2014年6月7日土曜日

『Self-Reference Engine』---最終考察


オリジナルの日本語の方は読み終えました。この本は円城氏の処女作のようですが、処女作にありがちな、あらゆるものが詰め込まれた装飾過剰な作品になっていると思います。第一に「イベント」が余分なのでは。イベントとは世界の時空間が混乱した瞬間のことを指します。そのイベントが起きてからの混乱した状態を描写しています。それぞれのショート・ストーリはイベントに関連していますが、イベントを中心に置かなくとも、それそれぞれの話だけで「ある時イベントが起った」という事実を暗示した方がスッキリするような……。

 

あとがきの解説文を読むと、円城氏はこの「イベント」というものを出汁にして、ただハチャメチャな世界を書きたかっただけだと推測いたします。前回書いたように、彼は「あさっての方向」という言葉に惹かれてこの本を書きだしたのでは。芸術家とはそんなものではと。人々は、つい、芸術家の意図を読み取ろうと勝手に難しい理論を組み立てて「こんなことを言いたいのだ」と解説しますが、実体は、ほんとに単純な動機だと思います。ある作家は、「単なる状況をただどれだけ長く描写する事ができるかを試してみたかっただけだ。」とある作品について述べています。また、画家にしても「ある色とある色の組み合わせが美しかったから、その組み合わせの美の極限を描いてみたかった。」と。わたしは芸術家ではありませんが、わたしの彫金の作品を見て、「これは何を表わしているの?」とよく聞かれました。わたしはいつも適当に答えていましたが、作品制作の動機は、「平らな面に滑らかな曲線を持った凹みを入れたら美しいだろう」と言ったような単純なものでした。

 

円城氏の文を読んでいると、星新一氏の影響を受けているんじゃないかと思わされます。または、落語。言葉あそび。だから、それだけに留めておけばよかったのにと。イベントを中心に添えると、勢いその説明に追われてしまいます。通常ではない世界を舞台にするのは、フィリップ・K・ディックの得意なところですが、彼の場合は、その正常でない世界が、ただあると言うだけです。そんな世界で、人々はその世界の説明を求めるでなく、普通に普通ではないことをしています。円城氏は、too much あるいはtoo littleです。つまり、通常でない世界を描き過ぎる、世界を説明し過ぎる、そして、その世界に生きる人々の日常性を描き切れていない。そんな感想を持ちました。

 




 

英語のプライベート・レッスンでこの本を読み続けて行くことにしていましたが、やめました。だんだん、興味が薄れてきたからです。しかし、ひとつ面白いことに気付きました。英語の先生とは、プロローグと一作目の「Bullet」を読んだだけですが、二人の感じ方の違いがわかったのです。わたしは、Bullet を読んで、この主人公の3人は、中学生くらいの少年・少女と思いました。イギリス人の先生は、「大人の男と女」と感じたようです。それは、言うことがスマートだからと。わたしは、彼らの言うことは、どことなく、コミックブックの主人公の子供たちの表現と似ていると思いました。実際には、13歳の少年・少女でした。

 

もうひとつ、先生は(イギリス人の男性。30歳くらい)、想像の世界にスンナリ入っていけないよう。つい最近聞いたラジオ番組で、ゲームのイベントをしている人(かなり有名なようですが、名前を忘れてしまいました)が言っていました。「いろいろな国でゲームのイベントをしているが、想像の世界にスッと入っていけるのは日本人だけのようだ。」と。カフェで、「ここは列車の車室です。」と設定すると、日本ではたいてい「はあ、そうですか。」となるが、他の国では、「なぜだ。ここはカフェじゃないか。」と言いだす人が必ずいるそうです。

 

わたしが言いたいことは、Bulletの中で、「リタ(少女)は頭の中に弾丸を持っているのだが、それは、母親が撃たれた時、リタが母親のお腹の中にいたからだ」、という描写がありました。最初の彼の反応は、「頭の中に弾丸があって、彼女は死なないの」でした。わたしは、「ああ弾丸が入っているのか」という反応。また、それなら、過去でリタが撃たれたことになるので、明後日の方向にガンを撃ちまくるのはおかしい、過去の方向に打つべきなのです。で、読んで行くと、「リタはある時点で撃たれた。そしてその衝撃で過去の方向に押しやられ、母親の子宮に戻ってしまった。そして、この世に生まれて現在の13歳の時点に来た。この時、リタの頭の中に弾丸はあるがまだ撃たれてはいない。だから、これから撃たれるであろう未来の方向の人物に向けてガンをぶっ放し続けているのだ。」と。どうですか。わたしは、「はあ、そうですか。」と思いました。先生は、「それでは、リタは2回生きているの?」って。どうでもいいじゃん、そんなこと。でしょ。

 

 

「日本人は、日本人は…」というのは、あまり好きではありませんが、でも、やっぱりそういうところ、日本人にはあるような気がします。「まんが文化」の育つ国だからでしょうかね~~~。





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