2016年9月25日日曜日

囲碁について


最近ブログの更新がなかなか出来ていません。ひとつは、ちょっと家のリフォームをしていたので、使える部屋が少なくなっていたのと、人の出入りが激しくて落ち着く暇がなかったことです。リフォームは完了いたしました。

 

もうひとつは、囲碁に夢中で「話のネタ」を仕入れる時間がなくなったことです。そこで今日は、囲碁ネタで…。




 

囲碁はまだまだ強くなっておりませんが、ほんの「ほんの」少々、囲碁の事がわかってきました。わたしは、今、ふたつの場所に通っています。囲碁クラブと日本棋院です。囲碁クラブの方は、プロではありませんが、たいへん、たいへん優秀な棋士が教えてくれます。わたしは、だいたい11時半頃にクラブに着いて5時頃までたむろしています。その間、1時半から2時半までその先生の講義があります。

 

棋院の方は、勝負をしに行っています。「手合い表」というハンディを記した一覧があり、厳選に相手と同等のレベルで勝負が出来るようになっています。そして、その勝負により、結果、シビアーに己の実力が判断されるということです。囲碁クラブの方は、通っていてとても楽しいです。クラブの仲間と和気あいあい。そして先生との楽しいおしゃべりと。が、棋院の方はまったく楽しくありません。ただ、自分の実力を試すために行っているだけです。で、なぜ「楽しくないんだろう。」と昨日、考えてみました。勝負が絡んでいるからだろうか…、等など。

 

棋院の方は、皆さん勝負をしに来ているんですね。それで、碁に品が無いのではないかと(生意気ですが)。切ったり切られたりの少々強引な手が見られます。囲碁クラブの高段者の方が、その人は自称5段ですが、「ここ(クラブ)に来て始めて、自分は碁を打っていたのではないとわかった。」と言っておられました。自分の碁は品が無いと。他にも碁を正式に習ったのではなく、自己流で打ってきた方は、しばしばそのようなことを言われます。わたしと対局していても、「こんな下品な碁を打ってはいかんなあ。」などとつぶやいています。負けそうになると碁に品がなくなるので、わたしのハンディを少なくするようにと、求められたりします。

 

それで、クラブの先生が常々おっしゃっている、「碁は相手を見て打つのではない。盤面を見て打つのだ。」という言葉がほんの少し理解できたような気がします。昨日の反省からです。この人はこういう風に打つから「わたしはこう打とお」ではなく、盤面を見て一番ふさわしい手を打つことが大事なのだと。相手がいくら無理手を打って来ても、その挑発に乗らず自分の最善の手を打つこと…、そう決心しましたが、どうなることでしょうか。そのためには、「最善の手が何か」を学ぶことも必要なんですけどね。先、長シ…です。









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