2016年5月12日木曜日

『死者の奢り』  大江健三郎著


大江健三郎の初期の短編です。あとがきに「これは大江健三郎の文壇的処女作である。」とあります。彼が東大の学生だったときです。大江健三郎についてのわたしの思い入れは、以前書きました。

 

今回、わたしが持っている彼の本を年代順に始めから読み直してみようかと思い立ちました。それが『死者の奢り』です。「文学界」昭和32年8月号に掲載されました。わたしがこの文庫本を購入したのは、昭和47年です。大学生、青春真っ盛りの時でした。

 

当時この作品を読んだときは、「なんだかわからないが面白そう。」といった程度の感想だったと思います。何か「おとな」になった気分で、難しそうな本を読み漁っていました。



 

内容は、文学部の学生だった主人公が、学生課でアルバイトを探します。それが医学部の解剖用死体の運搬でした。新しいプールが建設されたので、死体を今までのプールから移すという仕事。その仕事には、もう一人雇われたようでした。それが、女学生。二人、死体置き場で待っていると、死体の管理人がやってきます。

 

管理人の支持を受けながら、死体を運び始めます。「仕事は一日限りなので重労働だ。」とか、「古い死体はプールの底に沈んでいる。戦争時の兵隊さんもいるよ。」とか、「新しい死体はプールの表面に浮いているが、学生はそちらの方が好きなので、すぐ持って行ってしまうんだ。」とかの会話が交わされています。

 

彼らは、死体を一体ずつプールから引き上げ、運搬台車に載せて新しいプールに運ぶのです。新しいプールは、真新しい透明のアルコホル溶液で満たされていました。古いプールのアルコホル溶液は茶色に混濁していたのでした。死体を運ぶ時、アルコホル駅が死体から滴り、床はベチャベチャでした。そこで、女子学生が転んでしまいます。女子学生は気分が悪いからと医務室に行ってしまいます。彼女は、実は妊娠していたのでした。その中絶費用を稼ぐためにバイト代の高いこの仕事を選んだんだと、主人公に言います。

 

そこに医学部の教授が現われます。「何をしているんだ。」と。彼らの仕事は古い死体を処理することなんだと。新しいプールには新しい死体を保存するのだと。彼は、物凄い勢いで怒鳴り始めます。「新しいプールのアルコホル液が茶色になったじゃないか。」と。

 

今までの仕事、死体に新しい番号札を付け、新しいプールに運んだことは、全て無駄になりました。死体は火葬にするので火葬場に運ぶこと、新しいプールの溶液を入れ替えること、それを今日中にするというオーダーです。また、仕事の段取りを間違えたことでバイト代が支払われないかもしれない。その交渉をするのも自分でしなければいけないのだ、と彼は憂鬱になります。死体管理人も「仕事の手順を説明したのは、俺ではなく事務のものだったことをよく覚えていてくれ。」と責任逃れの及び腰です。

 

教授が仕事の手順を説明する態度に彼は憤りを感じます。彼が死体を扱う「我々」を見下す態度が感じられたからです。しかし、そう言えば、「僕も死体管理人を知らず知らずのうちに見下していた。」と思いました。そして、火葬場に死体を運ぶために病院が派遣した雑役夫たちもまた、彼を見下してぞんざいな口をきくのでした。

 

彼は、仕事の手違いのこと、そのことを事務所と掛け合わなければならないこと、そして今日は夜中まで働かなければならないだろうと言うこと、また、死体を扱うことで皆から軽蔑的な態度で扱われること、これらの理不尽さに彼は怒りが喉元から飛び出しそうになるのを抑えるのですが、それは塊となって喉元を塞ぐのでした。

 

 

さて、わたしは何を思ったのか。一番には、不思議な感覚でした。学生時代に読んだ時は、わたしは大江健三郎についてほとんど何も知らなかったと言えるでしょう。その時は、大江健三郎自身も自分がこれからどのように生きていくのかと言うことは知らなかったでしょうが。それが、今、わたしは彼がどのように生きてきたかを知っているのです。もちろん報道された表面的な事のみでしょうが。つまり、自分自身の未来を知らなかった大江健三郎が、この作品を書いたと言うことです。そして読む私は、彼の人生を知ってこの作品を読んでいると言うこと。この不思議…です。

 

今となってみれば、大江健三郎の生き様がこの作品の中に現れている、と……感じます。







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