2021年10月23日土曜日

囲碁ネタです。

 



先日の『折々のことば』に


失うことや死を恐れたら、片一方の生きるってことがみみっちくなる。  相米慎二


と、ありました。


自分は、人の死というより、人が「綱渡りの」のようにして生きるその姿を描いてきたと、映画監督は言う。それを「みみっちく」しないためには「愛と勇気の物語」を紡ぐことしかなかった。が、そんなことをしているとなんか悲しくなってくる。「人にはもっと頽廃とかもあるのに」と心が反撥する。そんなふうに心はいつももつれると。


遺文集『相米慎二 最低な日々』から……だそうです。


もっともな事です。

何か、「一生懸命生きている人々のお話は、お金の心配もなく頽廃的に生きている人々の話より上等だ。」というような風潮がありそうです。今回のノーベル文学賞も「虐げられた人が、懸命に生きる」というようなお話の様です。わたしは読んでいませんが。


昨今思うのは、「SDGsなどで皆が幸せになる時代が本当に来るのなら、その時、文学とか哲学とか芸術はどうなるのだろうか。」という事。人が苦しむところから、いろいろな事が発生すると思いますが、皆が「のほほん」と暮らしていると、何が題材となるのでしょう。





という事は、今は置いておいて、


わたしが、この「折々のことば」を読んだ時に感じたことは、


そうだよねェ~、囲碁の先生がいつも言う、『石が死ぬことを恐れていたら、勝ちはないぞ!』という事。


囲碁の境地「肉を切らして骨を断つ」。自分の石が死ぬことを恐れず、ギリギリまで自分の石を働かせて、相手の石を窮地に追い込むのだ。


みみっちく生きてはいけないよ。人生、大胆に切り込んでいこうよ。




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