2015年12月19日土曜日

人に「歴史」在り


世の中、突然ポッと現れて、あれよあれよと言う間に有名人の仲間入りをする人がいます。人々は、そのポッと出てきた瞬間しか見ていないので、「なんだあんなポッとでが。」などと揶揄します。嫉妬心とともに。しかし、世間に現出しているその人の部分は、氷山の一角で、その裏には、たいへんなものが隠されているはず。芥川賞の「又吉さん」然りでは。

 

今日の新聞でSEALDsの中心メンバー奥田愛基さんが取り上げられています。わたしがはじめて彼を見た時は、「なんか、チャライ奴だなあ。」と思いました。しかし、彼の活動は一過性のものではありませんでした。その裏には何かあるはずと感じていましたが、謎が少々解けました。

 

彼は、北九州市の生まれで、彼の父親は、ホームレスの自立を支える牧師でした。その妻も彼らを家族のように受け入れる人物だったようです。幼い頃から、彼は父の炊き出しなどの活動のお手伝いをしていました。やはり、「基礎」はあったんですね。

 

その後、中学でイジメにあい不登校に。そして、自分でネット検索し、沖縄の離島の学校にひとり転校。そして、高校は島根の全寮制の学校を選びます。「世間の価値観とかけ離れた家庭にも、地元にも居場所がなかった」と彼は述懐しています。

 

高校を卒業する直前に東日本大震災が起こります。被災地支援で現地に入り、大学入学後もボランティアとして通います。しかしここでも自分の居場所が見当たらず、大学を休学し、カナダなどへバクパック放浪の旅へ。ここで普通に政治を語り平和を語る同世代の人々との接触が。日本に居るだけでは、ほんと自覚できないことが多々あると感じますね。経験上。今回、18歳からの選挙権取得に伴って、高校での政治に関するルールも見直される運びとなりましたから、次代の若者の自覚に期待するところであります。

 

そして帰国後、2013年12月に特定秘密保護法に反対する学生有志の会「SASPL」を約10人で結成します。後にSEALDsとなります。若者の新たなデモの形を作り上げ、人々に拡散し、共感を広めました。今後は大学院に進む模様。SEALDsも、来年の参院選以降に解散し、新たな組織「ReDEMOS」を立ち上げるとか。学生だけではなく弁護士、学者を巻き込んだ政策を提言できる集団として活動を続ける予定。

 
 
 

 

奥田氏は、私から見れば「偉大な」親を持って羨ましいと思いますが、彼自身は悩んでいたみたいですね。つまり、子どもは親に反発し、親を乗り越えて生きて行かなければいけない存在ですから、親が偉大であればあるほど乗り越えるのが難しいと言うことでしょうか。彼のおじいちゃんが「やっと、奥田愛基になったな。」と言ってくれたそうです。悩んでいた中学生の頃から、おじいちゃんは、「奥田愛基になれ!」と激励してくれていたよう。自分自身を確立すること…、これも民主主義必須アイテムですからね。

 

保守の若手評論家である古谷氏が彼を評し、「良く言えば、特別な才能の持ち主。悪く言えば、幼少から自由と民主主義に触れて育った『変人』」と言っています。彼に外観を見ただけで、「自分が死にたくないから、戦争に反対をしている」と評した政治家に、そしてその言に踊らされる一般大衆に知ってもらいたい彼の生き様です。

 

また、彼が通った全寮制のキリスト教系高校時代に、授業でBC級戦犯の飯田進さんの講演を聞きました。「自分は人を殺した。」と未だに悲痛に語るその姿に影響を受けました。「この人は、絶対伝わらない戦争体験を、あきらめずに伝えようとしている。」と。「生きるしんどさ」を抱え、いつも死にたい感じがしていた彼にとって、絶望を抱えながらも希望を語る飯田さんの存在が、少し彼の支えになったようです。

 

 

そう、人はいつも絶望を抱えているのです。それでもなお生きなければならない。その理由、手段を見つけた人は幸いなりと…、思います。







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