2018年10月28日日曜日

最近のコメンテイターからの……思う事



ニュースショーやテレビ討論会のコメンテイターは、以前は上等そうなスーツを着たおじさんばかりでした。最近は、少々マシになって来たかも。ボツボツ大学教授やその道の専門家の女性が出演するようになってきたから。



これまでは、女性が出ていても、「花を副える」が如きの扱い。タレントや少々頭のよさげな美人系。その後、元ニュースキャスターや弁護士などの女性の登場。そして、今漸く、その道の専門的意見を言えるような人たちが出てきた模様。



わたしが若い時分、安藤キャスターが金丸氏(政治家)の記者会見で質問をしましたが、「お前は黙っとれ!」とばかりに無視されました。女性が偉そうに政治家に質問などしてはいけない時代だったのです。強烈な思い出です。



大学院の入学試験でも、定員があるので、女性は遠慮しなさいという雰囲気。同じくらいの成績なら男性が推薦されるし、「男性には将来があるから君は辞退しなさい。」と、教授にもろに言われた先輩もいました。「女性には将来は無いんかい。」と彼女は、憤慨。









こう書くと、漸く女性も「デキル奴」が現れてきたと誤解される向きもあるでしょう。しかし、女性は以前から「デキル奴」だったのです。育つ環境やら社会慣習の影響です。特に、女性は小さい頃から、「男性に道を譲る」、「男性を立てて勝負に勝たない」というように躾けられています。何か意見を言うとき、男性と女性が同時に手を挙げると、必ず男子生徒が先に意見を述べます。



息子の小学校の運動会の話です。男子対女子の綱引きで女子生徒軍が勝ちました。先生は、男子が女子に負けるのは可哀そうだからと、男子軍が勝つまで3回もやり直しました。父兄たちも男子生徒を応援です。こうやって、女性は男性に道を譲るように育てられていくんだなあ~と、感じた次第です。



しかしまだまだ、「漸く女性も日の目を見られるようになった」という段階です。どこかの医大の入試で女性が差別を受けていたという話。男性はテストの結果に下駄を履かせてもらっていたのでした。この状況を受けて他の大学入試を調査したところ、同じような現象が多々見られたとか。











どこまで女性は我慢しなければいけないのでしょう。女性は差別の構造の最下層にいると学生時代に何かの本で読みました。いろいろな差別がありますが、その差別される人々の中で、また、女性は男性に差別されているのですから。





私、囲碁で最近は勝てるようになって来ました。しかし、男性は(特に囲碁界は年寄りが多いので)女性に負けるのが恥と思っているようで、わたしに負けた男性が、「なんだ女に負けて恥ずかしいなあ。」と言われているのも聞きました。そのせいか、上手(うわて)の人は、わたしと碁を打ってくれますが、同レベルの人には避けられている雰囲気があります。



そんな現状です。









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