2015年1月18日日曜日

上海の思いで

  
上海---BEGGARS

 

わたしが上海にいたのは、2003年から2005年のこと。北京オリンピックや上海万博の前で、まだ上海の街も開発途上であった。とは言え、上海の街は高層ビルが立ち並び立派な近代都市ではあったのだ。とりわけ上海は、北京をライバル視しており(東京都と大阪の関係か)、上海人は北京の殺風景な白いビル群を軽蔑していた。上海にはデザイン性の優れた上海博物館などの多くのビルがあった。また、欧米諸国の居留地であったバンドのビルはその頃のまま残されており、映画『上海バンスキング』を思わせるようなジャズの街でもあった。

 

しかしそんな近代的な街並みも、そこに住む人々は様々である。守衛のいるマンションに暮らす人もいれば、バラックのような家に住み、熱い真夏にはうだるような部屋から逃れ路上に裸で寝そべったりしていた。そして、わたしは、この頃たくさんのBEGGARSを路上で見かけたのである。見かけたのは、2003年から2004年の始め頃。2004年の始めに日本に一時帰国し、また、2週間くらい後に戻ると不思議な事に彼らはすべて消えていた。

 

その頃わたしは上海のど真ん中に住んでいた。ブランドショップや有名デパートやステキなブティックが立ち並んでいるところである。そのメイン通りを歩いて隣の地下鉄の駅まで歩くことがよくあった。その間に優に20人を超えるBEGGARSを見かけた。どこの国の都市にもBEGGARSはいる。わたしが海外で見かけたBEGGARSはみんな元気で力強く強引だった。人がお金をくれるのは当然といった態度で手を出してくる。お金をねだられるわたしたちよりも、かえって溌剌とし、陽気でさえある。しかしここ上海では、様子が違う。彼らは一言もしゃべらない。彼らはわたしたちと顔を合わそうとさえしない。お金を入れてもらうためのカンをただ置いているだけだった。

 

わたしは、興味深く彼らを観察していた。結果、4種類くらいに分類できた。一つ目のBEGGARSはというと、彼らはたいてい老人と思われた。多分男性。でも、実際には年寄りか男性かは判断できない。なぜなら彼らは地面にうつぶせになって、ただ寝転んでいるだけだからだ。顔はわからないのだ。たいていは黒っぽい長い上着を着、地面に顔をつけ片方の手を前方に目いっぱい伸ばしている。そして、その手に小さなカンをしっかり持っているのだ。決まって黒いビニールのごみ袋のような大きな荷物をもっている。そしてそれはロープでしっかり彼らの腰に結び付けられている。しかし、なぜかロープは長い。だから、袋と彼らの間は1メートル以上離れているのだ。それは、まるでそこで力尽きて行き倒れたといった情況設定である。ある意味、キュートだった。

 

二つ目のBEGGARSは、男性の場合も女性の場合もある。彼らの顔は蒼く雰囲気は暗く赤ちゃんや、時にはほんのちいちゃな子供を抱いている。そして道端に正座している。彼らは絶対道行く人の顔は見ない。まったくと言っていいほど動かない。彼らが抱いている赤ちゃんたちもまったく動かないし、泣きもしない。時折、彼らの眼は白く濁っていた。顔に酷い傷跡を持っていたりする場合もある。あるいは、抱きかかえられたあかちゃんの方に問題があったりする。肛門を丸出しにされているあかちゃんを見たこともある。いっしょにいた中国人の友達は、その時ばかりは、「ひどい事をするよね。」とひとことつぶやいた。あかちゃんたちは、泣かないように薬を飲まされているといううわさもあった。一度だけ、ビルの前に坐っていた、女性のBEGGARが立ちあがり、抱かれていた小さなこどもを地面に下ろしたところを見たことがある。置かれたこどもも立って、そのまま歩きだした。店じまいのところを目撃したのであろう。

 

三番目のBEGGARSは、初めは彼らがBEGGARSとは気付かなかった。彼らも道端に座り込んで、ただにうつむいているだけだった。違うのは彼らの前に文字の書かれた大きな紙が置かれていることだった。だからわたしは、彼らは占師かなにかで、道行く人の足止めをし、占いを商売としている人達なのであろうと思っていた。実際、2~3人の人がその紙を読むために立ち止まったりしているのを見かけた。ある時、同じ中国人の友達に彼らは何をしているのか聞いてみた。

