��Vの上の棚の瓶の中にタツノオトシゴが浮かんでいる。このタツノオトシゴを買ったのは2003年夏にはじめて上海に行った時のこと。この時は単なる3週間の観光旅行であったことは以前にも書いた。そして、ワンさんやJ、ジョさんそしてその子供たちと海水浴のために船旅をしたことも書いた。行き、帰りと船中に1泊ずつしたことも書いた。その船の中のトイレの話も書いた。
��月11日(月):
海に出発の日。Jがホテルまで迎えに来てくれた。旅行で5日間留守にするのでホテルをキャンセルすると言う。Jがすべてホテルのフロントに交渉して解決してくれた。そして荷物をすべてホテルに預ける交渉も。
船が出るのは夕方だったのでそれまで違うところを見学してそれから船着場に行った。わたしたち(わたし、J、Jの息子トニー6歳)が最初に着いたようだった。それからワンさんとその息子、中学生、そしてジョさんとその息子、高校生が順次集まってきた。
中国の一人っ子政策により彼女たちはひとりしか子供がいないがそれが総て息子だった。上海の若い男の子たちはとても優しい。それから、全員が一人っ子ということもあって、彼らはすぐにお互い仲良しになる。まるで兄弟のように。彼らは親の言うことに、とても素直に従う。重い荷物も持つし、何か買って来いというと、さっと立ち上がってさっと従う。
こうやって、わたしたちは船で旅たった。
��月12日(火):
朝、普陀山の港に到着。ホテルにチェックイン。それから寺に行く。今回の旅行の目的はどうもこれだったらしい。彼らはとても敬虔だ。みんなで将来の祈願と家族の健康を祈る。祈願の仕方もちゃんと方法があるらしく、ここではこの色のお線香を使い、何度お辞儀をするとかどの方向を向くとか、とても細かいルールがある。日本でも祈ったことのないわたしが何を祈る?でも彼女たちの手前チャンと祈る振りをした。こんな無信心のわたしがいっしょで彼女達の願いは叶うのかと思ったがしかたがない。
午後から海に行く。
その夜からお腹の具合が悪くなった。その前から少々変だったのでまあこんなもんかと思っていたら、夜中にJから電話があった。彼女たちはわたしのことを気遣ってくれてわたしだけ一人部屋にしてくれたのだ。彼女たちはみんなで2部屋。その内線でJは「大丈夫か?」と聞いた。わたしは、なんでJがわたしの調子悪いことがわかったのかと尋ねた。Jは食中りだと言う。Jとワンさんとワンさんの息子が食中りで、ワンさん達は病院に行って、点滴を受けていると言う。Jは医者に来てもらって点滴を受けるのでわたしも受けろと言う。
わたしは、
「でも、いいよ。保険ないし、払えないよ。」
��、
「大丈夫。3000円くらいよ。」
というので、受けることにした。実際には、Jはもう医者を呼んでいたのだ。でも、わたしが気分を害するといけないので、了解を得ようとした模様。ホテルの部屋で点滴を受けるのは初めての経験、というか、点滴そのものも初めて。
��曰く、
「この辺の人は食中りに慣れてるから大丈夫よ。病院の先生も慣れてるから。」
どう大丈夫なんだろうか?
��月14日(木):
点滴と薬が効いて今日は調子よくなったけど少し不安。午前中、普陀山に行く。ここにはたくさんのお寺がある。午後から買い物に行くので一緒に行くかと聞かれた。昼食はホテルでする。理由は清潔だから。
ホテルのレストランで、Jはホテルの人もわたし達が食中りしたことを知っているので慎重に料理をしていると言った。というのは、メニューをみて彼女達は料理室まで材料を見に行くので、その時料理人がそう言ったらしい。メニューを決めるのはこのようにとても慎重。それから、全部食べるのを恥と思っているらしい。子供達が全部のお皿を食べ尽くしそうになると追加注文をし、結局、追加注文の半分くらいは残した。
午後からの買い物はお土産を買うというのでどんなものが買えるのかなと楽しみにしていたら、いろいろな干物の類を買うだけだった。食中りの後だというのにホテルのレストランといいここと言い、たいした食欲だ。彼女たちは、ひとつの店でいろいろ山のように食べ物を買っていた。そして、わたしはここでタツノオトシゴを見つけたと言う訳だ。つまり干物。ワンさんが焼酎の中に入れて、2ヶ月くらいで飲めると教えてくれた。関節炎と腰にいいと言う。
わたしはその干物のタツノオトシゴを綺麗なビンに入れて焼酎を満たした。そして、今ではこのアパートの飾り棚に鎮座している。旅の思い出として。
そして、それを眺めながらビールを飲む楽しみ・・・。
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