2025年5月14日水曜日

『羊式型人間模擬機』を読んで

 


『羊式型人間模擬機』

 

12回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作です。著者が犬怪虎日子というのも怪しげな

様相。

  

男性が死ぬ時、その間際に羊に変わるという一族のお話です。そしてその羊が死ぬ間際に(だいたい三日後)解体し、一族で食する儀式があります。その解体し儀式を執り行うのが、一族に使える人間模擬機(アンドロイド)です。

 

不思議なソソラレル設定です。初めの章で、4人の兄弟姉妹が登場。現在の一族のメンバーで、まだ若く幼い人々です。

 

この一族は閉じられた広大な土地、屋敷に住んでおり外との交流はありません。この設定で『ゴーメンガースト』(マーヴィン・ピーク著)を思い出しました。内容は全く違いますが、変な登場人物と広大な閉じられた場所での日々。そして域内での冒険、そして外界への興味というところか。

 

また、「羊」とか「アンドロイド」というと『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック著)を思い出しました。こちらは、全く関連はありません。が、何か著者の中にあるのかもしれません。

 

話が始まる前の最初のページに家系図があります。はじめは何のことかわかりませんでしたが、徐々にこの一族の成り立ちが明らかになっていきます。これで、『百年の孤独』(ガルシア=マルケス著)を思い出しました。しかしながら、こちらはそんな壮大なお話ではありません。

 



このように四人の兄弟姉妹と遡る一族のエピソードが語られます。そして、お話の最後に祖父が亡くなる際、羊の姿になり、御羊様の最期の御殿造りと、解体の儀式に流れていきます。

 

いろいろなエピソードが語られますが、この個々のお話が最後に大団円とはならず、なにかはずされた感がします。しかし、羊の解体場面は圧巻です。これだけで一冊書けそうな気がします。

 

つまり、ひとつひとつのお話を掘り下げていけば、何冊かかけるのにと。(生意気ですが)。

 

 

最後にこの賞の選者たちの評が掲載されておりました。抜粋ですが…

 

 

東浩紀

力作であるのはまちがいない。しかし筆者は読むのが辛く自己満足にも思われた。

 

小川一水

文体の跳ねるようなリズムが好ましく、引き込まれた。結末はロボットによる自己言及で、本機と一族の来歴がかすかに垣間見えるようでいて、不可解。

 

神林長平

なんとも変な小説で、しかも内容や書き方がぼくの個人的な琴線に触れたので最高点をつけた。

 

菅浩江

とても好みの作品でした。語り口も世界観も、幻想文学に慣れている人にはうれしくなる類です。―――もっとテーマを押し出してほしかったという欲が出ました。

 

塩澤快浩

オリジナルティは評価するが、――――イメージの強さがプロットの弱さに勝っていないと感じられた。

 

 

以上です。

 

 

幻想文学好きの私とすればまったく好物です。が、話が中途半端な気はします。賞を取った作品はあまり興味がありませんが、本書は途中まで「こいつはホンモノだ!」と思ったので、次回作に期待します。

 


 



2025年4月20日日曜日

カンジが死んだ


 

数日前の新聞のコラムです。ああ~、死んでしまったかあ~。


わたしは、類人猿にとても興味があります。研究者になりたかったけど、京都大学に入らないと類人猿研究は無理と思い、京大も無理と思い、諦めました。


カンジはボノボです。体はチンパンジーのようですが、チンパンジーよりひと回り小さいのです。カンジはそのなかでも超天才のオスのボノボ。ちょっと追跡していました。


といっても、たま~~に載る新聞記事を読むとかですが。本としては三冊持っています。



最初に読んだのは、『ボッソウ村の人とチンパンジー』です。西アフリカの僻地の人とチンパンジーの生活の関わり方とお互いの生活の影響の研究です。この本では、チンパンジーということですが、ボノボとチンパンジーが区別されたのは後のことなので、どうかわかりません。


次は、『ピグミーチンパンジー』です。この頃は、チンパンジーよりひと回り小さいのでこう呼ばれていた訳です。後に、ボノボと言われるようになりました。チンパンジーとは、違う生活様式や互いの関係性について述べられたいます。


