2021年5月3日月曜日

先日お亡くなりになった桃紅さんの追悼です。

 



 少々以前に書いたものです。スイマセン。


『百歳の力』は、数えで103歳になる篠田桃紅さんの自伝で、最近販売部数10万部を突破した話題の一冊です。度々新聞の広告で目にしていました。わたしは「自叙伝」なるものは基本的に好きではありません。他人の人生に興味がないからです。同様にノンフィクションの探検モノや回顧録等も好きではないです。しかし、桃紅さんの言葉は興味があります。 

 

篠田桃紅さんは1913年、大正2年生まれです。102歳になる今も絵筆を取って美術家として創作に励んでいます。信じられない事ですね。彼女は文筆家としても評価を得ているようで、数冊のエッセイ集が出版されています。

 

1979随筆集『墨いろ』で第27回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。朝日新聞の書評欄では、『一〇三歳になってわかったこと―― 人生は一人でも面白い』幻冬舎、が取り上げられていました。20154月刊です。

 

この本は、歳を経た人のエッセイにありがちな「老成とか悟り」が書かれているのではなく、百歳にしてまだ達観できない彼女の若々しさが溢れているようです。この辺りが凄いですね。妙に悟って「うんちく」を語る人が多い中で。

 

「生きている限り、前とは別のものができる。この歳になってできることはある。昨日と今日は違うんですから」が、彼女の言。

 

幼少期から書道を嗜んでいましたがお手本の決まり通りに書くことができず、「わがままな子だと」言われ続けてきました。彼女は、「わたしははじめから、この線はお手本よりもう少し長く引きたいというところがあった。決まりの通りにすることが性に合わなかった。」と語っています。また、「お手本通りすることなど朝飯前ですが、それではつまらない。お手本をまねするのは複製を作ること。アートでは、まねしたものは偽物です。」とも。

 

人生でも歳を取ることは「クリエート」する事だと言います。人生にはお手本がありません。自分で考えて自分の人生を創造していかなければいけないからです。記者が「生きているかぎり人生は未完」と書いているが、完成に近づいている実感はあるのでしょうかと問うています。彼女の答えは、「人として何が完成なのかわかりません。この辺かなと思って辿り着いても、また先がみえます。」というもの。

 

この先が「みえる」というところが、またまた凄いです。「先はわからない」ではなく、進むべき道がちゃんと彼女の心の中に存在しているという事ですから。





 

ウィキペディアによりますと、こんな風です。

 

篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子1913年(大正2年)328日)は、日本の美術家。映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。

 

日本の租借地だった関東州大連に生まれる。5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後日本で制作し、各国で作品を発表している。

 

一部抜粋です。

 

 

先日、美容院に行きました。待ち時間に渡された『婦人画報』のページをペラペラとめくっていたところ、篠田桃紅さんのエッセイ・コラムのような小さな記事が目に止まりました。読んでみたところ、「オオおおお~」という感じ。つまり、出版されたエッセイでも相当過激なのに、その上をいく過激さだったのです。

 

その時の記憶を頼りに報告いたしますと、

 

「最近、インタビューをされる機会が増えました。しかし、あとでその記事を読むとがっかりします。紋切り型のインタビューと一般受けする答えになっているからです。これこそ<マス>メディアということでしょうか。人とおしゃべりしても何にもなりません。わたしの言う事を理解してくれる人がいないからです。受け入れられないわたしの考えを封印して、なんで人とおしゃべりなどできましょう。日々ひとり精進し、己の道を進んでいきたいと思います。」(こんな感じだったと思いますが~~~、間違っていたらゴメンなさい。)

 

102歳にしてこれですよ。素晴らしいと思いませんか。相当強い人ですね。こうも世間と妥協しなかったら、普通の人では生きていけませんよ。だから、芸術家として成立しているのでしょう。「老成とか悟り」の境地ではなく、まだまだ先を見つめて前進しているのです。

 

 

わたしにも人の思惑を気にすることない強い意志があったなら…、自分の才能を信じる強さがあったなら…、と羨ましく思います。

 

彼女は、このように言っています。「お手本通りすることなど朝飯前ですが、それではつまらない。お手本をまねするのは複製を作ること。アートでは、まねしたものは偽物です。」と。もちろんその通りと思います。でも、わたしなら「朝飯前」とは言わないでしょう。ここまで言ってしまう「強さ」、それがわたしの足りないところなのでしょう。

 

彼女の言葉、『歳を取ることは「クリエート」する事だ』を英語のクラスで紹介したところ、先生に「えっ。」と言われてしまいました。To grow older means to create. と言ったのですが。彼女の言った意味は、「人生にはお手本がありません。自分で考えて自分の人生を創造していかなければいけないからです。」ということ。

 

先生が言うには、英語が間違っていたから聞き直したわけではないと。今まで聞いたことがないことをわたしが言ったから、「えっ。」と言ったんだと。それで、人って自分の理解できないことを聞くと、頭が「言葉」として受け入れないんだなあ、と感じました。

 

以前、「君が完璧に英語を話せるようになっても、君の言う事は理解できないだろうね。」と、ある英会話の先生(アメリカ人)に言われたことを思い出しました。

 

 

わたしも一人で生きていきましょうかね~~~。



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