今までもカタカナ英語は、日本で氾濫していました。グローバル化とかエンターテイメントとかは「エンタメ」ともう普通の日本語です。
それで、
コロナの頃からテレビのニュースショウなどで、「バイアス」とか「エヴィデンス」とかが、普通に使われ始めました。ある解説者は、「日本語で偏見と証拠ですが日本語のニュアンスと少々違って、日本語では表現できないのでこう言います。」と言っていました。
そして最近では、アフォマティヴとかインセンティブとかも何の説明もなく使われ始めています。市井の人々には容易に理解しがたい単語です。
それで思ったんです。
漢文が日本語に入ってきたときもこんな感じだったんだろうかと。大化の改新の頃か???。
明治維新の時に日本に入ってきた西洋の単語を日本語に置き換えた人々は偉大だったと、以前UPしたことがあります。そのおかげで日本人は日本語でいろいろなことを語れるようになったと。他の国では、日常はその地域言語、学術的なことは英語を使うとか二分化しているところもあります。
しかしそれは間違いでした。気付きました。それは日本語に置き換えたのではなく、漢文に置換したのだと。その時日本が使用した単語を、後に中国でも使用するようになりましたから。
そんな訳で、
昨今のカタカナ事情も日本語にはないものを英語でカタカナで表現しているのかなあと。文句を言っているのではありません。これで日本語のボキャブラリーも増えて、より多くの事を庶民も表現できるようになるのかあ~と。
中国語を日本語に同化した時のように、普通の人々にも浸透するのは少し時間がかかるかも。しかし、SNS時代だから即カタカナだらけになるかもよ。




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