2025年10月21日火曜日

今日の感想


 


高市早苗さんが、「日本初の女性総理になるか」とマスコミは騒いでいるが、今の私の心境は、あまり女性初の総理大臣に関心がない。前回は、政治的信条に関係なく、高市さんが総理になってアメリカ初の女性大統領ハリスさんと初対談すると面白いだろうなあ~、という意識だったが。


なぜかなあ~。何故か今回は、「女性初」というところに関心がいかない。もう私の中では「女性何々」ということがクリアーになったのかなあ。



また、今回の維新との連立のこと。こちらも、政治信条に関係なく、「新鮮だなあ~。」と思ってしまった。高市さんと吉村さんのツーショットは、いつものダークなスーツを着たおじさん(又はおじいさん)の絵柄と違って「観やすい」です。


またまた、政治信条に関係なく、若い人達または前に出て活躍できなかった女性の今後に期待します。期待しても、わたしの思惑と違う方に飛躍してしまうと困るが~~~。







2025年10月16日木曜日

『飛ぶ男』



 安部公房の遺作です。


『飛ぶ男』

 

 

安部公房の本は、金額的に余裕がある限り購入することにしている。この文庫本も生誕100年で発刊されたときに買っている。

 

 

令和6年です。それをようやく読む気になって読みました。「死後、フロッピーディスクに遺されていた原稿の文庫化」という予備知識しかなく読み始めました。内容は、『飛ぶ男』と『さまざまな父』の二作と思っていた訳です。が~。

 

一作目の『飛ぶ男』は、冒頭から本当に飛ぶ男が出現します(比喩ではなかった)。その飛んでいる男を目撃した三人がいます。一人は暴力団の男で、警察に連絡しようと思うが、立場上する必要はないだろうと。その時にしか登場しません(後に登場するのかもしれないが)。

 

あとの二人は、中学校の先生と怪しげな女です。飛ぶ男を見た女性は、驚きのあまり発作的に空気銃で撃ち落そうとします。傷ついた「男」は、中学校の先生である男の部屋に飛び込みます。その「男」は中学教師の弟だという事なのだが……。

 

空気銃で撃った女性は、教師のアパートの隣人でした。

 

この怪しげな三人の関係性とそれぞれの私生活が語られています。それは、心地よく永久に続いて欲しいと……。しかし、終わりは来ます。

 


 

解説文を読むと、この『飛ぶ男』は未完なのだと。そして、『さまざまな父』も『飛ぶ男』に関連して書かれたもののようだと。つまり、『飛ぶ男』は壮大な構想を持って書き始められた作品なのであると。

 

その長~い、長~~い話を読んでみたかったなあ。

 

 

解説者は、「安部公房―――内部の内部に外部を探し求めた作家」という文を書いています。

 

つまり、細胞生物学的に内部の内部は外部であるということ。細胞の内部に何かを取り込まなければならない時、あるいは内部の不要なものを外部に排出しなければならない時、細胞は同じ成分の内包を形成し、それを外に押し出しては外のものを内部に、また反対も然りということだそうです。

 

この作品の登場人物たちも、他の人の細胞膜を押し破り中に入っていこうとしたり、それを押し出そうとしているのだと。

 

 

まあ、そういうことは抜きにして、わたしはこの幻想的な不条理な関係性がいつまでも語られて、そこに浸っていたいなあ~、と思うばかりです。

 






2025年10月10日金曜日

ああ、そうだった


 


ノーベル化学賞を受賞した北川さんが科学を好きになったきっかけを話していた。中学生の頃に読んだSF小説だったんだあ~。それは、フレドリック・ブラウンです。SF短編の名手でメチャメチャ面白い。


京都に住む中学生だった北川さんは、大いに頭脳を刺激されて科学への道に進んだらしい。


で、わたし。同じ京都に中学生の時住んでいて、おおいにフレドリック・ブラウンのSF小説に親しんだ。


きっかけは、兄が「この本ぜんぜん面白くないからお前にやる。」と言って、『SFカーニバル』という文庫本をくれたこと。はじめて手にする文庫本でした。それまでは、子供向けのようなサイズの本しか読んでいなかったから。




