2018年7月15日日曜日

世界史からの―――日本の歴史に興味津々。



『アマテラスの誕生』を読んで





マクニ―ルの『世界史(A World History)』に取り憑かれています。マクニ―ルは文明を四つに分け、それ以外の文明はその文明の亜流であると書いています。その四つの文明とは、チグリス・ユーフラテス文明、ナイル文明、黄河文明と、インダス文明―――ではなく、ギリシャ文明。ギリシャ文明とは、少々変だと思いました。しかし、誤解していました。彼は、メソポタミア文明に影響を受けて興ったギリシャ文明、インダス文明、メソポタミア・エジプト文明と黄河文明―――と区分していたのです。



19世紀の終わり、あるいは20世紀の初め、『世界最古の物語』が発掘されました。4~5千年前に楔形文字で書かれた物語です。その内容はまだまだ研究つくされていませんが、近東地域に位置するバビロニア、ハッティ、カナアンの文明です。これが、彼の言う最初の文明でしょう。聖書もインド叙事詩もホメロスもこの影響下にあります。そして、そこからのギリシャ文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明ということです。



彼は、文明にはひとつの理論に基づいた官僚国家が必要だとしています。「ひとつの理論」とは、現在意味する「理論的」なものという事ではありません。人心をひとつにする「物語」です。つまりこの「物語」を他の文明は創り出すことが出来なかった。だからこの四大文明のどこかから拝借したのだと、彼は言います(四大文明以外の文明は亜流だという意味)。実際には「物語」とは、宗教です。西欧キリスト教、インドのヒンズー教、イスラム教と仏教。例えばモンゴルはどうでしょう。彼等のジンギス汗はユーラシア大陸を征服しましたが、人を説得する「ひとつの理念」は持っていませんでした。イスラム教に接触するとすぐイスラム教に転向してしまったのです。





マクニ―ルは『世界史』を書いています。その『世界史』がやや西欧中心的なのは致し方ありませんが、新しい世界史観を創出していることは確かだと思います。そこでは日本のことも触れられていますが、やはり日本人の書いた日本の歴史ほどではありません。そこで、実際、日本の歴史はどうなんだろうかと思った訳です。彼は、日本の歴史を中国文明に影響を受けたいわゆる「亜流」文明とみなしています。そこまで単純なのだろうかと思いました。故に『アマテラスの誕生』(溝口睦子著)に辿り着いたということです。



溝口氏は、「アマテラスを日本に統一国家をもたらすための皇祖神」としています。つまり、ひとつの文明に不可欠な「物語」。前置きが大変長くなってしまいましたが、やっと、お題の『アマテラス』に行き着きました。













『アマテラスの誕生』で溝口睦子氏は「なぜアマテラスが日本の皇祖神になったのか」という謎ときに挑んでいます。あくまでも溝口睦子氏の説です。わたしには、それが正しいとか間違っているとかの判断はできません。しかし、スッキリと納得はいたしました。



日本は近代化するまでに、対外的に三つの敗北があると溝口氏は言っています。ひとつは、5世紀初め高句麗と戦っての敗北。ふたつ目は、663年白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に負けた事。そして幕末期の黒船来航。幕末期に西欧諸国に対抗する為、「西欧から」学んだということは、日本のひとつの特徴です。中国、その他の国などは、その巨大な国力に安住して、気がついたら植民地化されていたということが見受けられますから。それと同様に、高句麗や唐・新羅に敗れた時も、日本はそこから新しい知識を学んだのです。



4~5世紀の東アジアは、ユーラシア大陸と朝鮮半島南部、日本列島を結ぶ文化の流通圏がありました。そして、5世紀初めに高句麗に敗北を喫すると、倭の独自性の強い文化から、朝鮮半島の影響の強い文化へと変化しました。古墳から掘りだされる遺物は、大陸文化そのものだと溝口氏は述べています。その頃大陸で流行っていた思想が、「天孫降臨神話」だったそうです。



敗北により、権力の集中と統一国家の立ち遅れを意識した倭王は、統一王権にふさわしい、唯一絶対性・至高性が必要と、天から神が降りられて王家の始祖となったという物語をここで取り入れました。その時の皇祖は「タカミムスヒ」であって、アマテラスではありません。溝口氏によりますと、ヤマト王権(5c~7c)はタカミムスヒが皇祖、律令制国家成立以降は(8c~)はアマテラスが皇祖ということになります。「この時になぜ皇祖の転換が成されたのか」が、『アマテラスの誕生』の主旨です。



663年に白村江で日本が敗北した時、時の権力は「もう大慌て」といった状況でした。唐と新羅の連合軍に敗れたので、唐が侵攻してくるのではないかという恐れから都を内陸部に移すということもしました。その頃はまだ数多の豪族の頭としての天皇でしたが、天武天皇は統一国家への改革を始めるのです。天武天皇(在位672~686)は、豪族の「部曲(土地・人民)廃止」を675年にします。これで、「私地・私民」が「公地・公民」となります。豪族は国から支給される扶持によって生活することになりました。中央集権の成立です。



もうひとつ重要な事が、思想面の改革です。天武天皇は歴史書の編纂を命令します。681年に開始されました。そして、720年『日本書紀』の完成です。天武天皇は大陸からのグループの神と見られがちなタカミムスヒをそのまま国家神とすると、大陸との繋がりが深い特定の豪族の官僚国家なのだと受けとられる事を恐れました。そこで、それ以前の土着の神である「アマテラス」を皇祖神として定め、人心の一新をはかり、新しい国家作りに挙国一致で向かう態度を示そうとしたのです。しかし、『日本書紀』ではまだ完全な転換を果たせず、『古事記』によってその意図は貫徹されます。『古事記』によって神話が一元化され、タカミムスヒは忘れられていきました。



しかしながらアマテラスが名実ともに皇祖神となったのは明治に入ってからの事で、明治2年明治天皇が伊勢神宮を参拝したのが、はじめての「天皇が伊勢神宮を参拝」ということになります(祖先を参拝するという事)。つまり、江戸時代まではいくら「皇祖神」「絶対神」「至高神」などと言われても、庶民は八百万の神を信じていたのですね。



そもそも国を統一する時は、なにか絶対的なものが必要だったという事が、納得できました。『日本書紀』や『古事記』は、キリスト教で言う「聖書」のようなものだったんだと、この『アマテラスの誕生』を読んで、思い至った次第です。












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