2015年11月1日日曜日

ウラジーミル・ナボコフ


ナボコフは大好きな作家です。ミーハーの御多分にもれず、わたしが最初に買った彼の著書は『ロリータ』です。その後、目に着いたナボコフの本を買い続けたと言うところ。彼の作品はあまり日本語に訳されていなかったので、見つけ次第に買いました。

 

その中のひとつが、集英社が出版した『世界の文学―ナボコフ』です。この一冊に二篇の小説が入っています。『キング、クイーンそしてジャック』と『断頭台への招待』です。何時買ったんだろうか。1977年とありました。そのまま読まずに本棚の中という運命だったのですが、最近読みました。まだ『キング、クイーンそしてジャック』の方だけですが。

 

『ロリータ』は、1955年、ナボコフが56歳の時の作です。アメリカで出版することを拒否され、パリで出版しました。そして、この作品で彼は世界中で「有名作家」の仲間入りをしました。映画化もされましたよね(監督はキューブリックのようです)。『キング、クイーンそしてジャック』はそれ以前の、彼が若かった時の著作です。

 

ちなみにナボコフは、ロシアの作家です。1899年に貴族の家庭の第一子として生を受けました。つまり、1917年、ロシア革命でその地を追われた組みです。クリミアからギリシア、マルセイユ、パリ、ロンドンと流れ、ケンブリッジ大学で「フランス文学」を学びました。1922年、父がベルリンでロシア亡命者暗殺の流れ弾に当たり死去した後、彼もまたベルリンに渡ります。

 

この『キング、クイーンそしてジャック』はドイツ語で書かれています。1926年、初の長編小説『マーシェンカ』をベルリンで出版し、『キング、クイーンそしてジャック』は第二作目です。その他のわたしが持っている本は、割合後年に書かれたもののようです。

 

1937年に「ナチスドイツ」を逃れるために家族でフランスに移住しましたが、その後に書かれた物と言うことになります。彼は、まだまだアメリカにも渡り、アメリカの大学で講義などもしています。1945年、アメリカ市民権も獲得しました。と言う事で、彼の作品は、ドイツ語、フランス語、英語、そして母国語であるロシア語でも書かれているのです。ナボコフは、その言語の中でいろいろ格闘したようです。何語で書かれた彼の小説か。言語によってアイデンティティは、影響を受けますからね。そんな内容のナボコフも研究書も一冊所有しておりますが、未だ読まず。

 

 

さて、わたしが購入したナボコフの本はと言いますと、

 

『ロリータ』1977年――1955年にパリで出版されました。

 

『セバスチャンナイトの真実の生涯』1971年と奥付に書かれているが、古本屋で買ったような記憶がある。出版は、1941年アメリカ。

 

『ナボコフの一ダース』1982年。これは「サンリオ文庫」から出ているのだ。それがわたしの自慢です。1958年の作。

 

『ベンドシニスター』1986年。これも「サンリオ文庫」なのである。1947年の作。

 

『ロシアに届かなかった手紙』1981年。短編集ですが、ナボコフで著述する前の「V・シーリン」という筆名で書かれた物のようです。ロシア語で書かれたものを1976年にアメリカで英語に翻訳されて出版されました。彼の死の前年です。

 

『絶望』2013年。ロシア語原典からの初訳です。1936年、ベルリンで出版されました。

 

そして、『世界の文学――ナボコフ』です。

 



 

『キング、クイーンそしてジャック』を読み始めると、「えッ、これほんとにナボコフか。」と思いました。まるで、19世紀の古典文学を読んでいるようだったからです。しかし、途中からは、彼本来の色調になって来ました。

 

貧しい青年が金持ちになった伯父さんを頼って、ベルリンに出てくるのです。キングが伯父さん、クイーンがその妻である伯母さん。そして、青年のジャックです。そんな譬えです。若く美しい伯母さん(34歳)と田舎から出てきた青年の恋(?)。まったく純愛とは言えませんが。結婚に飽きた人妻と性に欲情する青年のお話です。

 

途中から異様な雰囲気になって来たのは、彼独特のリアリズムから離れて行く感じです。伯母さんと青年が伯父さんの殺人計画を立て始めます。その計画が現実と幻想のはざまでグタグタになっていくのが楽しめます。

 

最初の方が19世紀の古典小説のようだとわたしが思ったのは、わたしが全くと言っていいほど古典小説を読んでいないと言う無知から出た感想でした。「訳者あとがき」を読んでわかったことは、ナボコフが古典のパロディを表現していたと言うものでした。

 

こんな風に書かれています。

 

『キング、クイーンそしてジャック』は、男女の三角関係を基本的枠組みとする姦通小説である。文学的にすこぶる高度な達成を見た姦通小説と言えば、『ボヴァリー夫人』と『アンナ・カレーニナ』という、十九世紀後半を代表する二つの偉大な小説がすぐに思い浮かぶが、事実、この小説はその「まえがき」で作者自身が認めているように、これらの二大傑作への賛美の気持ちを籠めて書かれたものだという。

 

そして、とりわけ『ボヴァリー夫人』に賛辞を表わす如く、『ボヴァリー夫人』の中のシーンが、そのままパロディとして使われているようです。その2~3の例も「訳者あとがき」に紹介されていました。

 

 

とにかく、彼の「古典のパロディ」という意図は読み取れませんでしたが、彼のシュールな、そして滑稽な、ドタバタぶりを堪能致しました。

 








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