2014年7月8日火曜日

補足UP



<その1>

 

先日のUPで、「AIは次代の人類の究極の進化の形だ」と少々エキセントリックな結論を出してしまい反省しております(結論を翻しはしないが)。AIを恐れるにしろ人類の後見者と見做すにしろ、まだ先の話でありますから今現在の問題点は何かと考えてみました。

 

一番の身近な問題は、人間の失業でしょうか。「テクノロジー失業」などと呼ばれています。つまり、人の代わりに機械が働くようになると人間の仕事を取り上げてしまうことになるのです。歴史的に見れば、イギリスの第二次産業革命の時がそうでした。あぶれた失業者達が仕事を得るために(生活の支えを得るために)新大陸を目指して旅立ったのです。

 

その後、機械化により多くのタイピストたちが職を追われましたが、概ねタイピストが女性だったため社会的問題にはなりませんでした。能力のないものが職を失うのは当然と「自己責任」が問われたのでした。しかし男性までが機械に職を奪われつつある現在、これは社会問題として扱われます。(人生はいつも不条理だ)。

 

日本のAI研究のひとつに「東ロボくん」があります。国立情報学研究所などの研究で人工知能「東ロボくん」に東大入学をさせようという試みです。7年後の東京大学の合格を目指しています。今のところ、80%の日本の有名大学に合格できる実力のようです。そのプロジェクト・リーダーの新井紀子教授が指摘しているのは、「人工知能の弱点を把握し補うことができる人間の役割」です。「人工知能にできること、人間にできること」を差別化し、その役割を担うことができる人間の育成をする。つまり、教育の問題です。そして、人工知能と人間の棲み分けを計るということ。

 
 
 

 

<その2>

 

先日紹介したBBCニュースでは、MITが創刊した科学雑誌があるが、2011年にSFジャンルの有名な作家達に依頼して、新しいテクノロジーとその我々の生活にもたらす影響と言う特集号をだしたと書かれていた。つまり、今までもいろいろなSF作家が未来を予言するようなテクノロジーを本に書いているということかららしい。その例として、ヒロシマの一年前に原子爆弾の作り方を示したSFを上げている。

 

しかし、SF作家達が自分のイマジネーションだけでそれらの新しいテクノロジーを発明したとは考えにくい。彼らはたいてい科学系の教育を受けた人たちである。物理とか数学とか医者とか…だ。しろうとの我々にはつかみ辛い情報を彼等は早い時期に入手していると思う。先の原子爆弾についても、ドイツも日本も同時期に研究していた。アメリカが一歩先を行っていたというだけの話だ。つまり言いたいことは、原子爆弾が実際に発明される何年も前から、そんな物ができるであろうという雰囲気は漂っていたに違いない。科学者は、「確実な事」しか言えない。しかし、作家は「好きな事」が言える…、ただそれだけの違いのような気がする。

 

例えば、AIなんていうものが実現する前に多くのSFがそのようなものを扱っている。安部公房然り…。科学の世界はコンピュータが発明された時からすでにAIを目指すというような方向に行っていたに違いない。また、フィリップ・K・ディックの『虚空の目』は1950年代に書かれたと思うが、巨大な陽子ビーム偏向装置がサンフランシスコにあったということになっている。(さすがですね)。そして、今ようやく陽子線治療とか重粒子線治療が話題になっているが、その時からその芽はあったのだと想像する。

 

以前にも小栗虫太郎のことを書いた。明治期に生まれた推理小説家である。昭和初期に活躍。彼の作品で共感覚のことが取り上げられていた。それも犯人を示す重要な役割で。共感覚とは、五感の感覚がリンクしているもの。何かの匂いをかぐと特定の色(例えば黄色)が見えるというような。見える気がするというのではなく、実際に見える人がいるのだ。つまり、心臓が右にある人がいるというと同じ現実である。この共感覚のことをわたしは7~8年前に新聞記事で読んだ。しかし、この概念は未だに人々の間でポピュラーではないと思うが如何。

 

そんな感じで、時代の雰囲気をすばやく汲みとることができる人々が存在する。そんな人がSF作家なのである。SF作家が作りだしたものの後を世間(科学)が追っているのではない。





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