2017年6月11日日曜日

AIについて ③



AIについて詳しいことは知らないが、アルファ碁の結末については、何か怒りを感じる。「何故わたしは怒っているのか」は、まだわからない。今、分析中。



言えることは、アルファ碁もしくは「その研究をしている人々」にとっては、囲碁の勝負などに、何の関心もないという事である。そんなモノたちが、囲碁界をかき回した後、引退を宣言したのだ。もう、ヒトとは碁を打たないと。






AIは、「ディープラーニング(深層学習)」という手法を取り入れてから格段の進歩を遂げている。今回の囲碁界世界王者の中国棋士との三番勝負についても、先年の李との対戦の時のアルファ碁であったなら、柯は勝てたとの見立てもある。「アルファ碁の一年=人間の百年」との新聞の見出しである。



シンギュラリティ(人工知能が人類の能力を超える時点)は2045年に訪れると言われているが、現在ではあと3年で人間は追いつかれるとの見解もある。しかし、例えシンギュラリティが訪れても、人の生活にそんなに影響はないと思う(あるいは、根本的に影響されて人類の歴史が変わってしまうかのどちらかだ)。



人類の能力を超えた物体が現れても、それは単なる物体であり使用者は人間であるからだ。アルファ碁についても、それは人間に勝つ、が、アルファ碁はなぜ勝ったのかあるいは自分の打った手をどうして打ったのかは、説明できない。AI自体には「目的」も「動機」も存在しないのだ。単なる無機質な解答なのである。



医療の分野では、MRICTスキャンの断層写真から病巣を発見する画像診断で、AIが実用の段階に入っているというが、AIはなぜそうした診断をしたのかは説明できないという。診断が100%正しいなら、理由はわからずともその診断を受け入れることはできる。が、少なくとも命をあずける限り説明だけはしてもらいたい。



囲碁の程度なら誤謬もあまり影響はない。しかし、自動運転自動車とか生活のあちらこちらにAIが侵入してくるとなると、その影響は多大なものとなってくる。人類より知能が高いAIがそう判断したからといって、人間はそれをそのまま自身の考えもなしに受け入れることができるのか。



まして、AIは道具であり人間が操作しているとなれば、その人間の恣意性をAIの御宣託として受け入れてしまうことになる。あるいはAIは人間の手を離れた存在になるのか。人間はAIを神のように受け入れ、その命を無批判に実行するのか。



ここからがわたしの妄想であるが、人類はAIのおかげで次なる進歩のステージへと進むのであろうか。生物の生きる目的は、「繁栄」である。もうそろそろ繁栄に翳りを見せ始めた人類は、AIを頭としてAIが作り出す合理的な理想の世界で言われるままに個性や人格を捨てて、蟻や蜂のように集団としての繁栄を志向するのか。そして、人間はAIが提供するエンターテイメントを享受し、人類世界の一員となって幸せな生を甘受するのである。









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