2020年12月31日木曜日

ずいぶん昔に読んだ本です。

 


『まっぷたつの子爵』

 

『まっぷたつの子爵』は、『不在の騎士』と『木のぼり男爵』とで、三部作と言われています。題名から創造される通り、大人のための「童話」といった趣ですが、ところがどっこい、カルヴィーノは、そんな一筋縄にはいかないでしょう。

 

以前、『不在の騎士』の感想文を投稿しました。『まっぷたつの子爵』は、トルコ軍とキリスト軍の戦いの時代の話です。

 

主人公のメダルト子爵は、その戦いのさなかトルコ兵の半月刀でまっぷたつにされてしまいます。そして右半分の身体だけ軍医の手当てにより生き延びました。その後、自分の城に帰った子爵は、全てのものをまっぷたつにしようと試みます。今までは「不完全な身体」を持っていたのだと考えたからです。半分の身体になった時、わたしは完全な身体を手に入れたのだと。半分になれば真実を手に入れることができると。

 

その後、城の村に子爵のもう半分が戻ってきます。彼は、キリスト教徒と回教徒の戦いでの死体の山に埋もれていたのですが、そこを通りかかったキリスト教隠者に見出され、秘薬やなにやからで一命を取り留めます。そして、故郷を目指したのでした。右半分は「悪」、そして左半分の隠者に助けられた身体は「善」を体現していました。

 

 



1960年、カルヴィーノ自身が、この空想的な<歴史>三部作についてのノートを残しています。その中で彼は、この三部作全体を人間の「存在」の仕方の歴史的進化を示すものと意味付けています。

 

『不在の騎士』(中世が背景)においては、盲目的な「不在」の状態の中で「存在」することを目指す原初的な人間、ついで『まっぷたつの子爵』(17世紀末)では社会によって引き裂かれている状態から「完全性」を回復しようとする人間。そして、最後に『木のぼり男爵』(18世紀啓蒙主義とフランス大革命の時代)で、自由意志による選択を貫き通す(木に登ったまま、ついに地上に降りることなく生涯を全うする)ことによって真に人間的な「完全」に到達しようとする人間―――つまり「自由へと至る三段階」が描かれている。と説明しています。

 

カルヴィーノはこのように書いていますが、わたしはこの三作品の奇想天外な内容に、ただ「ホーツ」と感心しています。前に、『アナキズム入門』という本の感想を投稿しましたが、その中に「人は自分では気付かないうちにアナキスト的思考を持っている。」とありました。

 

近年、カルヴィーノが初期に書いた本を買いました。『最後に鴉がやってくる』という短編集です。この本の内容も童話風です。が、まだ初期の作品のせいか、彼が何を意図しているのかが解り易いです。

 

そこで、理解しやすい故に、彼は自分ではアナキストと標榜していませんが、アナキストなのかと思ってしまう訳です。その視点でこの本を読み直すと新たな発見がありそうです。




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