2015年11月8日日曜日

わたしの「お仕事」(2)――ワンダーランド上海(2003-2005)


さて、こんなようなお仕事で上海にいますが、ワンさんとは何の労働契約も結んでおりません。ただ、航空券代と家賃、そして食事代(昼食分ですが結構中国では上等の部類と思います。)が保証されているだけです。あとは、生徒の受講料の40%です。しかし、生徒は三人だけ。彼らはほんとうに2週間で銀アクセサリー制作を学んでお店を出すようです。上海では、普通の事と後で知りましたが。

 

そもそも「ワンさんとメイがどこでどうやって知り合ったか」という事を聞いた時、「そうか。アリか!」と思いました。彼女たちは、北京の講習会で知り合ったのです。色彩検定士の資格を取得する講習です。そこで上海から来た者同士ということで仲良くなり、二週間の講義の後、上海に戻って二人で会社を始めました、色彩アドバイザーのお仕事です。

 

SARSの流行の事、覚えておられますか。サーズ・ウィルスが中国で蔓延しました。2003年は、その勢いが少々衰えた頃です。しかしまだ、空港では体温チェックがありました。彼女たちは、そのSARSでお仕事が上手くいかなくなったと言っていますが…、疑わしい。2週間の講習で、色彩アドバイスの仕事をゲットできると思いますか。そこで、わたしがノホホ~ンと登場し、彼女たちは仕事を衣替えしようと考えたのだろう…、と想像します。

 



 

今いる三人の生徒のほかにも、ワンさんはいろいろ企画を考えているようです。その一つがデモンストレーション。人を集めて銀粘土の説明をし、そして制作過程を見せて銀粘土のお店の加盟店を募ること。その人たちに材料や道具を売り、加盟店のフランチャイズ・フィーを稼ごうというものです。この時の彼女たちのやり方にはホント恐れ入ります。さすが中国商売人といった感じ。

 

彼女たちが言うには、

 

「中国人こんなこと信じないね。」

 

つまり、見かけは全く「粘土」である「銀粘土」が焼成すると、銀になるという事を信じないということです。そこで彼女たちは焼きあがった銀粘土の作品をある研究所(?)へ持って行き成分を調べてもらいました。そして、それが「99.9%銀である」という証明書を獲得したのです。わたしは、「そんなこと必要なの。」と思いましたが、ほんとうでした。彼ら中国人はホント信じません。という事で、この「証明書」は、ものすごく有益なものとなりました。

 

それから、「わたしの存在」です。日本人…、日本人の偉い先生。彼女たちは、わたしのありとあらゆる有効なセールスポイントを洗い出して、宣伝に役立てました。わたしの作品の写真を撮ってパネルを作る、銀粘土の作品で賞を取った時の賞状の写真を撮る等など。名古屋でSと話し合った「わたしの周りの人や友達だけに教える」なんてことはどこかに飛んでしまいした。

 

 

そして、デモンストレーションです。そこにやって来た人々もたいした人々でした。実は上海に来る以前にサンフランシスコでもデモンストレーションをしたことがあります。友達が造形作家で自分の家で教室を開いています。そこで彼女が三週間ほど自宅に招待してくれました。そしてついでにデモンストレーションしてくれと言うことに。

 

その時は周一回で、二回開催しました。来てくれた人は、それぞれ10人くらい。皆、アーチストやアート関係の学生、ギャラリーのオーナー等です。皆、すごく関心を持ってくれました。それこそ「Oh,マッジクだ。素晴らしい。」と口々にいってくれて、ほんとにアートとしての関心を持ってくれたのでした。

 

そしてここ上海。来てくれた人々の関心は商売だけ。儲かるか儲からないかのみ。まったく銀粘土に興味がなさそうな人々もいました。メイに「あの人誰?」と聞くと、メイは、「あの人は、見学しといて興味ありそうな人を見つけたら、わたしたちに紹介して、紹介料取ろうとしてるよ。」っていう感じ。

 

しかし良かった点は、サンフランシスコでは英語で説明しなければいけませんでしたが、ここではメイが通訳してくれるので簡単。極端に言えば、「あいうえお、かきくけこ。」って言っていたっていいんです。一人が何か質問をし、メイがわたしに訳しました。「銀粘土は食べても大丈夫か、言ってるよ。」

 

なので、

 

「銀粘土は、間違って食べても害になりませんが、食べないようにと説明書には書いてあります。」

 

と言うと、ウケましたよ。

 

 

そして、ワンさんはその模様を撮影もし、デモテープも作ってしまいました。そのデモテープをあとで見せてもらいましたが、とても素晴らしいものでした。彼ら中国人の宣伝能力、アピール精神にはホトホト感心してしまいます。

 








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