最後に、『人と話すサル「カンジ」』です。ボノボは、人とは遺伝子的には極めてわずかの違いしかありません。カンジはボノボの中では特別な存在でアメリカの研究所で生活していました。


独自のキーボードを背中に背負い、人とのコミュニケーションをとっていたのでした。複雑な文章も理解できました。「隣の部屋の冷蔵庫からジュースを持ってきて。」と言ったようなことや、「廊下に犬がいるから気を付けて。」という言葉には、恐怖心を見せたとか。


自分の意志も表現できました。「何々で遊びたい。」とか「何々が飲みたい。」とかの類です。ゲームで遊んでいたりもしたそうです。





1980年生まれ44歳で亡くなりました。子供がいたかどうかの記述はありませんが、「猿の惑星」は来なかったなあ~、と、思った次第でした。


合掌





2025年4月15日火曜日

『おんなの女房』を読んで


『おんなの女房』

 

 

時代は江戸。歌舞伎の女形役者に嫁いだ武家の娘のお話です。いや~、おもしろかった。何か既知感があるなあと思ったら『化け者心中』の作者と同じでした。

 

『化け者心中』の方は、歌舞伎役者が稽古中に首を落とされて殺されるというミステリーが一応ありました。一応というのは、ミステリーとして探索されるが実際は違っていたので。わけがわからないと思われるかもしれませんが、読んでのお楽しみです。

 

『おんなの女房』は、一応、「女形の歌舞伎役者の女房に何故武家の娘が嫁いだのか?」というミステリーがありますが、第一章で即種明かしされます。ですから純粋に「男と女」の恋愛劇です。

 

誰かが殺される小説しか読まない私としては、少々不満ですが興味深かったです。江戸後期のカオスの時代が好きなのと歌舞伎のカオスなところが好きなのとで、楽しめました。



  

簡単に言うと「おんなの自立」のお話ですが、なぜ江戸時代かなぜ歌舞伎の世界かと考えました。たぶん、背景がしっかり固まっているからでしょう。「武家の娘」ということ、「女形」ということ。その範疇で女の自立を表現しやすい、わかりやすい、ということか。

 

歌舞伎の人気演目の物語と燕弥(結婚相手の女形役者)が演じるお姫様の役柄に合わせて話が進んで行きます。その中で、志乃(武家の娘)の考え方が変化していき、武家社会の「女の掟」からも解放されていきます。

 

そして、互いに自分の都合のみで結婚に至った二人が離れがたい二人となり……悲劇が~~~。

  

なにがおもしろかったかというと、歌舞伎の「世界」そして「演目」の微細な表現と落語のような落とし噺のところでしたあ~。

 

 




2025年4月13日日曜日

本を買う


 

先日、一冊本を読み終わりました。『おんなの女房』です。いや~、面白かった。蝉谷めぐ実著で、よく考えてみると、以前読んだ『化け者心中』の作者でした。面白いはずだ。


感想文はまた後日にUPします。



それで、それに味を占めてまた本を買ってしまったということです。『羊式型人間模擬機』です。第12回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作で、なんやら極ミステリアスです。作者は犬怪虎日子で、まっこと怪しげです。


コミック『ガールズ・アット・ジ・エッジ』の原作者とのこと。まだ1ページも読んでいませんが、楽しみです。






2025年3月20日木曜日

我が青春のロラン・バルト



少し前の新聞のコラムですが、ロラン・バルトの言葉が載っていました。


「わたしは、真の独自性の場が、相手にもなければわたしにもなく、二人の関係にこそあることを見ぬく。」


懐かし~~~い~。ロラン・バルトだあ~、と思って。


人は、ひとたび出会えば。もはや「形容」も「分類」も不可能な、取り換えのきかない存在になっている。と、いうことらしい。人は関係において独自の存在になるという事。



いくら自分で自分はこういう人間だと思っても、それは、人との関係性においてだけでわかることで、絶対的に「独自の自分」というものはないらしい。


なんかロラン・バルト、面白いジャンと思って、本棚を見ると、

『神話作用』と『文学の記号学』の二冊があった。『神話作用』は読んだような気がするが、全く覚えていない。『文学の記号学』は、諦めたような気がする。


もう一度トライしてみる???





