2014年11月26日水曜日

「終活」を考える


先日ラジオを聞いていましたところ、パーソナリティは津田大介さんでした。ジャーナリストの金髪の津田さんです。特にIT産業関連のエクスパートのようです。その時は、「終活」について話しておられました。

 

「終活」とは、人生最後の身辺整理のことです。津田さんは特にSNSのサイトを死後どのように処理するかという事について述べていました。死後も自分の書いた文章はあるいはフォト、その他諸々のものが残っていたら個人情報という観点から問題があるのではと。また、自分だけの問題ではなく、本人に関連した人々の情報もネット上に漂い続けると。アンカーの藤井さんも、父親が弁護士だとかで、依頼人の情報がネット上に留まっている事になると……、「そんなことになったら大変ですね~。」と、同感していました。

 

津田さんも言っておられましたが、わたしも新聞などで読みました。ヤフーなどSNS系サイトでは、契約をしておけば死後に本人のサイトを消去してくれるところもあると。津田さんの上げた例では、ヤフーは本人が死ぬ前に自分の葬儀などの手順を葬儀屋にあらかじめ契約しておく。すると、本人が亡くなった時に、その葬儀屋さんからヤフーに連絡が行きヤフーがそのサイトを消去するというシステムになっています。

 

お話はごもっともなんですがね~~~、わたしは、常々違う事を考えておりました。考古学についてです。あるいは、古書の研究などについて。今までは、土を掘ったり、古文書を研究したりでしたが、これからは、ネットを「掘る」時代が来るんだろうなあと。

 
 
 

 

最近、見かけた新聞記事があります。ひとつは、「『まめだ』直筆原稿発見」です。『まめだ』という落語の出しものは、人間国宝の落語家桂米朝さんが1968年に初演し、昭和生まれの古典落語となりました。作家の故三田純市書いたと言われていましたが、長らく行方がわからなくなっていたそうです。今回、原稿が見つかった事で、米朝さんの高座がどんな意味を持つのかという事がより一層明らかになり、それが貴重な資料となったわけです。

 

これは原稿としてあったペーパーが失われて、今回出て来たということです。もし、これがネット上にあって、死後消去されたのであったなら、貴重な資料が……と思うのです。もちろん、この原稿は私文ではなく、公にされたものでありますから、もし、消去されたとしても、どこか他の所で生き延びているかもしれませんが。

 

それでは、もうひとつの記事はいかがでしょうか。「谷崎、『何卒お側に』妻に忠誓う――愛つづる288通発見」。作家の谷崎潤一郎が妻「松子」や妹らと交わした未公開の手紙288通が見つかったということです。谷崎と松子が出会った1927年から晩年までの36年間にわたる書簡です。東京都内に住む谷崎の遺族が保管していました。内容は、谷崎が、3番目の妻となる松子に送った結婚誓約書など二人の激しい恋愛模様を伝えるものです。これこそ、本人にとっては、消去してもらいたかったものでしょう。それがやはり谷崎の世界観を研究するに貴重な資料となるのです。早稲田大学の千葉俊二教授は、「『細雪』や『春琴抄』だけでなく、晩年の作品全体の読み直しが必要になる」と語っています。

 

つまり、「終活」で貴重な文化的財産が消滅してしまうこともあるかもと。その他、作家自身が、死後には廃棄するようにと家族に依頼したものを家族が残しておき、貴重な資料になったという例もあります。カフカも作品は全部焼き捨てるようにと遺言して死んだんじゃなかったっけ……。また、サリンジャーのスキャンダラスな手紙も、過去、オークションで高値を付けていましたね。

 

自分では、失敗作で恥しい作品も家族やら親族やらが、死後保管して大金に変えているんだ。なんて言う事は、話題が段々ズレてきましたねえ。ちょっと、興奮してしまいました。

 

とにかく、やたら消去しないで、未来のネット探索者の手に委ねようじゃあないですかあ。







にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