は、それが自己の権利であるのか、それとも限界を超えた要求であるのかを客観的にとらえることが重要です。同時に、家族制度を壊す要因を科学し、その対策を社会で構築する事の必要性があります。つまり、社会保障や経済問題(労働問題)の解決です。

日本では「和の精神」以来、人間関係に適応する事が「無条件に価値がある事」と見なされる伝統があります。そのため、客観的な個人の権利主張も「こうあるべし」という倫理的命令の前で降伏せざるを得ない状況になることもあります。権利主張の正当性を認める民主主義を取るなら、個人が自主的に権利放棄をしない限り、その権利を認めるべきです。

誰も人に自己犠牲を強いることはできない。権利を主張することをやめさせるのは、家族への愛からだけ。「家族愛」を存続させるために、道徳教育と言う名を乗せて、政府が介入し無理強いしてはならないのです。あくまでも、愛は自主的であるべきです。

現在の状況を見ると、日本版NSCや特定秘密保護法、福祉の見直し、道徳教育の復活など、徐々に時代に逆行していくかの感があります。個人の権利を基礎とした家族の在り方を探る必要性があると言えますが、逆に、「家族とは何」とも考えてしまいます。

世界的に見て先進国では、「家」(制度としての)の崩壊は始まっています。ひとつには、「家」を維持する必要性がなくなってきたことがあるのでは。つまり、今、仕事は個人単位であります。昔ながらの農家、家内工業においては、家の団結が経済的に必要だったかも知れませんが、現在、人は個々に会社に行って働いて給料をもらってきます。

「家」は真に愛情だけが宿る場になったのかもしれません。愛情とは常に「不確かなもの」。その「愛」を堅固にしようと画策する「家族法・結婚制度」という法的手段は、もう要らぬお世話かもですね。




2020年7月3日金曜日

NEWSを見ていたら。





このコロナ禍とか、過疎化とか、諸々で、人が手抜きしたら、自然は猛然と襲ってくるね。

と、思った。


鳥とか、熊とか鹿とか。日本ではね。

もちろん、植物も。








2020年6月29日月曜日

今日の折々のことば



朝日新聞のコラムです。


「絵というものは、解ると解らないとかいう前に、ひと目で、見る者に否応なく頭を下げさせるようなものがなければ絵とは言えない。」


当然です。何故、絵を見る時に解説をしなければいけないのか?

「絵を見るにも何か基準のようなものを心得ているのが玄人だとすれば、自分はそんなのお構いなしに素人でいたい。」

と、『気まぐれ美術館』からの言葉です。


「これは何を意味しているの?」、とかの疑問を超越するのが、芸術じゃないですか。




2020年6月14日日曜日

TVコマーシャルから






どの会社のコマーシャルかは、提示できません(会社名を覚えていない。わかりましたら、また今度。)が、

大人の俳優が、小学生を演じて、マイホームを求めるものです。女子生徒の関心を引くために、一戸建ての家を持つことが良い、というコンセプト。

最近のコマーシャルでは、爺さん(柄本明)小学生が、美人女優(名前がわからない?)の小学生に、「戸建てでお願いします!」とプロポーズします。そして、長瀬智也が(小学生)、「待ったあ~!」をかけます。

これどお?

小学生の女生徒のうちから、「女は男に家を買ってもらう。」というのを刷り込んでいるの???

続きのコマーシャルでは、女子小学生が、「家は自分で建てる!」と言うのを期待します。