読んだら、メチャメチャ面白い。ゲラゲラ笑いながら読んでいたら、母と兄が不審な目を向けてきた。気にせず、一気に読んでしまった。


その本はアンソロジーだったので、いろいろな作者がいたのだが、一番気に入ったのはフレドリック・ブラウン。それから、四条河原町の大きな本屋に一人で足を運んで、創元推理文庫の棚からフレドリック・ブラウンの本を探しては読み漁っていた。


それからいろいろな作家のSF小説に進んで行ったのだが、原点はフレドリック・ブラウン。





どんどんマニアック化が進んで行き、フリップ・K・ディック、J・G・バラードからスタニスワフ・レム。またファンタジー小説から怪奇小説、シュールレアリスム小説まで突き進んで行ったのでした。ラヴクラフト、ボルヘス、イタロ・カルヴィーノと・・・・・・。


フレドリック・ブラウンから科学の世界に魅せられた人もいれば、幻想の世界に入り込んでいった人もいる。わたしは今でも抜け出せず、本好きなのに「話し相手」がいないという現状です。






2025年10月9日木曜日

今日の妄想


 

昨日の新聞のコラムですが、こんなんです。


「だいたい、頼んでもいないのに生まれてきて、必ず死ぬってことじたい、『罠』みたいなことじゃないか。」

ーーー近藤康太郎


こんな周知の事実のようなこと、何で言うかなあ~と。


世の中「罠」だらけで、そんな中で罠をすり抜けたり、罠で遊ぶなどして愉しんでみるかあ~、という結論らしい。


まあ、生まれてきちゃったんだから生きるしかない。わたしの座右の銘は、「死ぬまで生きる」です。





もうひとつ、昨日の新聞のコラムです。


芥川龍之介が、小学2~3年生の時、かわいいと思うものと美しいと思うものを書きなさい、という課題が出たそうです。芥川少年は、美しいものを「雲」と書くと、先生が「雲などどこが美しい?」と×を付けたそうです。


昔の先生というかわたしの子供の時の先生も、こんな人が多かったなあ~、と思ったわけです。うちの息子の年代でもこんな先生がいたなあ。中学一年生の担任の先生は、息子の描いた絵を見せて、「こんな絵を描きました。」、と言いました。


母親の絵を描くという課題だったようですが、直線だけの「あたまのでかい」まんがのような絵でした。わたしは、「良い絵だなあ。」と思って、なんで先生が特にこれをわたしに示したのかがわからず、そのまま返しました。


あとで考えると、中学生でこんな絵を描いたがどう思うか、という問いだったらしい。わたしは、こんな直線だけでわたしの特徴をとらえ、線の勢いも素晴らしいと思ったんだけど。


あとで、息子が家に持って帰ってきたとき、サインしてもらって日付も入れてもらって、今も額に入れて飾っています。よく見たらその日付は、わたしの誕生日でした。(余分ですが、彼は今、漫画家です。)









2025年10月7日火曜日

今日のことば


 

「親がまずすべきことは、わが子の才能を最大限に評価できる独自のモノサシを持つことではないでしょうか。」   ーーーおおたとしまさ


新聞のコラムです。


折しも今日、ノーベル賞を日本の科学者が取ったという朗報があった。その坂口教授は、「興味を持つことが肝要」と言っていました。興味を持ったことに対し押し進むこと。


これでわたしが思ったことは、





こどもが興味を持ったことと「親の独自のモノサシ」が合えば良いなあ~。というか、世間の評価のモノサシではなく、ほんとに公正なモノサシなら良いなあ~、と。


我が身を振り返ると、親がこどもにまったく関心がなかったということが、良くも悪くも「助かった」と思います。