2023年8月27日日曜日

『女ことばってなんなのかしら?』という本。


 


『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』というタイトルの本ですが、読んだわけではありません。新聞書評で見かけました。そこからの……いつもの妄想です。


「言語に深く打ち込まれた性差別」ということ。基本的に賛成です。


相手を罵倒する言葉も、命令する言葉も、女性の口からはスッと出ない。それは、女性が年上の男性を叱り飛ばすような言葉は、日本語にはないからだと。女性たちはいつの間にか、「女らしい言い回し」で、へりくだり、男性を立てるように……こういう事が言葉から成っているということのよう。


その通りだと思う。しかし、ここで「年上の」というところに引っ掛かる。同様に、日本語の丁寧語、謙譲語、尊敬語もそうではないのか?日常的に「上下関係」により言葉が話されている。日本語は難しいと言われるが、難しいのはこの辺りの所で、意味の通じる日本語を話すのはそんなに難しくはないでしょう。



著者は平野卿子さん。翻訳家とある。なるほどと。わたしも十年くらい趣味で英語を研究してきた。英語には、少々の丁寧語や相手を敬う言い回しというものはありそうだが、言葉に体系的に存在すると言うことは無い。他の言語に詳しくはないが、日本語ほど「相手と自分の力関係」を推し量って言葉を選ばなければいけないという事はなさそう。英語では、YOUはYOUしかない。


と言って、ネイティヴ日本語スピーカーでない人に、意図せずぞんざいに話されると、「ムカッ」とする。日本語の文化と伝統という話にまで行きそうである。


しかし、そんな制約があるなかでも、話相手にカウンターパンチを浴びせることはできる。よく言われる、京都人の「皮肉」である。嫌味を言って、「わたしは、怒っているのだ。」という事を分からせることは出来る。わたしも怒っていると、異常に丁寧な言葉を使っていることがある。


英語の単語自体に尊敬とか謙譲とかの意味は含まれていない。が、英会話の先生と話している時、頭の中で日本語に変換しているのだが、先生によって丁寧な日本語が浮かんで来る時と、乱暴な日本語が浮かんで来る時がある。やはり、話し手の先生の人柄なんだねェ。


以上。




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