2014年7月16日水曜日

Lafcadio Hearnの『KWAIDAN(怪談)』


さて、明日の読書会の当番はわたしです。月一回の英語の読書会です。わたしは、Lafcadio Hearnの『KWAIDAN(怪談)』からOF A MIRROR AND A BELLを選びました。10ページ程度のお話――という決まりなので、それで選んだようなものですが、理由があるにはあります。

 

 

話としては、単純です。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は『今昔物語』に興味があったようで、このお話も平安時代のものです。昔、お寺の鐘を鋳造するのに庶民から銅製の鏡を寄贈することを求めたそうです。彼によれば、明治期にもまだこの風習は残っていました。それで、いったん鏡を寄贈した女性が、これは先祖代々伝わるものであると、寄贈したことを後悔し返してくれるように頼みます。しかしそれは許されません。

 

寄贈された鏡はお寺の境内に山のように積まれます。そして、いよいよ鋳造する段になると…、ああら、不思議。ひとつだけ溶けない鏡があります。この鏡は不浄な想いがこもっているから溶けないのだと、誰が寄贈したのかと、問い詰められます。そこでその女の人が寄進したものとわかり、彼女は恥と怒りのうちに呪いの言葉を残し憤死します。

 

その呪いが何かと言いますと、「わたしが死ぬことによって、鏡は溶けて鐘は鋳造できるでしょう。その鐘が吊るされた時、強い力で打ち鳴らし鐘が壊れたら、その打ち壊した人にはたくさんの黄金がもたらされるでしょう。」というもの。その後、人々はその言い伝えに踊らされて、鐘を打ちに来ます。しかし、誰も叩き壊すことはできません。それで、お寺の住職は、この騒ぎにうんざりし、鐘を池に沈めてしまいます。もう二度とその鐘は浮き上がって来ることはありませんでした。

 




 

話はここでお仕舞いではありません。その後のエピソードも書かれているのですが、その間に、ハーンの解説が挟まれています。その解説文が、わたしがこの話を選んだ理由です。

 

彼が解説しているのは「nazoraeru」という日本語についてです。

 

Now there are queer old Japanese beliefs in the magical efficacy of a certain mental operation implied, though not described, by the verb “nazoraeru.”The word itself cannot be adequately rendered by any English word; for it is used in relation to many kinds of mimetic magic, as well as in relation to the performance of many religious acts of faith. Common meanings of “nazoraeru”, according to dictionaries, are “to imitate,” “to compare,” “to liken;” but the esoteric meaning is to substitute, in imagination, one object or action for another, so as to bring about some magical or miraculous result.

 

これに続いて例を上げています。寺を建立するお金がなくても、「心を込めて」石を積み上げれば、それは、お寺と同じ意味を持つ、あるいは、6771巻ある経典を読むことはできないが、経典鐘を回転させると一巻読んだことになる、というようなこと。

 

ハーンは、日本の文化に共感と興味を持っていました。だから、日本文化の側に立って翻訳ができると思います。現代の日本人にはもうわからないような事も、彼の翻訳によって再確認することもあるかと。

 

もうひとつ思ったことは、日本の文化には「nazoraeru」ということが、よく見られるのではないかということ。例えば「石庭」、「盆栽」、「落語の扇子」、「文楽」などなど。「なぞらえる」というのは、「わら人形」にも見られるように、アニミズムからきているもの。キリスト教などの一神教に比べ、日本の神道はアニミズムと言われます。このような先進国で未だに原始的宗教を信じている国は珍しいとも。そういう点からして、わたしはこれらを、アニミズムを文化にまで昇華させた例だと思うのですが…、どうでしょう。

 

 

さて、このお話の続きは、”strike and break objects imaginatively substituted for the bell”です。人々は、せっかくの宝を得るチャンスを逃してはならないと、いろいろなものを例の鐘に「なぞらえて」叩き壊し、黄金をえようとします。その一人が「梅が枝」。平家の落ち武者、梶原 景季(かじわら かげすえ)と関係しています。梅が枝は銅製の手水鉢をその鐘になぞらえて叩いて壊します。すると300両の金が現われたということ。

 

この話もまたレジェンドとなります。そして、いつもの昔話の如く欲張りな人が現われます。彼は、

 

Having wasted his substance in riotous living, this farmer made for himself, out of the mud in his garden, a clay-bell, and broke it, ---crying out the while for great wealth.

 

で、結果は、a white-robed womanが現われて、大きな壺を与えます。家に帰って、妻とその壺を開けてみると……、壺の縁まであるものがいっぱいに満たされていましたが…、

 

But,no!-----I really cannot tell you with what it was filled.

 

ですと!!!





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