2018年3月23日金曜日

カルヴィーノの不思議な世界は、楽しいけれど難しい。



『不在の騎士』は、『木のぼり男爵』、『まっぷたつの子爵』とあわせて三部作となっています。題名から創造される通り、大人のための「童話」といった趣でカルヴィーノらしい題名と言えるでしょう。



わたしが読んだ順に、



『木のぼり男爵』は、木の上に上って生涯を木の上で暮らした男爵のお話。主人公コジモは十二歳の時、厳格な父親に反抗し、食事の時間に退席して庭のカシノ木に登ったきり二度と下りて来なかったのです。



『まっぷたつの子爵』は、トルコ軍とキリスト軍の戦いの時代の話です。主人公のメダルト子爵は、その戦いのさなかトルコ兵の半月刀でまっぷたつにされてしまいます。そして右半分の身体だけ軍医の手当てにより生き延びました。その後、自分の城に帰った子爵は、全てのものをまっぷたつにしようと試みます。今までは「不完全な身体」を持っていたのだと考えたからです。半分の身体になった時、わたしは完全な身体を手に入れたのだ。半分になれば真実を手に入れることができると。



その後、城のある村に子爵のもう半分が戻ってきます。彼は、キリスト教徒と回教徒の戦いでの死体の山に埋もれていたのですが、そこを通りかかったキリスト教隠者に見出され、秘薬やなにやらで一命を取り留めます。そして、故郷を目指したのでした。右半分は「悪」、そして左半分の隠者に助けられた身体は「善」を体現していました。



『不在の騎士』とは、鎧の中がからっぽの騎士です。自分が「存在するのか」あるいは「存在しないのか」の間で揺れ動く「心」か。








1960年、カルヴィーノ自身が、この空想的な<歴史>三部作についてのノートを残しています。その中で彼は、この三部作全体を人間の「存在」の仕方の歴史的進化を示すものと意味付けています。



『不在の騎士』(中世が背景)においては、盲目的な「不在」の状態の中で「存在」することを目指す原初的な人間、ついで『まっぷたつの子爵』(17世紀末)では社会によって引き裂かれている状態から「完全性」を回復しようとする人間。そして、最後に『木のぼり男爵』(18世紀啓蒙主義とフランス大革命の時代)で、自由意志による選択を貫き通す(木に登ったまま、ついに地上に降りることなく生涯を全うする)ことによって真に人間的な「完全」に到達しようとする人間―――つまり「自由へと至る三段階」が描かれている。と説明しています。



カルヴィーノはこのように書いていますが、これは作者による心情吐露であり、読者としては、彼の言葉に縛られることなく作品を観照しても良いのではと感じます。この三作品の奇想天外な内容にただ「ホーツ」と感心してもいいはず。今回『不在の騎士』を読み終わり、もう一度、他の作品も読み直してみようかなあと、思ったところでした。









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