2025年12月29日月曜日

まったくの感想ですが……


 

以前「高市総理大臣は、政治信条に関係なく『良かったな』と思います。」と書きました。わたしとは真逆な人なのに、どうしてなのかなあ、と。


考えました。


今日のニュースショウで、「高市首相人気は、押し活に似ている。」と、あるコメンテーターが言っていました。上手いこと言いますねえ。





高市早苗氏が首相になった時、メディアは「初の女性首相」と騒ぎましたが、わたしとしては何か自然な流れで女性の総理大臣が現れたといった感じで、特に「え~っ、女性が!」とも「オオ~、女性が!」ともいった感じは抱きませんでした。


きっと世の中そんな感じだったのでは。特に若い人達は。つまり、まったくの私の感想ですが、世間は「威張りくっさった男性政治家」に飽き飽きしていたのではないかと。それから、最近の傾向として女性のキャスターとか評論家とか識者とか専門家とかが当たり前のように前面に出てきています。女性首相を受け入れる土壌は出来ていたのでは。


国会中継を見ていると、なんだか不遜な感じの男性ばかり。そこに「ニコニコ笑顔」の高市氏が出てくると、爽やかな感じすらします。(もちろん単純に笑顔を信じることはできぬが)。


そこで、リベラル派の側も「爽やかキャラ」の若者議員が現れないでしょうかねェ~。男女を問わずに。







2025年12月24日水曜日

日本版DBS


 

「ようやくかあ~」と、思います。


性犯罪から子供たちを守るための仕組みです。教員や保育士などの性犯罪履歴を確認することが義務付けられます。もちろん、いろいろな難しい側面もあるのでしょうが。


何故、漸くかと思うのか。わたしが英語を学んでいた時(20年前ですが)、ですから少なくとも15年位前に、英会話の先生が言っていたことです。


「小さい子供たちにも英語を教えているが、雇用主がこどもと二人きりにしてどこかに行ってしまうのは驚きだ!」





この方は、アメリカ人だったかしら?(イギリス人はこんなことは言わないと思います。世界で一番の皮肉屋だから)。母国では犯罪行為だそうですよ。


日本は西欧文化(リベラル、人権、平等)で言うと、30年くらい遅れていると言います。何も西欧文化を基準にすることはありませんが、この制度には賛成ですよう。







2025年12月15日月曜日

一つ、わかりました。


 


囲碁の話です。以前、囲碁が複雑なのは「勝利の最終図」が見えないからと書きました。そのことについて先生と話していたら、「最終図はわかりますよ。AⅠはわかっているし、プロならわかっています。」と言われました。


「え~っ」と思って、家で考えました。


数独は答えの最終図が見えているから簡単だ。オセロも「勝ちの図」から逆算して進めていけば、勝ちにつながる。しかし、囲碁は最終図がいろいろあるのでわからない。





が、それは、盤面が大きいからだと思いなおしました。囲碁の9路盤や13路盤なら、最終図が見えてくる。19路盤は、なかなか最終図に辿り着けないからわからない。


が、それは、「わたしの話」だった。AⅠなら最終図まで計算しつくしている。プロの棋士もきっと自分の勝ちの図がわかっているのだ。わたしの先生もプロではないが、ちゃんとわかっていると言っていた。


ここまでわかったところで、わたしの進む道はなにかなあ~~~。ひとつは構想力かもしれない。わたしの「勝ち図」を作り出すことだ。ひとつ難しさススンダーーーねェ。







2025年12月8日月曜日

今日の一冊


 

と言って、土曜日の新聞書評の一冊なんですが。


『ユージニア』  奥田睦著


土曜日の新聞は、本の紹介とその評が掲載されています。その中で、「石川県金沢が舞台の本はミステリアスだ。」とありました。


フムフムと読んでいたら、この『ユージニア』に目が留まりました。

「名家の当主の還暦祝いとその母の米寿祝いを兼ねた席でこども6人を含む17人が毒殺された。」というもの。しかしながら、この本はミステリー小説ではなく小説です。犯人は明確には指摘されていない模様。


事件の関係者のそれぞれの物語に、読者は翻弄されるという仕掛けのよう。面白そうでしょう。誰かが殺されない小説はあまり興味がない私にとっては、最適です。



が、アマゾンで検索したところ、なんだか「たいそうな」本らしく、買うのは躊躇でぃております。今は「保留」です。(文庫本もあるので値段的にはお高くありませんが)。






2025年12月7日日曜日

今日の雑感



 

女性初の首相高市早苗氏についての識者の意見をふたつ読んだ。新聞記事です。女性の専門家の意見です。何の専門かは忘れました。経済?フェミニズム?女性の識者でした。


お二人とも、政治信条に関係なく「女性が初めて首相になったのは、良いことだ。」と述べていました。(お二人とも自民党には傾倒していないようでしたが。)


ひとりは、女性が首相になったということで、これからの女性に選択肢が増えたと。「無い物にはなれない」。その点で具体的な存在には意義があると。


わたしも「政治信条に関係なく」、高市さんが首相になったのは、良いことだと思っています。




もう一人の人は(すいません。名前も覚えていなくて)、高市さんも今まで「女性である」ことでいろいろと闘ってきただろうと。男社会の中で、ひとり頭角を現すのは並大抵の努力ではなかっただろうと。


高市さんが、尊敬するサッチャーさん。彼女が「鉄の女」であることは必然であったでしょう。周りの男性に負けないほどの強さを見せなければならなかったから。そして、より強い姿を見せつけなければいけなかったでしょうから。


そして最後にその識者は、「保守党から先に女性の首相が現れたこと、そして、リベラル派からはその兆しがないことを検証しなければいけない。」と書いていました。わたしは、「ウっ」と唸ってしまいました。


そうですね。フェミニズム押しの政党から何故女性が台頭しないのか?わたしもいろいろ考察してみようとーーー、思いました。