2014年11月11日火曜日

ラジオインタビューからの・・・…


先日ラジオを聞いていたら、関口知宏さんがインタビューをされていました。関口さんのことでわたしが知っていることと言ったら、関口宏さんと西田佐知子さんの息子だということだけです。俳優かタレントかそんな人と思っております。聞いていると、基本的に「理屈っぽくて、鬱ッとおしい奴」だなあと。この人は万人からは理解されないだろうなあと。だから、おもしろかった…です。

 

このインタビューのメインの目的は、旅人としの関口知宏さんが著した『「ことづくりの国」日本へ――そのための「喜怒哀楽」世界地図』の内容紹介のようでした。ラジオから察するに、世界の国を「喜怒哀楽」で分析し、どの国がどの感情を主に持っているか…というようなこと。そこで興味深かったのは、彼が、日本を「楽」、中国を「喜」と分析し、エピソードを紹介していたことです。次のような事を述べていました。

 

 

例えば、中国のホテル等に行くと、とても豪華そうなソファーがありますが、きまって座り心地が悪い。他の場所でもそうです。それは何故かと考えると、彼らは、「坐り心地」なんか考えていないのです。つまり、重要な事ではない、関心事ではない。しかし、日本では、見かけより、坐り心地が大切。この事に気付いて、わたしは、中国では、ゆったりリラックスしないで、彼らのように活動的に動き回って、「喜」に努めました。それで、中国では、とても、歓迎され受け入れられました。

 

 

……どうですか。わたしもそう思います。わたしたちは、日本に閉じこもっていると、日本の価値観が唯一の価値観、それに合わない行動を見ると、批難する傾向にあります。これはマスメディアの責任でもあると思います。日本を褒め殺しにしている最近のTV番組の多いこと多いこと。そして、それに引きかえ「中国人はこんなんだあ~」と。

 

わたしもエピソードをひとつ。

 

2003年から約2年間、上海に暮らしていました。仕事の関係で。中国人の友達と商売をしていたのです。彼女は、わたしをいろいろなところに連れて行ってくれました。ある日、少し郊外のレストランで彼女と彼女の友達、そしてその友達たちとお食事(宴会)をしました。夏の暑い日で、屋外のテーブルでビールを飲んでいました。

 

ビールと枝豆です。わたしは、枝豆の莢を自分のお皿に置いていました。そこで、彼らを見ると、テーブルの上に散らかし放題。または、テーブル付近に落としています。わたしは、心の中で、「えっ、そんなことしていいの。」と思って彼らの顔を見ると、彼らこそ、私の方を見て、顔をしかめています。「えっ、わたしがいけないの。」と友達の方を見ると、彼女は、みんなに日本人はゴミを自分のお皿に戻すのが礼儀なんだ…、と説明している様子。つまり、わたしはわたしで、ゴミを散らかし放題にして、なんて不潔なんでしょうと思っていた所、彼らは彼らで、「ゴミを自分の皿に戻すなんて、なんて不潔なんだろう」と思っていたようです。まったくの真逆です。「良い悪い」の問題ではないのです。単なる文化、慣習の違いです。中国の道は汚いけど、彼らの部屋はきれい。日本人のお家の周りはきれいだけど、部屋の中は…、という状態もままあること。どこに重きを置くかは人それぞれということでしょうか。

 
 
 
 

 

日本が「楽」であるということについては、

 

基本的に賛成します。以前、「なぜ、日本でラーメンが発達したのか」という記事を新聞で読みました。著者は、アメリカ人のラーメン研究家ではありましたが、江戸時代まで日本人は、一日三食という食事形態ではなかったと言っています。日本人は、お腹が空いた時にスナック的に食べ物を「ついばんでいた」ということです。そこで、明治になって、海外の人が日本で働くようになった時、まともな食事…ガッツリした食事、がなかった。で、中国人のアドバイスにより日本のラーメンが発明されたのだと。「楽」の感覚ではありませんかあ。

 

現在、日本人は勤勉だとか言われていますが、何か「意味の違い」も思ってしまいます。日本人は勤勉です。が、同時に怠惰です。今、日本人は残業が多過ぎる、もっと、機能的に働けよ…、などと言われますが、わたしはそれが日本人なのだ、と言いたい(なんだか、調子にのって来ましたね)。日本人は、元来、ノンベンダラリンと働いていたのです。「楽」です。江戸時代、奉公人は、盆と正月しか休みがありませんでした。住込みで働いて、朝から晩まで働いていたと思いきや…、それなら、なぜ、江戸の文化が花開いたのか。歌舞伎や浄瑠璃、相撲、落語などいろいろ、昼間から多くの人が演場で観賞していた。それは、みんなサボっていたからです。昼間からサボって観賞していたのです。

 

しかし働く時は勤勉です。それは、お金を稼ぐと言う領域を超えていますよね。日本人は、仕事を通して「修行」しているのです。自分自身を磨くために仕事をしているのです。寿司職人は、ひとつのにぎり寿司に使う米粒の数が同じです(ほぼ。一粒くらいの違い)。旋盤工は、0.何ミリの世界で勝負しています。する必要はないのに。

 

 

そんなことを、あれこれ考えていると、やはり、「楽」かなあと。ふ~~~ん、伝わったでしょうか。いまいちかなあ。






にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