今日のコラムに大佛さまは偉いと、大佛様に「うまい!」と言ってもらいたい一念でお菓子作りをしていた和菓子職人の話が書かれていた。
「自分を超えたものの存在に開かれている人にはどこか穏やかさが漂う。不遜にはならない。」との鷲田清一さんのコメントです。
わたしも大賛成であり、実感しています。大学に入った時、わたしよりうんと頭がいい人がいっぱいいて、自分の来し方を反省しました。わたしの父親も不遜な人でしたが、あるときある歌人に出会い謙虚な人になりました(少々ですが)。塚本邦夫氏です。「自分より出来る人に会った。」と言っておりました。
いろいろな事で秀でている人は、謙虚であると日々実感しています。英語の勉強をしていた時は、中級から中級の上、上級クラスに上がるごとに「人」が変わると思っていました。上級クラスの人達は、わたしの拙い英語にもチャンと耳を傾けてくれました。話す内容にもふむふむと思う事がいっぱいです。
その後に囲碁を始めたわけですが、同じことが言えます。段が上がっていくと、「人」が変わっていきます。現在は「有段者クラス」の末席を穢しておりますが、上手(うわて)の人は天井知らずです。だからでしょうか、少々腕の立つ人もとても謙虚です。わたしには勝つが、その人が対局で負ける人が一杯いるからです。「負ける心」を知っているーーーからでしょうか。
ですから私も精進し、より強い人と対局できるように努力しております。少しでも多くのステキな人々に会えますように。



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