 

「占い師なの?」―――「違うよ!あの紙には彼らの生い立ちが書いてあるね。どんなにひどいことがあったか書いてある。親が死んでお金がないから学校も行けないとか、会社が潰れてお金がないとか、そんなことね。」

 

一度、一人の人物の前に黒山の人だかりを見たことがある。そこには相当興味深い話が書かれていたのだろうと想像する。

 

最後のBEGGARSはもっとも悲惨なBEGGARSだった。小さな男の子たちだ(1回だけ女の子も見た)。彼らの足は奇妙に折れ曲がっている。たいていは両足とも。そしてその足を折り曲げてヨガの修験者のように背中に背負っている。どうしてそんなかっこうをしているか初めは不思議に思ったが後で気づいた。彼らには動かない足を自分の背中に背負っている方が動き回りやすいのだった。彼らはゴムのパンツをはき、手には靴を履いている。お尻と手を使って這い回っているのだ(文字通り這いまわっている。そんな子供たちが街の真ん中のメインストリートに10mぐらい毎にいるところを想像してみて頂きたい。)。そして上半身はたいてい裸。冬でもTシャツ1枚程度だ。わたしは、彼らが車の行き交うメインストリートをそのやり方で横断しているのを見たこともあるし、地下鉄の階段を降りているところも見かけた。もちろん、彼らの情況は悲惨だ。でも、他のBEGGARSと比べると、少なくとも彼らは動いている。話している。一度、彼らの内の小さな男の子が仲間の男の子と楽しそうにおしゃべりしているのを見た。ある意味彼らは他のBEGGARSと比べてノーマルであった。

 

例の友達に尋ねてみた。「警察が彼らを見たら、彼らを保護して施設に入れてくれるとかしないの?」―――「しないね。」のひとこと。

 

もうひとつ。彼らが上半身裸なのは彼らの背中の傷跡とかを見せるためだと気付いた。脊髄の手術跡を見せているのだ。彼らの元締めが、彼らの足の骨を折るのだといううわさもあった。また、朝早く、彼らをトラックに乗せてやって来て、一人ずつ間隔をおいて道端に置いていくのだという話も聞いた。たまに、近くの食べ物屋さんの人が、彼らにご飯を与えているのを見ることがあった。彼らも、もちろん、お金を恵んでもらうための小さなカンを持っているのだが、そんな時も彼らはそのカンを放さない。片手にカン缶を片手に靴をしっかり握りしめ、食べ物を道に置いて犬のように食べるのである。

 

 

このようなわたしの観察を中国人以外の他の人に話しても誰も信じない(もちろん中国人には話はしないが)。たいていはこう言う。

 

「えッ、そんなにたくさんBEGGARSがいたっけ?見たことないなあ。5番目の違うBEGGARSを探してみようっと。」―――わたしがシリアスな方法で(雰囲気で)話さないせいかもしれない。

 

そして、ある日BEGGARSは突然上海の路上からいなくなった。多分、上海万博のための政府対策の一環ではと…思った。

 

 

追記

 

この話を日本に帰った時友達に話したことがある。彼も「僕なら5番目の種類のBEGGARSを見つけられるよ。」と言った。そして、わたしが上海にいる間にと、彼は上海に遊びに来た。BEGGARSは上海にはもうほとんど見かけない時だった。その頃、わたしは郊外に引越していたが、以前に住んでいたあたりのメインストリートを案内した。そこには大きな歩道橋がある。歩道橋にはエスカレーターも付いているほど。その歩道橋の上から写真を取ると綺麗だよ、と言うと彼はトントンと階段を上って行った。わたしは後からゆっくり上っていった。上に着くと、片隅にひとりのBEGGARがいた。彼は地べたに正座していた。上半身裸。両腕なし。上半身と顔中にひどいケロイド。

 

わたしが彼に追いつくと、彼は黙ってあらぬ方を見つめている。彼がふり向くと顔が蒼白。

「見たの?」

「見・た・・・。」

 

その後一日、彼はほとんど一言も、言葉を発しなかった。

 







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