2025年1月12日日曜日

少し前の『折々のことば』


 

朝日新聞のコラムです。


1月9日のもの。


光は、はてしない闇のなかに湧いて、ちぎれたり、合わさったり、消えたりする、気泡のようなものでしかない。

川田順造『広野から』より


サヴァンナで陽が落ちるーーー、その時闇は光の欠如ではなく、光が「闇のまたたき」だということがありありと感知される。人の眠りや死も、つまるところ「個をこえた連続への復帰」なのだ。




少々難しいですが、「個をこえた連続への復帰」というところに私の妄想がムクムクと湧いてきて……。


私は一生懸命生きてきた。これは、わたしの一生ではなく、人間の「生」を繋ぐ一片の試みなのかと。「生きる」、そこに意義はあるのか?あるいは、単純に「生きていく」ということに意義があるのか?


人類が生き続けるのに意義はあるのか。他の動物や植物、生物がこの地球上で「生」を営んでいるのと同じように、ただの地球に起きている現象の一部ではないのか。


というような、ことです。





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