今は、上海人の友達Jと会社を創って仕事しています。でも、最近書いているお話はそれ以前のお話(2003年10月)。その頃はワンさんというJの友達とJの創った会社で働いていました。
さて、わたしの職業はと言うと、フリーのジュエリーデザイナーです。18年位前わたしは彫金師になりました。銀アクセサリーを主に作ります。それからお店に作品を置いて貰ったり展示会を開いたりしていました。個展は年2回5年ほど続けていました。名古屋です。でも、もう今回で個展はやめようと決心した最後の個展でSと会ったのでした。今から8年位前のことです。
彼女は「三菱マテリアルの銀粘土」の代理店をしている会社で働いていました。後で彼女はその会社の社長の娘とわかりましたが。彼女はその頃まだ世間に認知されていない銀粘土を広めるためにわたしに手伝って欲しいとのことだったんです。それから、わたしとこの「銀粘土」と「彼女」との付き合いが始まったのでした。(彼女ネタは一杯ありますよ。「三菱マテリアル」「銀粘土」「彼女」についてはまた今度。)
それ以降はわたしの活動は「彫金」から「銀粘土」中心になりました。もちろん銀粘土という材料で何かを制作するときには彫金の方法や知識も使います。銀粘土は十数年前に三菱マテリアルが発明しました。そしてその普及方法は三菱マテリアルが考えたものでそれに従わなければいけません(一応表向きは「協会」があって、そこが普及活動をしていることになっていますが。わたしも会員です)。そこで問題がひとつ。三菱マテリアルは中国で銀粘土を普及することをまだ認めていないのです。
2003年8月わたしが観光のため上海に初めて行ったとき、ワンさんとJにハメラレテ上海でこの銀粘土の仕事をすることになってしまったのです。そしていったん名古屋に戻って10月にまた上海に戻ることになったのですが・・・、
そのことをSに相談すると、
��は「それはまずい。三菱マテリアルは中国ではまだ認めてないよ。」
わたし、「どうしよう?」
��、「でも、個人でするなら問題ないよ。個人で周りの人や友達に教えるのなら誰も止められないし、銀粘土が売れれば誰も文句は言わないでしょう。三菱の営業に電話して了解取っとくよ。」
このことは、後にたいへんな問題に発展するのですが・・・、ハッハッハー、今のところ「Sが三菱マテリアルの営業に電話して了解を取っておいた」という事実が後々大いに役立ったと言うことだけご報告しときます。
という訳で、上海で活動開始だぁーーーーーーーーー!!!
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