安部公房の遺作です。
『飛ぶ男』
安部公房の本は、金額的に余裕がある限り購入することにしている。この文庫本も生誕100年で発刊されたときに買っている。
令和6年です。それをようやく読む気になって読みました。「死後、フロッピーディスクに遺されていた原稿の文庫化」という予備知識しかなく読み始めました。内容は、『飛ぶ男』と『さまざまな父』の二作と思っていた訳です。が~。
一作目の『飛ぶ男』は、冒頭から本当に飛ぶ男が出現します(比喩ではなかった)。その飛んでいる男を目撃した三人がいます。一人は暴力団の男で、警察に連絡しようと思うが、立場上する必要はないだろうと。その時にしか登場しません(後に登場するのかもしれないが)。
あとの二人は、中学校の先生と怪しげな女です。飛ぶ男を見た女性は、驚きのあまり発作的に空気銃で撃ち落そうとします。傷ついた「男」は、中学校の先生である男の部屋に飛び込みます。その「男」は中学教師の弟だという事なのだが……。
空気銃で撃った女性は、教師のアパートの隣人でした。
この怪しげな三人の関係性とそれぞれの私生活が語られています。それは、心地よく永久に続いて欲しいと……。しかし、終わりは来ます。
解説文を読むと、この『飛ぶ男』は未完なのだと。そして、『さまざまな父』も『飛ぶ男』に関連して書かれたもののようだと。つまり、『飛ぶ男』は壮大な構想を持って書き始められた作品なのであると。
その長~い、長~~い話を読んでみたかったなあ。
解説者は、「安部公房―――内部の内部に外部を探し求めた作家」という文を書いています。
つまり、細胞生物学的に内部の内部は外部であるということ。細胞の内部に何かを取り込まなければならない時、あるいは内部の不要なものを外部に排出しなければならない時、細胞は同じ成分の内包を形成し、それを外に押し出しては外のものを内部に、また反対も然りということだそうです。
この作品の登場人物たちも、他の人の細胞膜を押し破り中に入っていこうとしたり、それを押し出そうとしているのだと。
まあ、そういうことは抜きにして、わたしはこの幻想的な不条理な関係性がいつまでも語られて、そこに浸っていたいなあ~、と思うばかりです。


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