2018年5月7日月曜日

『アンチクリストの誕生』  レオ・ペルッツ著



この著者をわたしは残念ながら知りませんでした。本の帯のキャッチコピーに、「ボルヘス、カルヴィーノをはじめ多くの作家たちを魅了した稀代のストーリーテラー、いよいよ文庫に初登場!」とあったから、興味を持ちました。



読み終えると、「わたしって小さい時からこんな本ばっかり(古典や純文学と言われるものではなく中間小説、エンターテインメントと言われているもの)読んでいるなあ。」と思いました。しかし、それがわたしの誇りでもあります。



解説の皆川博子さんが「花も実もある絵空事の作家」と書いているように、表題を含む8編の短編(あるいは中編)は、素晴らしいストーリー構成の「ホラ話」です(あるいはゴッシク・ホラー)。ある作品はマーク・トゥエインのようなバカバカしい「オチ」の付くホラ話、ある作品は、ドイツ・ゴシック小説と言った感じです。



「花も実もある絵空事の作家」と言うのは、柴田錬三郎の言だと解説を書いている皆川さんは言っています。わたしもシバレンの作品は多数読んでいます。その他「訳者あとがき」などにも紹介されている山田風太郎、夢野久作、久生十蘭、カルヴィーノ、ボルヘス、シャーロック・ホームズやグスタフ・マイリンク等々、悉くわたしの幼い頃から読み親しんだ作家でした。



さて、わたしはこの著者について全く知らないので少々紹介しますと(これを読んで下さる人はご存知か――、と茶々を入れる)、1882年、プラハ生まれウィーンで活躍したユダヤ系作家とありました。ユダヤ系作家と特筆されているのは、ユダヤ人迫害にあったということを意味しているのでしょう。



1915年に第1次世界大戦に従軍。翌年に重傷を負って、ウィーンで暗号解読に携わる。その後ナチスの台頭によりウィーンを追われ、パレスチナのテル・アヴィヴに移ります。しかし、彼はドイツ語で著作しているので、彼の作品がドイツでの出版を許可されなくなると、徐々に忘れられた存在となります。1970年代から再び世界で脚光を浴びるようになって来ました。シュールレアリスムや前衛的なものの流行、あるいは純文学と「そうでないもの」の評価の垣根が少し低くなって来たという時代背景でしょうか。








この本は中短編集です。各タイトルは、「主よ、われを憐れみたまえ」、「一九一六年十月十二日火曜日」、「アンチクリストの誕生」、「月は笑う」、「霰弾亭」、「ボタンを押すだけ」、「夜のない日」そして「ある兵士との会話」です。それぞれが違う時代、違う背景で書かれています。なのでわたしは、「東ヨーロッパとロシアの歴史を少々勉強した方がよさそうだぞ。」と、思いました。



西ヨーロッパの歴史はそれなりに見聞きする機会があり、多少なりともわかりますが、オーストリア、ルーマニアそしてロシアとなると……。(ところが、その辺の国の小説を読むと何故か変な臭いがしてくるのです。学生の時、実存主義の小説を読むと嫌な臭いがしてくるので、それでこれは実存主義の小説とわかると言った人がいました。気のせいでしょうかねえ。)



短編の作品は概ね大法螺のオチ付きの「なるほどね。」と思う作品です。その中で「月は笑う」は少々怪奇小説的な推理小説的な趣があります。中編小説の「アンチクリストの誕生」と「霰弾亭」は、素晴らしいストーリーテリングで、引き込まれます。



「アンチクリストの誕生」は、最初は純愛の夫婦の物語のように、おとぎ話のような優しい雰囲気で始まります。が、徐々にその夫婦の過去が暴かれて、おどろおどろしいお話に。さて、「アンチクリスト」とは何だったのでしょう。誰が誕生したのでしょうか。お楽しみにお読みください。



「霰弾亭」は、一番気に入りました。こちらの方は「大法螺話だあ」という感じで始まります。主人公のフワステク曹長が自殺します。しかし、話はその弾がどうなったかの方向へ。つまり、曹長が自らを撃った弾丸は、曹長を殺した後、その体を突き破り、曹長の部屋を横切り、皇帝の肖像画を粉砕し、隣の兵舎で寝ていた新米兵の膝をぶち抜き、背嚢にめり込み中に詰まっていたものを台無しにし、たまたま開いていた窓から飛び出し、云々かんぬんと続いていきます。



「だがこれらすべてはこの物語に何も関係がない。」と、おもむろに主人公の「人となり」にバック。曹長は毎日酒場でバカ騒ぎを繰り返していますが、その過去に何かがあり、彼自身過去に囚われている。この話は、この事件当時18歳であった新米兵が、12年後に思い出として語っています。



曹長の部屋で彼は一枚の写真を見つけます。曹長と若い美しい女性とのツーショット写真。その御夫人は、彼も幼い時知っていた女性。彼が、「親密な関係だったのでしょうか。」と嫉妬心も込めて曹長に尋ねました。



「覚えておけ」と曹長は言います。「人は人と親しくならない。覚えておけ、いいか。最上の友でさえ隣に立つにすぎない。同じ景色の前でだ。それを友情と呼ぼうが愛とか結婚と呼ぼうが、同じ額縁にむりやり押し込むことでしかない。」



ある時二人が道を歩いていると、写真の女性にばったり出会します。その隣には立派な夫である中尉が。曹長は亡霊にでも会ったように真っ青になります。その後、曹長が兵士に語ったことは、「いいかお前、だしぬけに己の過去に出くわすほど恐ろしい災難はない。サハラ砂漠で迷おうとも己の過去に迷ったよりはたやすく脱出できる。―――――――、ひとつだけ言わせてくれ。過ぎたことは振り返らんよう、くれぐれも気をつけろ。振り返っちゃおしまいだ。――――。」



そして、その日の夜、曹長は自殺しました。





訳者あとがきでは、曹長は過去に迷って自殺したと書かれています。わたしが思うには、曹長は、人間に絶望していたのではないかと。「過去からの亡霊」に会って、その日の夜、いつもの「霰弾亭」で、彼は彼の周りを見回した。そこにたむろしていた人々は、「クズどもや悪党やいかさま師や取り持ち屋」。彼を理解しない人々、理解しようとも思わない人々。



三島由紀夫の『命売ります』の最後で、主人公の羽二男が「人生のドタバタ劇」の後に見たものと同じ。羽二男は泣きたくなって星を見上げたが、曹長は……。










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