2023年11月19日日曜日

『透明標本』という本



「透明標本」

 

 

先日、新聞のコラムで富田伊織さんの事が紹介されていた。

 

「肉を脱色して透明にし、薬液を使って骨を青や赤紫に染める『透明標本』。もともとは生物の骨格を知る研究用の技術。それを芸術の域まで高めた。」

 

とある。

 

なにか見た記憶があるなあ~、と。そうだ、本を持っている。2009年に買っている。その時は、新聞の書評を読んで購入した。

 

その書評では、

 

骨格標本というと、骨以外の柔らかい組織を取り除いてつくるタイプが思い浮かぶが、この手法には限界がある。小さな魚などでは骨格の細部や軟骨組織まで、そっくり取り出すのがむつかしいのだ。

 

とある。



 


この技術で骨格標本を作る意味はわかった。体内に収まっている状態の骨格を観察することができるのは、分類学上大いに益するようだ。

 

科学的価値は理解したが、それを芸術の域まで高め観賞するのはどうなんだろうか。わたしの個人的趣味の問題だが、それが「生きていたものである」というところが、どうも頂けない。

 

「まるでガラス細工のような美しさ」とのキャッチコピー。わたしもこれがガラスで造られているのなら、美しいなあ~、と思える、と思う。

 

本は、写真集なのでパラパラと簡単に観賞できる。が、わたしはこの本を買ったときにパラパラと見ただけである。感想は、「おぞましい」。ホルマリン漬けの標本を見て、楽しい人、勉強になると思える人には、よさそうだが、わたしはね、っと。

 

標本の存在意義は認めるが、そこに芸術性をプラスしなくても……、生き物は、生き物として自然に返してあげようよ~、という私の意見です。




0 件のコメント:

コメントを投稿