2025年3月11日火曜日

犯罪都市

 


つい最近のニュースに、多くの国籍の人々が大人数閉じ込められて詐欺犯罪に加担することを強要されていた、というのがありました。


ウッ、これって『ゾミア』の事じゃないの?と。


以前読んだ本です。ここにも感想をUPしましたが。


『ゾミア』とは、ベトナムの中央高原からインドの北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の5か国、ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマと中国の4省を含む広大な丘陵地帯を指します。


地球で最後に残された国境なき世界です。ゾミアが非国家圏であり続けることはそう長くはないだろうとは書かれています。




ここから日本人高校生16歳が、救助されました。この高校生凄いなっと思っちゃって。ちょっと不躾ですが。


だって、ひとりでスマホを持って脱出し、位置情報を父親に送信して助けを求めたんですよ。父親に「ゴメンナサイ。」とも送信していました。


きっと、大した人物ですよ。ーーーと思いました。





2025年3月3日月曜日

『最後に鴉がやってくる』を読んで

 



『最後に鴉がやってくる』

  

イタロ・カルヴィーノの初期短編集です。カルヴィーノが大好きな私としては、即購入。しかし、いつもと違う雰囲気です。いつもの彼の幻想的雰囲気やシュールな感じ、または、おとぎ話的要素がない。

 

ロシアの古典小説のような「貧困、父権、無知」が支配し、重苦しい趣です。が、読み進めるうちに、段々彼独特のユーモアが表れてきました(年代順になっているのでしょうか?調べていませんが。)。

 

『木登り男爵』のようなおとぎ話プラス批判精神や『レ・コスミコミケ』のようなSF的要素、『遠ざかる家』のようなシュールな物語、等々。

 

表題の『最後に鴉がやってくる』も、話としては重苦しいですが、不思議な雰囲気が漂っています。

 



戦争を背景に、兵士の団体の前に少年が一人表れる。少年は、兵士のスキを見てひとりから銃を取り上げる。兵士が驚いているうちに、少年は川面に飛び跳ねた魚を銃で仕留めます。兵士は感心して少年が同行することを認めます。少年は、銃を要求します。兵士も貸与します。

 

そうやって道を進んで行くのですが~~~。

 

兵士は、少年の銃の腕前から敵を攻撃するのに役に立つと思っています。少年は、ただ銃を撃ちたいだけ。

 

その晩、少年は兵士たちが寝ているうちに一番良さそうな銃を掴んで、ひとり戸外に出ます。そしてひとり道を進んで行き、手当たり次第に生きているものを撃ち続けます。カケス、山鼠、動かない毒キノコさえも。

 

やがて一人の兵士が少年を見つけると、少年と兵士の戦いになる。

 

しかし、少年は兵士を撃つという明確な目的を持っているわけではなく、動くものなら何でも打つというスタンス。

 

兵士は鴉が飛んでいるのを見た。少年が撃つだろうと思った。が、鴉は一向に撃ち落とされる気配はなく、兵士は、鴉は幻で「死にゆく者はあらゆる種類の鳥が飛ぶのを見るものなのだろう。そしていよいよ最期というときに鴉がやってくる。」と思う。

 

そして、兵士は、「鴉が飛んでいるぞ~。」と少年に叫びかける。そして……最期は。。。

 

 


 

この年代の作家は第二次世界大戦の面影に支配されています。彼もパルチザンとし戦いました。大江健三郎然り。彼らは戦争の残像に悩まされ、作品を残していきました。その後もベトナム戦争や学生運動など「戦いの中」に生きてきた人々です。

 

近年「小説は終わった」という意見があります。名前は忘れましたがノーベル文学賞を受賞した作家の言です。奇しくも大江健三郎氏も同じようなことを述べていました。

 

私にはどういう意味か確信はもてませんが、「題材としての戦争」が終わったという意味もあるのでしょうか。

 

段々、世の中物騒な方向に進んで行きます。如何かな。