2014年6月21日土曜日

読書会 2


英語の読書会をしていると以前書きました。生徒は3人で(今のところ)普通の英会話学校で先生を立ててもらって進んでいます。つまり、こんな教室を持ちたいとリクエストすると、学校がアレンジしてくれます。

 

今回から先生が変わりました。先生はイギリス人でしたが、「オメデタ」でしばらく休むという事。新しい先生は同じくイギリス人で若い男の先生です。わたしたちは(初期の目的は)、3人で順番に本(10ページほどのショートストーリー)を推薦して読書会までに家で読んで来て、クラスでは内容についての感想・意見を言い合います。普通の英会話学校の先生は、自宅で授業の準備などするわけもなく、クラスの前に10ページの話を読んで来てくれるのだけでも奇跡的です。だから、それ以上のことを先生には期待していません。

 

前の先生は「それなりに良い先生」でしたが、わたしたちが持っていった本のヘミングウェイもスタインベックもサマセット・モームも知りませんでした。しかし、それはそれなりにやりやすく、わたしたちは勝手にあれこれ話すことができました。わたしたちの目的は「いっぱい英語を話す」ということですから、ひとりでしゃべりまくる先生は必要ないのです。ちょっとnasty と思われるかもしれませんが、自分の関心あること・知っていることだけ熱心に話して、生徒が話している時はあくびをかみ殺している先生…に、わたしたちはほとほとウンザリしています。

 
 
 
 

で、今回の読書会は小説ではなく認知論関係でした。というのは、わたしたちの一人が、小説ではなく、『東京大学の英語の教科書』というのを持ち込んだからです。英語を学ぶためのものですから、内容は二の次です。英語自体はそんなに難しくはありませんでしたが(小説は往往にして文法通りではないし、詩的表現などはちょっと理解不能ですからね)、ロジックが難しかったのよ。

 

A Super Tunnel』という題です。わたしは三回ほど読み返してようやく理解できました。そして、多湖輝氏の『頭の体操』を思い出しました。そんな感じのクイズのようなもの。三つの箱の中に10ドル入っていて、そのどれかを当てるともらえるという実験(テレビ番組)。司会者はどの箱に10ドルが入っているか知っています。そして、一人の人が10ドルを当てるべく箱を一つ選びます。そして残りのふたつの箱のうち10ドルが入っていない方の箱を司会者がオープンします。彼は、からっぽの箱を知っていますからね。そしてこう聞きます。

 

「これで、残りの箱はふたつです。あなたが選んだ箱に10ドルが入っているでしょうか。それとも残りの箱の方でしょうか。あなたは選んだ箱を変えるチャンスが与えられます。どうしますか。」

 

たいていの人は、箱が3個の時は10ドルが入っている箱を当てる確率は3分の1、そして、箱が二つになったのだから確率は2分の1になったと考えるでしょう。そこが、『A Super Tunnel』なのです。それは、直観でしかない。論理的ではない。人は論理ではなく直観で物事を判断している。直観と論理とで結論が違う場合、人は自分の直観の方を信じる。という訳。

 

司会者が空っぽの箱をあけたことは、この際選んだ人には関係ないのです。なぜなら、司会者は「どちらが空っぽであるか」を知っていたから。だから、選ばれた箱に10ドルが入っている確率は、なお3分の1であり、残っている箱に10ドルが入っている確率は3分の2となるのです。従って、選んだ人は、いつも選んだ箱を変えた方が良く、10ドルを獲得する確立が3分の1から3分の2に変わるということになります。

 

どうですか。おもしろいでしょう。これは、ほんの一部のサマリーです。今回の内容はもっと複雑でした。先生は我々にサマライズしてみよと言っておいて、彼は内容を理解していないようでした。わたしたちが日本語で書かれたものの全てをは理解できないように、先生も英語で書かれたものの全てを理解できる訳ではないのです。単純なお話でしょ。

 

 

次回はわたしの当番で、Lafcadio Hearnの『怪談』を選びました。どんな意見が飛び出すか楽しみです。

 
 





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