2019年5月2日木曜日

今月から毎日UPしようと思い立ったが、すでに2日になっていた。








今年の初めにいつもの手帳の代わりに10年日記を買った。どうせ大したスケジュールはないので、「何が起きたか」の方を記録しておこうと思ったからだ。毎年の出来事を比べることが出来るのも面白いかもと。こちらの方は、まあまあ順調に書けている。

その一年目に平成から令和に元号が変わったのは、「ちょっとした出来事」だと感じる。つまり、令和元年から10年までの日記となるからだ。10年書き続けることは出来そうだが、次の10年はどうだろうか?

年齢と共に、この先の年月を勘定してしまう。例えば次の東京オリンピックの時は、まだわたしは生存しているだろうとか。AIのシンギュラリティの年はどうだろうかとか。二十歳の時は、20年後の40歳のことなど想像だにしなかった。40歳の時には、60歳になるのは、遠い先の事と思っていた。そして、今、わたしは容易に「20年後のわたし」を考え、想像し、その「わたしの存在」そのものも疑ってしまう。


そうそう、年齢と共に「恐怖心」も出てきた。出てきというより、恐怖心を理解したのだろう。「痛み」を知ったという事か。今年の初めに息子と会った時に、そんな話をしていて、

「ねえ、まだバイオハザードのプレーできる?わたしはもうできないよ。もう怖くて。」
息子は、
「出来ないよ~。前、バーチャルリアリティーでゲームをしたら、メッチャ怖くて、即やめた。」と言った。








0 件のコメント:

コメントを投稿