2017年6月4日日曜日

『命売ります』を読んで



『命売ります』 三島由紀夫著





三島由紀夫は彼の著作が好きと言うよりは、彼の人生に興味があります。彼がなぜ割腹自殺をしたのかということは未だ謎でありますが、それは、わたしが高校2年生の時に起きました。



同じクラスの男子生徒が2~3人、昼休みに学校から脱走し、そのままサボるところを、喫茶店でニュースを見たと教室に戻って来たのです。「三島由紀夫が死んだ。」と。クラス全員が、「ウォー」と叫びました。



この本は、新聞の下段の単なる広告で見て、すぐ買って、一気に読んでしまいました。なぜでしょう。多分この本は、彼の著作のメイン・ストリームではなく傍系路線だからでは…、と思います。わたしの「へそ曲がり精神」に火が点いたのでしょう。



広告では、



三島由紀夫、極上エンタメ小説!

隠れた怪作小説発見!

これを読まずして三島を語るべからず!



などの文字が飛び交っておりました。



興味深いのは、彼がなぜ「割腹自殺をしなければいけなかったのか」というような彼の心の闇が、メイン・ストリームの作品ではないからこそ、この作品に素直に現れているのではないかと思うからです。『仮面の告白』のように。









主人公の羽仁男は、なにやら「新聞の文字がゴキブリの如く動き出して逃げていった。」と言って、この世も終わりだと自殺します。が、目が覚めると病院のベッドの上。自殺に失敗しました。自殺に失敗したからには、こんな命どうにでもなれと「命売ります」の新聞広告を出すのです。その広告に反応して羽仁男のところ訪れる訳のわからない人々と、その人たちに命を売りながら、結局は助かってしまう羽仁男のドタバタ喜劇の連続です。



自殺に失敗した彼は、「命を売る」という広告を出し、誰かが彼の命を買い、そして彼は死ぬ。この死に方に対し、彼は「自分の責任のない死」と面白がります。命を売るというのは無責任を全うできる素晴らしい方法であると彼は思います。



それから、2回ばかり命を売って、いろいろなドタバタの末に死から免れた後、彼の意識は少々変化します。吸血鬼に命を売ったものの、その美人の吸血鬼に先立たれ、彼も彼女の後を追うべく「命を売ろうか」と思ってしまうのです。それは、初期の「純粋な死」から少々道を外れた行為なのでは。この段階では、羽仁男は「しかし、そんなことはどうでもよかった。死んでゆく人間の動機なんかどうでもよかった。」と言っています。



その後も命を売り続けますが、どう言う訳かいつも助かってしまいます。命を売ったお金も溜まり何もしなくても十分生きていけるようになった頃、「命売ります」をちょっと休憩しようかと、新聞広告で公となっていた自分の棲みかを離れるべく全財産を持って旅立ちます。



その頃、羽仁男はこんなことを思っています。



すべてを無意味からはじめて、その上で意味付けの自由に生きるという考えだった。そのためには決して決して、意味ある行動からはじめてはならなかった。まず意味ある行動からはじめて、挫折したり、絶望したりして、無意味に直面したりするという人間は、ただのセンチメンタリストだった。命の惜しい奴らだった。

戸棚をあければ、そこにすでに、堆い汚れ物と一緒に、無意味が鎮座していることが明らかなとき、人はどうして、無意味を探究したり、無意味を生活したりする必要があるだろうか。



「終わりのない小説」などはなく、この小説もついに大団円を迎えます。今まで、命を買いに来た人々には何らかの繋がりがあったのです。彼等は羽仁男を殺害しようと彼を追い詰めます。羽仁男は、訳もわからず命を脅かされる身になりました。ホテルに身を隠しますが、そこにも彼らの手が伸びてきます。



「命を売っているときは何の恐怖も感じなかったのに、今では、まるで、猫を抱いて寝ているように、温かい毛だらけの恐怖が、彼の胸にすがりつき、しっかりと爪を立てていた。」



と、書かれています。



羽仁男は、交番のおまわりさんに保護を求めますが、警官はまともに受け止めません。逃げ回っているので、彼は住所不定です。住所不定の奴が何を訳のわからないことを言っているのか…、と言うことです。



「まともな人間というのはな、みんな家庭を持ち、せい一杯女房子を養っているものだ。君の年で独り者で住所不定と来れば、社会的に信用がないのはわかりそうなものじゃないか。」



「あなたは人間はみんな住所を持ち、家庭を持ち、妻子を持ち、職業を持たなければいけないと言うんですか。」



「俺が言うんじゃない。世間が言うのさ。」



です。





新聞の文字がゴキブリのように動き出し逃げていったことから、羽仁男は自殺しました。そして、その命が助かると命を売りに出します。そこには、羽仁男が思う「死に対する意識」があります。しかし、その意識も死と戯れているうちにあやふやなものと堕してしまう。そして、最後には、巨大な「凡庸」が羽仁男の前に立ち塞がります。もはや、彼にはなす術もなく、夜空を見上げて……、



「絶望」を感じたのか?



少しだけ、三島の自殺の意味が汲み取れると思うのは、考えすぎでしょうか。










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